夏休みに消えた手紙

上伊由毘男

夏休みに消えた手紙

 八月も終わろうとしている夏休みの登校日。

 頭が溶けそうな猛暑の中、高校三年生の今田道定イマダミチサダは一人で下校していた。


 わざとではなく、誰とも話を合わせることができない道定はクラスで変人扱いされていた。時々からかわれるように声をかけられることはあるくらいで、友達のような存在はいない。もちろんガールフレンドなど生まれてこのかたいたことがない。


 だから学校ではいつも一人で、下校も一人だった。地面を見ながらしょんぼりと。毎日。


 しかし、今年の夏は違う。道定は地面を見ながら、胸をドキドキさせていた。彼女はまだいるだろうか、と。


 彼女とは、突然道定の前に現れた少女のことだ。


 今朝、すなわち登校日の朝、いつも学校へ行く日がそうであるように、道定はギリギリまでふとんで寝てるつもりだった。

 ところがその日は、道定を起こすものがいた。

 白い夏用のセーラー服を着たポニーテールの少女が、道定を起こしているのである。

 道定は、状況が全くわからなかった。

「ほら、何やってるの。早くしないと遅刻するよ」

 実際、そういう時間だった。

 少女は押入れに隠れると「私、普段ここにいるから。私が見てない間に着替えて学校ちゃんと行くのよ」と言って押入れを閉めた。

 確かにもうそういう時間だ。道定はあわてて制服に着替えて、身だしなみもロクにせず学校へ向かった。


 そういうことが、朝にあったのだ。

 押入れの少女はまだいるだろうか。親に見つかって騒ぎになってないだろうか。いやそもそも本当にそんな少女はいるのだろうか。


 単に寝ぼけてたのでは?


 そんな期待と不安を胸に、道定は帰宅した。母親はパートに出ている。父親は八月いっぱい出張だ。


 道定が自分の部屋へ入ると、ひんやりとした空気とともに、少女がにこやかな表情で飛び出してきた。


「おかえり。エアコン使ってるよ。使わないよ死んじゃうよ〜」

 そういう少女も楽しげに見えた。

「あの……」

 道定は声をかけようとして、言葉に詰まった。名前を知らなかった。


「あ、私は瑛美エイミ。よろしくねん〜」


 そう言って道定に笑顔を向けた。生まれてはじめて女子に笑顔を向けられるという事態に、ドギマギして言葉が出なかった。


 さらに瑛美は、いきなり道定の手をとった。

 ドキリとして瑛美の顔を見る道定。


「学校終わったんでしょ。遊ぼうよ」


 瑛美は勝手にテレビとゲーム機のスイッチを入れて、その前に女の子座りした。

「ほら、早く。帰ってくるの楽しみにしてたんだから」

 と、自分の隣の畳をバンバンとたたき、道定を座るように促した。

 女の子とゲーム。自分の家で。

 もちろん、この部屋に女子がいるのは、はじめてである。

 瑛美は終始はしゃいでいた。

 それはゲームが楽しいというより、道定と遊ぶことを楽しんでるように感じた。

 道定には趣味らしい趣味はなかった。せいぜいテレビゲームと、テレビの深夜番組と、ネットで動画を漁るくらいだった。それは趣味というより暇つぶしというほうが適切だったかもしれない。

 だけど今、女の子と一緒にゲームをすることがこんなに楽しいのかと感動し、心のなかで泣いていた。


 道定は母親との食事の後、母親がテレビのバラエティ番組に夢中になってる時に、コンビニに買い出しにでかけた。

 瑛美の分である。

 食べ物と飲物を、二人分買った。道定も一緒に食事をしたかったからだ。

「わぁ、一緒に食べてくれるんだ」

 買ってきた量を見て、瑛美の笑顔が一段と明るくなった。

 自分を見て笑顔になってくれる女の子と二人で食事をするのははじめてで、世の中にこんなに楽しいことがあるのかと思った。


 ある夜は、一緒に花火を見た。といっても二人ででかけられなかったので(家の構造上、母親の目を盗んで外出するのは限りなく不可能だ)、部屋の窓から二人で遠くの花火を見た。きれいだった。そして瑛美の横顔は、花火よりずっとずっときれいだった。口に出して言ったら笑われるだろうか。ありきたりなフレーズだが、それは道定の本心で、花火を見るふりをして、チラッ、チラッと何度も瑛美の横顔を見た。


