消えていく 4

「それにしても、消えるペースがはやいわね。私がはっきり見えるようになったことで、準備が整いつつあるのかも」


 しのぎがポツリとこぼしたのは、帰宅後、夕食を済ませ洗い物を手伝っているときのことだった。

 叔母さんの愛用していた食器をカチャリと置きながら、感慨深そうに目を細めるその佇まいは、これがどうしてか様になっている。

 腕まくりをして台所に立つ後ろ姿を見つめていると、長年生活を共にしてきたかのような錯覚すら覚える。そんな訳がないのに。


「あ、そうだ。お母さんが消えたのはちょっと前だから、まだ残ってるかな? ね、タスク、見に行ってみない?」

「見に行くって、何を?」


 勝手に話を進めるしのぎに聞き返すと、人差し指を二階に向けてニコリとした。


「私たちの思い出よ」








 やってきたのは、母親の書斎だった部屋だ。

 しのぎは埃のかぶったデスクを無視して、壁際に並べられた本棚の扉を開ける。そして、背伸びして一番上の段に手を伸ばした。

 背伸びしても届いてないけど。

 身体が縦方向に伸びたとはいえ、生前との差はあまりない。幽霊に栄養とかそういう概念があるのかは疑問だが、成長は別の部分に使われたらしい。

 しのぎは小さくため息を吐くと、僕を振り返った。


「タスク、とって」


 言われたとおり、一番上の段の奥に手を入れる。すると、固い箱に指が当たった。

 引っ張り出すと、四角い缶の箱だった。お土産屋さんでよく見るタイプのもので、それなりの大きさ。包装紙は巻かれていないが、おそらく煎餅でも入っていたのだろう。重さはあまりなく軽いが、煎餅とは別のなにかが入っていることが分かった。


「ほら、開けてみて」


 急かされるままに、母親のデスクに置いてフタをひらく。すると中からは何枚もの写真が出てくる。


「うわ、私が写ってるのばっかり。あの人ほんと、タスクのことをどう思ってるのか……仲間はずれなんて酷いわよね」

「……」


 しのぎを思い出すのが怖くて、アルバムをのぞいたことは一度もなかった。だけど、あの母親はしのぎの写真を軒並みここへ保管していたようだ。

 写真には生前――幼い頃のしのぎが写っている。

 家族でピクニックに行ってサンドイッチを頬張ほおばるしのぎ。テーマパークで列に並ぶしのぎ。母親と手を繋いで微笑むしのぎ。日常の何気ない一瞬を撮ったしのぎ。

 覚えているものから覚えていないものまで、ありとあらゆるしのぎの生前。それを収めた写真が、数えきれないほど。

 母親がどれだけ娘を愛していたかが窺える宝物だった。


「はぁ……」


 それを見たしのぎはあろうことか、ため息を吐くではないか。やれやれといった調子で。


「愛してくれるのは嬉しいけれど、これはやりすぎね」


 僕は唖然とした。

 ここまで親に大切にされているというのに、姉はその証を呆れた目でめくっているのだ。

 理解できなかった。あの礼儀正しいしのぎがこんな反応をすることが、とんでもなく異質に思えた。

 と、視線に気づいたしのぎが淡々と答える。


「考えてもみて。あの母親は私を愛していた。溺愛と言ってもいいほど。でも私の死後、お母さんはどう変わった?」

「どうって……?」

「母親として、残されたあなたをどう見ている? あなたに何を求めてる?」


 姉を失った母親が、僕をどう見ているか……?


 その問いかけに、これまでの日々を回想する。

 人が変わったように厳しくなる母。細かい仕草や作法など、小言を言うようになり、守れないと機嫌を悪くする。ことあるごとにしのぎが引き合いに出され、比べられる。食卓から会話は消え、代わりに父親との言い争いが食後の居間に響く。家での食事は味がしなくなった。やがて父が蒸発していなくなり、母だけが夜遅く帰る毎日に。疲労と僕に対する苛立ちを酒で紛らわす。最後には『仕事だから』と家を出て、代わりに親戚の叔母さんがウチにやってきて……最近は電話であれこれお小言を飛ばしてきていた。


「……」


 世界からいなくなった母親の、長い年月を経て現れていた変化を、僕が知らない訳がない。


「あの母親は、なにを求めてる? 答えてタスク」

「……」

「わかっているのでしょう?」


 母親が、僕に求めているもの。重ねているもの。

 ああ、知っている。痛いほど理解している。気づきながらも目をらしてきたものだから。黙って受け入れてきたものだから。

 それは――


「――しのぎ、」









「正解」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る