影をさがして 2
帰宅部の生徒たちが校門を抜けていく。
ある者は友達とつるみながら。ある者は一人で足早に。立ち話をして、ゴールデンウィーク中のできごとを語り合う集団も見える。
「……はぁ、はぁ」
私は肩で息をしながらそれらを見渡していた。
通り過ぎていく人、たった今出てきた人、すべてに視線を走らせていく。できれば先輩が何事もなく混ざっていれば万々歳なのだけど、そううまくはいかないだろう。『先輩がいた』という証拠がこうもきれいに消えているのであれば、もしかしたらすでに……。
いや、弱気になっちゃダメ。きっと私の考えすぎだ。
と、目立たないところで佇んでいる私に近づいてくる人影があった。
「あ、やっぱり。ゆらじゃない」
背が同じくらいの、女生徒。雰囲気からしてたぶん同学年。軽くクセのついた毛先を指で弄りながら、驚いた表情をしている。
「……?」
「どーしたのこんなところで。ビックリしたよ、今日退院だったんでしょ? 一人だけ私服で立ってるからちょっと目立ってるよ」
だ、誰この人……?
なんだいきなり馴れ馴れしく話しかけてきて。もしかして前に取材した人? でもこんな生徒と仲良くなった覚えはない。私が忘れているとも考えにくい。
「え、えっと、あなたは?」
「はい?」
「まずお名前を……」
「……」
口をぽかんと開けた彼女との間に、しばしの沈黙が訪れる。かと思うと、今度は心底心配した様子で私の
「ちょっとちょっと、ゆら本当にマズいんじゃないの? どこかに頭でもぶつけた? 記憶とんじゃった?」
初対面のくせにあんまりな物言いに、ム、と顔をしかめる。しかしそれすらもおかしく写っているようで、軽い態度で
……やはり知らない。私はこの人と話すのは初めてだ。絶対に。
この学校の新聞部として、それなりの生徒の名前を知っていた。さらに言えば、同学年で気軽に話しかけてくれる生徒など限られている。名前と容姿を結びつけて覚える私にとっては、彼女は見かけたこともないと断言できる。
「おーい、荒川。すまんな遅れて。行こうぜ――って、あれ?」
「あ、
合流してきた男子生徒に、私はギョッとした。
よく先輩と親しくしていた、噂を真に受けない珍しい同類。その彼が、見知らぬ女子生徒と親しげに話しだす。
そうだ。先輩ばかりを探していたけれど、幹人さんならなにか覚えているかもしれない。なにせ、あの先輩と仲良くしていた物好きなのだから。
「あっ、あの! 幹人さん!」
私はすぐに詰め寄った。
『荒川』と呼ばれていた彼女を押し
「え? お、俺がどうしたの? えーと……荒川、この子何ちゃん?」
「ゆらだよ」
「ゆらちゃん? その、俺になにか用……? 誤解を招くからちょーっと困るなぁお兄さん。ってかどこかで会ったっけ?」
チラチラと荒川という生徒の顔色を窺う彼の心中よりも、私の方が先だ。
はやる気持ちで、先輩の名を挙げる。
「せんぱ――御宇佐美佑という方を知りませんか? 幹人さんの同じクラスで、遊びに誘っても何かと理由をつけて断るひねくれ者です」
「おうさみ……たすく……」
「知っているはずです! 私が教室を訪ねるたびに愚痴ってたじゃないですか、『あいつはツレないやつだ』って!」
考え込んで、先輩の名前を口ずさむ幹人さん。その
私は願っていた。
少しでいいから、先輩を覚えている証拠がほしい。今なお消えていく先輩の存在を知っている味方に会いたい一心だった。
だが。
「……いや、ごめん。忘れてるだけかもしんねーけど、俺は初めて聞く名前、だと思う」
「な――同じ学年で、同じクラスだったんですよ!?」
「ウチにそんな生徒はいねえよ」
「そんなはずないッ! つい最近あった席替えで『近くなった』って喜んでたのは幹人さんです!」
「席替えなんかここしばらくやってないけど……」
「じゃあ斜め後ろの席に座ってるのはだれ!」
「や、野球部の日並だけど」
「違うッ! 担任の先生は!」
「
「なんで! 国語の四ッ谷先生でしょ!? 昼は誰と食べてるの!」
「誰って、そりゃあ……なあ?」
幹人さんは傍らに立つ彼女と顔を見合わせ、怪訝な表情を向けてきた。『頭だいじょうぶ?』とでも言いたげな反応に、思わず距離をとってしまう。
私の身体の奥底から、深い絶望感が支配していく。世界が遠のいていくような錯覚にとらわれ、震えた自分の声が漏れる。
「な、んで……? なんで、どうして覚えてない、の……?」
幹人さんは先輩のことなど微塵も覚えていない。それどころか、あの人がいた場所にはことごとく別の誰かが居座っている。
どこまで狂っているのだろうか、この世界は。あまりのことに目眩がして、軽くふらふらとしてしまう。
そんな私を気にかけてか、幹人さんのカノジョが支えてくれた。
「ゆら、きっとまだ疲れてるんだよ。ホラ、ね? 私送ってくから、今日はもう家で安静にしてた方がいいって。おおかた、病院で変な夢でも見たんでしょ。あはは――」
「笑わないでッ!」
自分でも驚くほどに大きい叫びとともに、肩へかけられた手を振り払う。
もう無理だ。
我慢できない。
あの記憶を、先輩との思い出を、『夢』……? ふざけるのもいい加減にしてほしい。お母さんも看護師も、幹人さんもこの見知らぬ女も、みんな異物を見るような目を向ける。
まるで、おかしいのは私の方だとでも言うように。
違う。
違うんだ、先輩はいた。絶対にいた。私は間違ってない!
「っ!」
「ゆら!?」
また私は逃げ出した。
もうイヤだった。
家も学校も、今見えている世界のなにもかもが、先輩の存在を否定している。私と先輩が生きていたあの世界はどこにも残っていない。
……そうだ。
私なんかに気さくに話しかけ、心配してくれる仲の良い友達など、いるはずがないんだ。私は先輩に付きまとっていたせいで、周りからも浮いていたのだから。
見知らぬ彼女が私に優しくしてくれるのは、私が孤独でないのは、箇条ゆらが御宇佐美佑と出会っていないからに他ならない。
つまり――先輩は、いない。
「うぁぁぁぁぁああああああああああああああっっっ!!!!」
人目も
唇を噛みしめ、無我夢中で駅まで走る。
灰色の空からはポツポツと雨が降り始め、全身を濡らしていく。身体も心も、世界は無慈悲に冷やしていった。
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