みにくいアヒルのひな鳥は美しく大空をはばたけるのか

浅葱 ひな

第1話 離婚の原因

「ねぇ、お父さん、お母さんと別れちゃった原因ってなに……?」


 小学五年生だった、ある夏の夜、父とふたりで、少し遅い夕食をとりながら、そう、わたしは問いかけた。

 その質問に、父は、一瞬だけ大きく目を見開き、驚いたようだったが、すぐにいつもの優しい表情に戻っていた。


「あ、別に言いにくかったらいいよ。聞かない聞かない」


 わたしは、両手をブンブンと大袈裟に振って見せた。ほんの少しだけあった間を、言い渋っているととったわたしは、慌てていた。


「言いにくいことはないけど……。どうしたんだい? 突然? やっぱり、お母さんに会いたいかい?」


 あぁ、父は、それを心配していたのか? わたしが母に会いたがってるって。でも、そんなことは、わたしにとっては今更なんだ。

 父が離婚したのは、わたしが三歳になる少し前のことだって聞いた。そんな小さな頃に離婚して以来、一度も会ってない母だった人。その人の記憶なんて、わたしにあるはずがない。


「別に、今更お母さんに会いたいなんて思ってないよ。でも、お父さん? お父さんは、ちなつさんと結婚したいんでしょ?」


 ちなつさんとは、わたしが小学生になる少し前から、父がおつきあいしだした女性だった。同じバツ1同士で、初めて出逢った時に、それまでのお互いの苦労話で、話が弾んだんだそうだ。

 わたしが祖父から暴力を受けたことで、引っ越し先が決まるまでの間、自分の家に匿ってくれたこともある。わたしと歳の近いふたりの男の子の母親だ。

 父は、このちなつさんと、わたしを含めた三人の子どもたちと、家族になろうとしていたのだ。


「わたしが、ちなつさんの前で、ぽろっといけないこと言っちゃダメでしょ。わたし、ちなつさん、好きだもん。だから、今のうちに聞いとこうって思っただけだよ」

「イヤいけないことなんてないけど、ひなは、どうしてそんなに、おとなに気を使うんだい?」

「お父さんには、幸せになってもらいたいんだよ……」

「ひなぁ……」


 立ち上がった父を見て、わたしが身構える。ふたりで暮らすようになってから、なにかあると、必ずぎゅーってしてくれるんだ。職場の上司にアドバイスされたらしい。接する時間の短さは、ぎゅってすれば補えるって。

 嫌いじゃないけど、寧ろ安心できて好きなんだけど、今は、自分の口からこぼれた言葉と一緒で恥ずかしい。


「ひなは、お父さんの再婚、許してくれるんだ? 無理してないか?」

「うん、わたしも、ちなつさん、好きだって言ったよ。新しいお母さんが、ちなつさんなら素敵じゃない……? お父さんも、素敵な女性って思ったんでしょ? 応援するよ」


 もう何年も、わたしとふたりの生活だったもんね。もっと早く再婚してても良かったくらいなのに。

 父が照れ笑いを浮かべてるのが解った。

 そして、離婚の原因が語られた。




 父と母だった人とは、同じ職場で働いていた。ただ、部署は別で、出逢ったのも本当に偶然だったらしい。

 父が自分の部署の仕事で、母の部署の上司のところを訪ねた。そこで、内勤の母と外勤のアルバイトの学生さんが困り果ててるのを見かける。

 理由を聞くと、正社員である担当者が、アルバイトさんの面倒を見ずに自分だけ出発してしまい、アルバイトさんを出発させられずに困っている……と。


 父は、元々、母側の外勤の仕事を、当時アルバイトとして経験していたのだ。その縁で、正社員として入社し、この当時の部署に配属になったと言っていた。

 その経験をもとに、手早く荷物の準備をし、アルバイトさんを送り出す。母は感謝していたそうだ。

 最初の出逢いは、それだけだった。


 次の出逢いは、職場内の若手による催しだった。

 そこから、話をするようになり、付きあい始め、やがて、新しい命を宿し、わたしが生まれた。


 わたしは、生まれたばかりの時、黄疸が酷かったらしく、暫く退院ができなかった。退院直前になって、麻疹はしかの院内感染に遭い、更にそれが伸びる。

 わたしが、父と母と三人で暮らし始めたのは、生まれてから一ヶ月以上も後のことだった。

 その間、母の母、わたしの祖母が、色々と世話を焼いてくれたらしい。このことがあって、最初の頃、父は祖母に頭が上がらなかったと言っていた。


 その後、粉ミルクにアレルギー反応がでて、離乳食が六ヶ月くらいから始められた。そのたびに、体に浮き出る発疹。わたしの小さくて細い両腕には、アレルギーテストの印がいっぱい書かれていたそうだ。

 食べさせられる食材が、あまりにも少ないことに、皆、困り果てていた。肉もダメ、米もダメ、麦も豆も……だったそうだ。だいじょうぶだったのは、白身の魚と野菜だけ。まだ、若い父と母にどうしろというのだろう。


 そのアレルギー、後に、住んでいた付近の空気が原因ではないかとなった。空気中に含まれる金属のアレルギー。これは、父の離婚後、引っ越しをしたら少しずつ発症しなくなったから、判ったことである。


 そして、わたしが二歳になる直前、事件を起こした。

 この当時、わたしは日中保育所に預けられ、仕事が先に終わる母が迎えに来て、祖母の家で面倒を見てもらっていた。母は夜間の大学に通っていた。そこに、仕事を終えた父が迎えに来て自宅に帰るのである。


 ただ、その日は、祖母から父に、今夜は、わたしを預かると連絡があった。たまには、孫と長い時間一緒にいさせて欲しいと。母が一緒なのでだいじょうぶだから……と。こういう時くらい、父も羽を伸ばしたらどうか……と。

 父も、初めての育児に疲れていたのだろう。この申し出を、ありがたく受けることにしたのだそうだ。


 しかし、この時のわたしは、救急搬送され、胃洗浄を受け、死にかけて入院していたのだ。祖母の嗜好品、タバコの吸殻を、口に入れ、飲み込んで……。

 しかし、父には、その事実が告げられなかった。


 父が、この時の事実を知ったのは、三ヶ月もあとだったそうだ。乳児医療費の還付のお知らせを見て、更に問い合わせをして、わたしの入院の事実を知ったのだった。

 そして、母を問い詰めた。何故、父だけ知らされなかったのかを。何故、母自ら伝えなかったのかを。激しい口論になったと聞いた。父が母に手をあげたとも……。




「叩いちゃったの?」

「うん……」

「ダメじゃん、どんな事情があっても、女の人に手をあげたら……」

「うん……、そうだね」


 父は、そう返事をしただけで、それ以上の言い訳も反論もしてこなかった。

 母は、それをきっかけにして祖母のもとに戻り、わたしの前に現れることはなかった。

 とは言っても、わたしにはこんな小さい頃の記憶なんてあるはずもなく、毎朝、父に連れられて保育所に行き、父に迎えに来てもらう毎日だったようだ。

 父の職場は、車通勤ができないところで、保育所も祖母の迎えの可能性も考慮して、祖母の家に近いところだった。そもそも、結婚する時に、母の、祖母の近くに……という希望を父が聞き届け、同じ市内に住んではいたのだが。


 これが、父と母との離婚の原因だったようだ。


 それから、およそ、ひと月後、父のもとに、家庭裁判所からの呼び出し状が郵送されてきた。

 調停の始まりである。

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