6章

影をさがして 1

 五月六日。午後三時。


 透き通った自動ドアをくぐり、私は外の世界を眺めた。

 退院。

 見慣れた空。立ち並ぶ木々。アスファルトの駐車場。病院ならどこにでもある風景が私を出迎える。空は曇天どんてん模様ということもあって、解放感も微々たるものだ。


「なにしてるの。車、あっちよ」


 お母さんの声がして、後を追いかける。

 今朝から衝撃的なことが起こり、気分は優れない。携帯から先輩とのやり取りの履歴どころか、連絡先すらもが消えていたのだ。

 綺麗さっぱり。最初からなかったみたいに。

 喪失感に襲われて、足取りもおぼつかない。

 それをお母さんに気づかれるとまた病室に閉じ込められるので、必死に取り繕って車に乗り込んだ。



 諦めきれない。

 後部座席で、流れる景色を睨みながら拳を握る。


 存在が消えるなんて、現実で考えたくはない。受け入れられる訳もない。例え死んだ人間が蘇ったとしても、行方不明者が出たとしても、存在そのものを失うなどという事実は信じない。

 母はどうせ忘れているだけだ。

 たかが携帯から先輩の情報が消えただけだ。

 本人が消えた証拠などどこにもない。

 まだ間に合うはず。明日……いや、今日からもう動き出そう。学校には休むと連絡を入れてあるが、背に腹はかえられない。家を抜け出してでも先輩を探す。

 先輩を探し出して、会う。次は離さない。つなぎ止めておく。


 そんな決意を胸に、私は帰宅した。

 しかしそこで、さらに残酷な現実が突きつけられる。




「――、」


 部屋に入って、絶句した。

 ごとん、と肩にかけたかばんを落とし、その場にへたり込む。


 目の前に変わり果てた自室が広がっていた。

 新聞部として、入院前は常に情報をかき集めていた。そのため、机の上はもちろん、床に散乱するほどまで資料が散らかっていたはずなのだ。

 しかし今は違う。

 それらしきモノが広がっているのは机周辺のみ。資料はある程度整頓され、入院まえとは比べものにならないほど揃えられている。広げられたノートは変わらず同じ状態だが、中身はまったく身に覚えのない取材内容。付せんに書き留められた電話番号も初めて目にする。


「なに、これ……」


 これはほんとに私の部屋だろうか?

 筆跡も、付せんをあちこちにつけるクセも私のものだ。けれど、あまりの違和感に目を疑う。

 そして、おのずと理解した。

 これまで積み重ねてきたものが、消えているということを。


 通りかかった母が、世界の終わりのような顔をする私に気づいた。


「ど、どうしたのあんた、まだ気分悪いの? 病院に連絡して――」

「お母さん」

「え?」

「私の部屋、掃除した……?」

「なに言ってんのよ。入院たって数日よ? 勝手に掃除したら怒るのはあんたでしょうが」


 ウソだと言ってほしかった。

 私をとりまく現実のすべてが夢だったほうがまだマシだ。

 携帯やお母さんの記憶に留まらず、私が調べまとめ上げた情報すらも改ざんされている。先輩に関する情報はないものとして扱われ、消えている。

 ここまでされて冷静でいられるわけがない。


「出かけてくる!」

「はい!? ちょっ――ゆら! 退院したばかりなんだから安静にしてなきゃダメでしょ! 待ちなさい!」


 制止など無視して階段を駆け下り、転びそうになりながら靴を履いて飛び出した。

 居ても立ってもいられなかった。とにかく事実がほしかった。

 先輩が存在したという証拠が、この広い世界のどこかにはあるんじゃないか? 少なくとも一人くらいは覚えている誰かがいるのではないか?


 私はそんな淡い希望を持って駅に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る