 その夜中。道定はむくりと起き上がり、押入れを開けた。眠っているようだった。

 道定は思った。キスしたい。抱きしめたい。そのままエッチしたい。

 ネットで見まくった青春モノAVを思い出しながら、道定は顔を少しずつ瑛美に近づけた。

 が、そこで瑛美の目がパチリと開いた。

 何もかも見透かされてるようだ。一緒に花火を見てたときから。

「そういうのダメだよ。私たち高校生なんだから」

「クラスの連中だって、やってる奴はいる」

「とにかくダメだよ。今日は寝よう。おやすみ」

 瑛美は押入れをサッと閉じた。

 道定は、今日は寝よう、という言葉を、別の日ならアリなのか!と考えたため、朝まで興奮して寝れなかった。


 そして翌日、昼まで寝てた道定は、瑛美の怒鳴り声に起こされた。

「コラッ!夏休みの宿題、全然終わってないじゃない」

 道定が寝てる間に部屋の中をいろいろ調べたらしい。

 確かに、宿題は半分弱くらいしか終わってなかった。夏休みはあと数日だというのに。

「終わらそうよ。私も手伝うからさ」

 その言葉が、ひどくやさしく感じられた。女の子にこんなに優しい言葉をかけられたのははじめてで、胸が熱くなり涙が出そうになった。

 二人で手分けして、八月中に宿題を終えることができた。勉強が嫌いな道定であったが、瑛美と二人でやる作業は、何もかも楽しかった。宿題さえ。


 道定は中学までは成績は上の方だったが、高校へ入って急に劣等生になった。勉強しても成績は上がらず、もう半ば自分自身をあきらめていた。道定の家は貧困と言うほどではなかったが、親から、お前を大学へやる金銭的な余裕が我が家にはないと言われ、完全にやる気をなくしていた。折れていた。

 だが、瑛美と一緒なら、勉強もがんばれる気がした。もう一度取り組めるんじゃないかと思った。


 ずっと考えないようにしてきたが、瑛美は何者なんだろう。どこからきた、どこのコなんだろう。

 いつもさわやかで、ポニーテールがぴょんぴょんするのがかわいくて、勉強もできて、何より道定に笑顔をむけてくれる。そんな女子は今までの人生にいなかった。

 瑛美とずっと一緒にいたい。

 警察に連絡しなかったのは、瑛美との時間が奪われるのが嫌だったからだ。

 押入れ住まいで申し訳ないと思ったけど、これがこのまま続くならそれでいいと思ってた。そしていつかは……陽のあたる場所で、デートしてみたい。そんなふうに考えていた。

 その、いつか、について、全く具体的には考えられないのが、道定の限界だった。


 二学期初日。宿題も万全だ。笑顔の瑛美に送り出されて学校へ向かった。

 初日は午前だけなので、退屈な始業式とホームルームを終え宿題を提出すると、道定は足早に帰宅した。親はパートに出てた。


 自室に入ったが、瑛美は出迎えてくれなかった。というか姿が無かった。ソっと押入れを開けてみたが、誰もいなかった。

 家に帰ったのだろうか。

 

 机の上に、空色の封筒があった。“道定へ”と書かれた瑛美からの手紙だった。



 道定へ

 急にいなくなってごめんね。

 道定と一緒に過ごした日々、楽しかった。

 でも、ずっと一緒にいるわけにいかないの。

 だって、私は道定の未来のお嫁さんだから。

 将来、道定と会えるように、少しだけその手伝いに来たの。

 知ってるよ。

 道定が変わり者扱いされてること。

 友達もガールフレンドもいないこと。

 勉強も運動もできないこと。

 趣味も無いこと。

 毎日、楽しいことなんてなんにもないこと。

 それでも私は将来、道定と一緒になりたいの。

 だけど今の道定のままじゃ一緒になれない。

 今度会った時、二人で一緒にいられる道定になってほしい。

 勉強はしよう。できる範囲でいいから。

 友達も作ろう。すぐには無理かもしれないけど気長に。

 趣味もはじめよう。できれば人の輪が広がるのがいいね。

 全部いっぺんには無理かもしれないけど、少しずつでも。

 こんな説教じみたことを書くのは、また道定に会いたいから。

 私が一緒にいたくなる道定になってほしいから。

 身だしなみもちゃんとしよう。おしゃれも少しは覚えよう。

 そのほうが、私も自慢のダーリンって言えるから。

 次に会うときは、顔も名前も違うから、私だってわからないと思う。

 それでもまた道定に会いたい。

 好きだよ。

 道定、笑顔を忘れずにね。

 変人扱いでもいいじゃない。

 私と一緒にいる時の道定の笑顔、とっても素敵だったよ。

 また会うときも、笑顔でいようね。

 最後にもう一度。

 道定、好きだよ。



 読んでるうちに、道定は大粒の涙をぼろぼろとこぼした。それが手紙に当たると、その部分はシュワ〜と音を立てて溶け、最後には手紙は全て溶けてなくなってしまった。


 夜になっても電気もつけず、道定はただ畳に座り、ぼろぼろ泣いているだけだった。あのゲーム機も、一緒に花火を見た窓も、毎日使ってた押入れも、この部屋は全部瑛美を思い出すものばかりだ。

 笑えない。笑えないよ瑛美。瑛美がいなきゃ笑えないよ。

 道定はそのまま畳にうつぶせになり、一晩中泣き明かした。


 翌朝、道定はまず風呂に入ってから、髪を整え、制服を着て少し早めに家を出た。

 笑えるかどうかはわからない。他のこともそんなにすぐできそうにない。

 だからまず、一日も早く笑うようにしようと、道定は早朝の少しだけ涼しい風が吹く道を歩きはじめた。

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