04「海上憲兵大佐・"腕鳴らし"のメェケン」

 翌朝。

 『彷徨えるシットローズ号』が進む先にある水平線から、島が現れた。

 小さな島である。

 港の傍には町が形成されており、その中央には一際大きくて白い建物があった。


「おや……あれは海上憲兵の基地じゃないか。前にこの島に来た時は無かったはずなんだが……アトランティスの野郎は順調に勢力を広げているようだねえ、クソッタレが」


 船首付近に立って双眼鏡を目に当てていたサスライは、苛立たし気に吐き捨てた。

 肩に掛けたコートをはためかせながら、サスライは振り返る。彼女の背後には『彷徨えるシットローズ号』の船員たちが集まっていた。

 その中にはロータローの姿もある。

 別に招集されたわけではないが、手持ち無沙汰なのでブラついていたら、いつの間にか集合する船員たちの中に混ざっていたのだ。人の流れとは恐ろしい。


「この前も言った通り、この上陸の主な目的は買い出しだ。とはいえ、それ以外は何もしないってわけじゃあない」


 サスライは島に着いてからの予定を話した。彼女の声には威厳があり、またよく通った。きっとロータローが船尾に居ても聞こえていたんじゃないかと思わされるくらいである。それはサスライのリーダーとしての資質の表れだった。

 島に上陸してからの予定と言っても、船員たちに飛ばされる指示は船体の点検や修理、船の護衛と言った仕事ばかりだ。そのいずれも、船の重要な仕事を任されていないロータローには関係のない仕事である。

 自分に回されてくる仕事があるなら精々床拭きとかだろうな、とロータローが予想していると、サスライから声が飛んできた。


「で、ロータロー。アンタは買い出し班に付いていきな。荷物持ちくらいならできるだろ?」


「オーケー。荷物持ちね。んじゃ、早速上陸の準備を始めるか……って、え⁉」


 うっかりそのまま流しそうになったロータローはぎょっとした勢いで、それまでボーとしていた顔を起こした。サスライの半顔と視線が衝突する。


「おいおいサスライ。キャプテン・サスライや。俺を買い出しに付いていかせるなんて、指示を間違ってないか? それってつまり、俺の下船を許すってことだぜ? その隙をついて逃げるかもしれないぞ?」


「逃げようと思ってる奴はわざわざそんなこと言わないし、アンタにそんな度胸は無いだろ」


「いーや、それはどうかな。なにせ俺は、あらゆる物事から逃げに逃げ続けて引きこもりになった、逃亡のスペシャリストなんだぜ? 一度上陸を許しちまえば、ルパン・ザ・サードも真っ青な逃走劇を繰り広げること間違いなしだ」


「ルパンだか乾パンだか知らないが、ウダウダうっさい男だねえ。あんな小さな島でアタシたちから逃げた所で、その後どうするって言うんだい。あの島がアンタの故郷ってワケじゃあるまいし、アンタみたいな一文無しじゃ、島の南にある密林でモンスターに怯えながら野宿することくらいしかできないよ」


 淡々と言うサスライ。この年になって正論で説教をされるというのは、引きこもりとして甘やかされていたロータローにとってかなりキツいものだった。

 それに正直な話、ロータローは困惑していたのだ。いくら逃げ出さないであろう理由があるからって、サスライがロータローに船から降りる機会を与えてくれたことに。

 その事実がちょっと嬉しく、むず痒くて、さっきはついあんなことを言ってしまったのである。


 ──ひょっとして、これまでの雑用の積み重ねで、結構信頼されているのかもしれないな。


 ロータローが不覚にも感動していると、彼の肩に手が置かれた。

 振り返ると、周囲に四人のアンデッドがいた。ここ数日でロータローはアンデッドのショッキングな外見にもうだいぶ慣れてきたので、不意打ち気味に顔を見たって、アホみたいな悲鳴を上げることはない。

 ゾンビの大柄な男、眼帯の骸骨、体のあちこちに包帯を巻きつけている女、頭がぱっくりと割れている女、という構成だ。ロータローの肩に手を置いていた大柄なゾンビの男が、厳つい顔をグイと近づける。


