消えていく 5

「みんな、私に囚われすぎなのよ。私が消した人たちも、母親も、そしてタスクも」


 すぐ横でささやかれる言葉に、思わず固まる。

 しのぎは、写真の少女から目が離せなくなった僕の手に触れ、無知な子供を宥めるように続ける。


「辛い思いをさせてごめんなさい。あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。見てきたもの」

「見て、きた……?」

「ええ。かつての友人からはかたきのように恨まれ、母親からは『私の代替品』としてしか見られていない、ひとりぼっちのあなたを見てきた」

「ちが――」

「違うとは言わせない」


 しのぎの声は冷えきっていた。

 まるで僕の知る姉とは別人のように、静かに怒りを込め、反論を遮る。有無を言わせぬ迫力に思わず口を閉ざしてしまった。


「母親はタスクを、私と同じくらい愛そうとした。だから生前の私になるべく近づけるために、色々なことを強制した。でもその結果はどう? ということに気づいて、目の届かない遠くへ逃げた。捨てたのよ、あなたを」

「――、」


 しのぎは、僕が気づかないフリをしていた事実をためらいなく告げた。

 普段の生活において、必死に考えないようにしていた母親との関係性。それを強引に直視させられ、心の奥から乾いていく。今ここにいる自分がとてつもなく無価値に思えて、消えたくなる。やり直しがきかないこの人生を、終わらせたいと思ってしまう。

 もしこの場にしのぎが居なかったら、自殺すらしていたんじゃないだろうか。それくらいの大きなショックと落胆が支配した。


 そんな僕に、甘い声でうたう。


「――だからね、やり直すの」

「……え」


 顔を上げると、姉が神を盲信するように両手を広げた。


「もうすぐがやってくる。私が死んだあの日が」


 あの日。

 踏み切りで起こった、輝かしい生活が終わった日。

 僕が生き残って、姉が死んだ日。

 罪を永遠に背負うことになったあの日。


 それを、やり直す?


「あの日のために準備は整いつつあるわ。私たち二人は、死んでいて生きている曖昧な存在へと成り代わった。世界から私とタスクの存在は消え、空白になり、どちらが収まっても問題ない状態になる」

「どういう、こと……?」


 震えた唇で聞き返す。

 しのぎは顔色ひとつ変えずに告げる。


「選び直せるのよ。御宇佐美しのぎと、御宇佐美佑――『あの日死んだのがどちらなのか』を」


 もはや僕の中の現実など信じ切れなくなっていた。


 嬉しそうな微笑みは同じでも、本性がまったくの別人だったしのぎ。

 消えていく人々。忘れられていく僕ら。

 全てを変えたあの日をやり直せるチャンス。


 おかしくなりそうだ。これが夢だと言われても信じるくらいだ。

 なのに、しのぎの言葉は現実だと思わせる不思議なチカラを持っている。


「タスクが生き残れば、すべて元どおり。何も変わらない。私が生き残れば、『あの日死んだのはタスクだった』という歴史に置き換わる。どちらか生き残った方が、『今』に至れる」


 やり直し。

 現実の。

 今までの。


 それはつまり、僕や母さん、良二、甘坂、花宮……しのぎの死を悼む、すべての人の願望を叶えられるということに他ならない。

 しのぎの死を経験した僕が生きてきたように、今度はしのぎが僕の死後の世界を生きていく。そんな世界へと創り変えることができる。


「未来を選ぶのはあなたよ、タスク」


 これは神がもたらした褒美だろうか?

 それとも、悪魔がかけた呪いだろうか?


 どちらにせよ、答えはすんなりと確定した。

 普通であれば笑い飛ばす話の結末を、混乱した頭が決める。


 僕は――死を選ぼう。

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