8章

再会の意味 1

「行きましょうか」


 時間になって降りてきた僕に、玄関で腰掛けていたしのぎはふわりと微笑みかけた。これから起こることなど微塵も気にしていないような、むしろ楽しみにしているような態度で。

 しのぎの服装は再会した日と同じ、白いシンプルなワンピース姿。もしまた轢かれたら血が目立ちそうで嫌だな、と思ったが、彼女の佇まいは小窓から差し込む夕陽に映えていて、考えないことにした。

 カッカッと、しのぎがサンダルで玄関のタイルを叩く。


「ほら、クツ。履いて」


 物音ひとつしない家で、彼女の発する音だけが響いた。

 僕はなにも言わず従った。

 正直、実感が湧かない。しのぎと再会して、ここ数日二人きりで生活してきた。その時点で現実感がなかったというのに、『あの日』である今日はなおさら。

 僕は死ぬ。しのぎは生きる。

 僕が生きてきた場所にはしのぎが入り込み、皆に愛され未来へ進んでいくことになる。

 つまりは――しのぎとの離別。


 力の籠もらない指で靴紐を結びながら、ここ数日のことを顧みる。

 死者とともに生活する日々は、僕にとってはこの上なく幸せだったらしい。だから好きだった相手と再び別れなければならないのは、やはり受け入れがたいことだ。できることなら、もうずっとこのままで……。


「準備できた? じゃあ手でもつなぎましょう、これで最後なんだから」


 しのぎが、そんな選択など許すはずがなかった。

 そも、『二人でこのままずっと一緒』など実現可能ではないのだ。差し出された手と表情はそう語っていた。



 数日前には溢れていた人の存在が、今はすっかり消えてしまっていた。

 自宅周辺の住宅地はもちろん、駅に近づいても、僕ら以外の生き物は見られない。車の走る音も、誰かの足音も、声も、なにもかもが途絶え、しのぎと自分の存在だけがすべて。高白駅からショッピングモールの方へ向かうと、世界の変化はより顕著けんちょに感じられた。

 徐々に増える喫茶店やヘアサロンの看板、おしゃれな雑貨店のショーウインドウ。この一画を突っ切り反対側へ歩いて行けば、かつて商店街だった通りが見えてくる。

 そして、そこが終着点でもある。


「うーん。ここ、最後に入っておきたかったわね、一緒に。そう思わない?」


 駅にほど近いところにありながら一度も入ることのなかった洋食店をのぞき込み、しのぎが呟く。立ち止まり、消えるまでのカウントダウンが長引くことに少しの喜びを覚えるが、気の利いた返しはできない。するとしのぎは、少し歩いたところでまた立ち止まり、思い出話を始める。

 その繰り返しだった。

 しかし悲しいかな、続いてほしいと願う時間は短く感じるのが人というもの。気がづけばすでに三分の二ほどまで歩いてきていた。

 もう少しで、しのぎを生き返らせることができる。正しい現実を創ることができる。それは願ってもないことだが、やはり最後の時間というのは堪能したい。

 何が言いたいかというと――もっとしのぎと話していたい、それだけなのだ。

 でも、繋いだ手がそれを許さない。

 しのぎは所々で立ち止まり話すことはあれど、確実に踏み切りへと近づいていった。もうすこしだけ、と足取りが重い僕を引っ張っていった。


 あの日は、逆だった。

 僕がしのぎの手を引っ張り、この道を歩いていた。まだおしゃれな店も数少なかったこの通りを、踏み切りに向かって歩いていた。

 夕陽が行く先を照らす。

 汗ばんだ手のひらを、しのぎは気にせず握って。

 急いだ足取り、されど背後のペースを気に掛けつつ、ちょっとの嬉しさを胸に進む。

 ――そして僕は、あの場所で罪を犯したんだ。




「怖い? タスク」




 遮断機の降りていない、時間のとまった踏み切りの前。

 僕と並び立つしのぎが、そう訊いてきた。

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