「よお、新入り。あんな堂々と逃走計画を話すなんて、いい度胸してるじゃねえか」


「けど諦めた方がいいよ? キャプテンが言った通り、こんな辺鄙な島で逃げた所で、先は無いだろうし。どうせ逃げるなら『バルーナ』でやりな。まあ、この自由気ままな幽霊船があの聖地に寄ることがあるかは分からないけど」眼帯の骸骨が上品な声で助言した。


「なに逃走のアドバイスしてるの⁉ やめてよね。もしこの子が万が一にも逃げたら、ワタシたちの責任になりかねないんだし。キャプテンに叱られちゃう」包帯女が怯えた声で言う。どうやら、彼らは島でロータローが一緒に買い出しに出かけることになるメンバーらしい。


「いや、キャプテンに叱られるのはまだいいでしょ。そういうのは船上生活で慣れっこじゃん? キロリッターの姉さんから叱られる場合を考えなよ」頭がぱっくりと割れた女が、冷たい声で割り込んだ。


「……考えたくもねえ」


「……そうだね」


「……考えるだけで心臓が止まりそう。あっ、ワタシの心臓はとっくに止まってるけど」


 ゾンビは元々青かった顔を更に青ざめさせ、骸骨は体を震わせた。包帯女は体を縮こまらせている。

 『姉さん』呼びされていることと言い、どうやらキロリッターは船員たちから一目置かれているというか、恐れられているようだ。あんな可愛らしくも憎たらしい吸血鬼に、血を吸われることがないアンデッドが何を恐れているのだろう、と思うロータローだった。


「それにしても、こんなひょろひょろした人間に荷物持ちを任せるなんて、キャプテンも中々エゲつないことするぜ」


 大柄な男がポツリと呟く。

 その瞬間、ロータローは気が付いた。『彷徨えるシットローズ号』という大所帯を支えるための買い出しで持たされる荷物は、普通の買い物とは比較にならないであろうことに。

 そんな重量を持たされる重労働に、ロータローは耐えられるのだろうか?


「アンデッドが人の町にいると、何かと面倒事が起きやすいからな。こういう買い出しには、いつも少数で向かっていたんだ」


「そういうわけだから、純粋な人間である君が手伝ってくれるというのは、実にありがたい話だね。ビシバシ手伝ってもらうよ」


「アンデッドのワタシたちでも死にそうになるくらいキツい仕事だけど、頑張って!」


「おーっと! そういや昨晩キロリッターに血を呑まれた所為で貧血気味だったわ! 立って歩くことすらままならねえ! こりゃ買い出しに付いて行くなんて無理だな、うん! 大人しく船で待機しておくことにするぜ!」


「なに言ってんの。首の吸血痕はとっくに塞がってるし、血を吸われてから大分時間が経ってるはずでしょ」


「わー! 待って、待ってくれ! いーやー! 引―きこーもるー! クッソ! サスライめ! ちょっと感動した俺がバカだったー!」


 晴れ渡る空の下。

 ロータローの涙の叫びが木霊した。


 ◆


「なるほど。世界設定はお馴染みの中世風ってところか?」


 島の町並みを目の前にして、ロータローは呟いた。

 ざっと見た感じ、ロータローが住んでた現代文明に近い臭いは微塵もしない。通行人の服装から、民家の雰囲気に至るまで、まるで絵に描いたような異世界ファンタジー世界だ。 


「ああ、そういえば異世界転移してたんだな、俺」


 改めてそう思い知るロータローだった。


「おい、新入り。なんで涙ぐんでんだ? 砂埃でも目に入ったのか?」


「いや、なんでもない。ただ、ちょっと『そういえば船の上は異世界ファンタジーってよりは死後の世界って感じだったからなあ』と思ったら、少しウルっと来ただけだ。気にしないでくれ」


 そう答えながら、ロータローは振り返った。そこには一緒に買い出しに行くことになったアンデッドたちが居る。彼らは全員ローブを着ており、フードで顔の殆どを隠していた。こんな町中であんなショッキングな顔を晒しながら歩けば、たちまちの内に大きな騒ぎになるからだろう。

 船を泊めた離れの港から町に着くまでの間の会話で知ったことだが、彼らにも名前はあるらしい(考えるまでも無く当然の話だ)。大柄なゾンビはワンダー、骸骨はツール、包帯女はスリル、頭が割れてるのはフォークロア、といった感じだ。

 ロータローに話しかけていたワンダーは、立てた親指で道の一方向を指差した。


「あっちに俺たちがいつも使ってるいくつかの店のうちのひとつがある。迷子になるなよ?」


 そう言うと、ワンダーは店があるという方向に歩き始めた。他の仲間とロータローも続く。

 町のあちこちに遍在している異世界ファンタジーっぽい要素に目を奪われているロータローに、ツールが話しかけた。


「久々の地上で浮かれてるのかい?」


「そんな感じだ。やっぱこういうのは実際に見るとテンション上がるよなあ」


 見た所、通行人の全ては人間であり、ケモミミが生えてたり肌が爬虫類っぽかったりするファンタジーあるあるな亜人種の姿は見られない。そういうのが居ない、あるいは珍しいタイプの世界なのだろうか? 吸血鬼がいるくらいだし、亜人種が居てもおかしくない気がする。もしかしたらここではない別の島にはいるのかも、とロータローは妄想を働かせた。


「そういやサスライやワンダーの口ぶりから考えて、『彷徨えるシットローズ号』ってこの島にはよく来てるんだよな?」


「ああ、たまにね。そこそこ栄えていてそこそこ小さな島だから、買い物がしやすいんだ」


 なるほど、そういう理由か。

 基本的には海上を彷徨う幽霊船だけど、たまには買い物も必要だからな。アンデッドも飯は食うらしいし。


「とはいえ、この町も随分変わってしまったな」


「そうなのか?」


「前は海上憲兵の基地なんて建っていなかったし、それになんと言うか……」


 ツールは周囲の島民を見て、呟く。


「随分暗くなった、というか生気に欠けてる気がする」


「……それって『アンデッドのお前が他人の生気にどうこう言うのかよ!』ってツッコミ待ちだったりする?」


「いいや、これはマジな話だぜ新入り君」


 そう言われてもう一度見てみると、たしかにどことなく暗い雰囲気が漂っているように見えなくもない。けれども、引きこもり生活の頃は滅多に人が多い場所には出歩かず、異世界転移後は生気もクソもない幽霊船に乗っていたロータローにははっきりと断言しがたい判断だった。


「それワタシも思った!」


 ロータローとツールの話を横で聞いていたのか、スリルが割り込んできた。フードの口から垂れている包帯が、彼女の動きに合わせて揺れている。


「どんよりとしているというか、何かに怯えているみたいっていうかさ。 何か事件でもあったのかな?」


「海上憲兵の基地があるんだから、むしろ事件が起きている可能性は低いと思うけどね」


 スリルの疑問に対するツールのそのような答えを聞いたロータローは、「あ、やっぱり海上憲兵って警察的な組織なのか」とひとり勝手に納得した。

 あれだけ立派な基地を立てているくらいなんだし、かなり力の強い組織なのだろう。『そこそこ栄えている』というこの島に、以前サスライ達が来たときには基地がなかったということは、最近出来た組織なのかもしれないが。


「なにはともあれ、町の変化のついでに、これから行く店も別の建物に変わっていた、なんてことが起きていないことを願うばかりだよ」


 ツールがそのように話題を〆る。

 すぐそばの道を、商人風の男が乗る馬車が過ぎて行った。これも異世界っぽい光景だな、とロータローは思った。


 ◆


 島の中央に聳え立つ海上憲兵支部の基地。

 その奥隅に、ひとつの部屋がある。

 簡素なつくりの部屋であり、そこを説明するうえで特筆すべきところはない……部屋のあらゆる箇所を赤く染めている血痕さえなければ、の話になるが。

 そんなグロテスクな部屋にふたりの男女がいた。

 男の方は木製の座り心地が悪そうな椅子に拘束されており、その顔は恐怖と絶望で青褪めている。

 一方、彼の傍に立つ女はというと、対照的に楽し気で、そして嗜虐的な表情を見せていた。

 例えるなら、得物を前にした肉食獣のような顔。

 まるで人形のような女だった。

 いや、人形でないはずがない。

 百人が見て百人がそう思うであろうほどに、女の顔は、腕は、脚は、体は、整いすぎている。

 高名な職人が何年もかけて作り上げた、等身大の人形みたいだ。

 しかし、白く透き通る肌の輝きや短く整った銀色の髪、呼吸や脈拍に合わせて動く筋肉は、彼女の体を構成するものが純度百パーセントの人間体であることを証明している。

 そんな玉体を軍服じみた格好で飾っている女は、男の顔を覗き込んだ。


「く、くっふっふふっふふぅ!」


 堪えきれないといった感じで笑い声を漏らす女。

 まるで無邪気な子供みたいな笑い方だ。しかし、それを見た男は肌を粟立てて戦慄している。


「ビビってるぅビビってるぅ! そんな顔見せるくらいなら、最初から反逆なんて考えなければよかったのに!」


「ふっ、ふざけるな! こんなことをして、許されると思ってるのか⁉ いや、俺のことだけじゃない。これまでどれだけの数の島民が、お前の犠牲になったことか……!」


「はぁ?」


 女は理解不能といいたげな表情を作ると、更に顔を近づけた。目と目が接触しそうになるほどの距離だ。男は「ひっ」と声を漏らす。


「海上憲兵はこの世界で唯一の秩序だし、その行いは全てが正義だよね? つまり、そんな組織に所属して、基地をひとつ任されるくらい偉くなってる私の行いも、正義正義大正義ってことなのです! イエェ~イ!」


 極端な暴論を吐いた女は、ハイテンションな声を上げた。


「おまけに伝説の勇者サマよろしく天使からの特別な寵愛も受けちゃってるしぃ? 完全に私の方が正しいよね。そして、そんな私に反旗を翻したオマエは許されざる悪ってワケ!」


 女は男から顔を離し、「そこで」と話を続けた。


「本官は秩序を重んじる海上憲兵の理念に従い、罪人の死刑を提案しますっ! 反対のひとはいますかぁー⁉」


 女が大声で問うが、手を上げる者はいない。この部屋にはふたりしかいないし、もうひとりの男は拘束されて腕を上げることすらできないからだ。


「反対ゼロ票! じゃあ賛成するひとー! ははははいはははいはいはいはいはーーーいはいはいっ!!」


 女は何度も両手を上げて、それだけでは収まらずその場で飛び跳ねた。元気が有り余った子供でも、ここまではしゃげないだろう。


「賛成一万票! というわけで、罪人の処刑を執行しま……」


 す、と言おうとした、その瞬間だった。

 ふたりが居る部屋にノック音が響いたのは。

 女はきょとんとした顔でドアの方を振り向き、入室を許可する。開いたドアからは、彼女と同じく軍服を着た青年が這入ってきた。 


「執務中に失礼します、メェケン大佐。報告したいことがありまして」


「なに? どぉーかした? なんか事件でも起きたの?」


「いえ。港に見慣れぬ船が現れたとの連絡が」


「船? なんだろ……本部からの視察船? ……はないか。私が毎日勤勉に働いているっていうのは、送っている報告書からよぉ~くご理解いただけてると思いますしぃ?」


「それが……先日、この近辺を航行していた憲兵からの報告と照らし合わせて考えたところ、『彷徨えるシットローズ号』の可能性が高いかと」


 メェケンと呼ばれた女は、船の名を聞くと眉をピクリと動かした。


「『シットローズ号』って言うと……ああ、ウチのボスが躍起になって捕らえようとしている船か」


「ええ。ですので、その、捕らえた場合、大佐殿の執務の対象にされるのは控えた方がよろしいかと」


「わかったわかった、わかりましたよん……でもさあ」


 メェケンは口元を歪める。まるで、新しいおもちゃを見つけた子供みたいに。


「ボスが身柄を求めているのは、キャプテンだけなんでしょ? だったら、そいつを捕まえる最中で、船員を皆殺しにしちゃっても……まあ、仕事上の避けられない事故ってことになるよね?」


 そう言うと、メェケンはスキップを刻みながら部屋を後にした。

 あとには全身油汗まみれの男と、海上憲兵の青年が残っただけである。


「って、アレ? た、大佐殿⁉ この男は結局どうするんですか? 大佐殿―⁉」


  青年が困ったような声で指示を請うた、次の瞬間だった。

 椅子に座っていた男の体が爆ぜたのは。

 あちこちに跳ねた鮮血は一瞬にして部屋の赤みを増やし、細切れの肉片が壁や床や天井に付着する。


「ひぃっ⁉ うわああああああああああああ!」


 鮮血のシャワーをモロに浴びた青年は腰を抜かした。


「ま、まさか……これが大佐殿が契約しているという天使の力か? なんと恐ろしい……」


 正義の代行者による死刑は、既に行われていたのであった。

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