03●人はなぜ月へ行くのか? 両作品はここが違う!
03●人はなぜ月へ行くのか? 両作品はここが違う!
クラークとハインライン、それぞれの作品同士の月着陸レース。
ゴールインの地点は、どこだったのでしょう?
●月面着陸地点の一致……
『宇宙への序曲』では、地球を飛び立ったプロメテウス号がめざす月面の着陸地点は“マレ・イムブリウム”すなわち“雨の海”とされています。【宇44】
『月を売った男』では、地球を飛び立ったパイオニア号が着陸したのは“アルキメデス・クレーターのすぐ西”とあります。【デ352】
そこでネットの“月面写真集”などを参照しますと……
“アルキメデスは雨の海の東部にある直径83㎞のクレーターです”とのこと。
つまりパイオニア号は、“雨の海の東部にあるアルキメデス・クレーターのすぐ西に着陸した”ことになるので、要するに“雨の海”に降りたわけです。
両作品、月面の着陸地点も一致していました。
にしても、『宇宙への序曲』のプロメテウス号、操縦室の“計算回路と制御回路だけでも三千個の真空管がある”【宇45】のですから、たいしたものです。真空管で原子力ロケットを操って月面を目指したのですから。凄いぞ!
●クライマックスはどちらも、カタパルト発進のシーン……
長大なカタパルトを疾走して大空へ、そして大宇宙へとロケットが打ちあがるシーンは、二十一世紀の現在でも実現されていない、壮大なクライマックスですね。
『宇宙への序曲』では、ついに準備万端整えたプロメテウス号が、ビッグベンの鐘の音とともにオーストラリアの原野に敷かれたカタパルトを走り、宇宙へと船出します。【宇253-259】
この場面の描写は荘厳にして壮麗、古今東西の宇宙SFきっての名場面でしょう。
とにかく美しい!
原子力モーターに点火、横腹に陽光をきらめかせて、天空はるかにそびえる雲の大伽藍をまっしぐらに昇りゆく、光の天使。
この感動、半端ではありませんぞ。
これは、私利私欲の行為でなく、人類全体の神聖な偉業ということです。
登場人物のドラマというよりも、“人類かくあれかし”と説き、人智を超えた何か偉大な存在へと手を伸ばす……
実に、クラークらしい場面作りですね。
ぜひご一読をお勧めします。
さて一方……
『月を売った男』では、可能な限り大型化された月宇宙船メイフラワー号が、パイクス・ピークの峰に建設されたカタパルトを突進し、天空へ舞い上がります。【デ388-389】
※ハリマン氏が最初にカタパルト打上げ方式の月旅行船として調達した中古ロケット“サンタ・マリア号”を放棄して、物語のラスト近くで新たにカタパルト打上げ専用船として建造したのが、メイフラワー号とコロニアル号です。
プロメテウス号、メイフラワー号ともに、ロケットモーターは原子力です。
そのため、電磁カタパルトによって空高く射出され、安全な高度を取ってからメインエンジンに点火、ピカッと光芒を弾かせて宇宙へと駆けあがる……というシークエンスも同じです。
両作品とも、メカニカルな部分は、お互いに作者が打ち合わせたかのように、瓜二つなのです。
さて、『月を売った男』のカタパルト発進シーンは、別な意味で感動を添えてくれます。
大望をかなえて月宇宙船を見送る、主人公のハリマン。
まるで“モーゼが約束の地を見渡した時のような”姿だと描写されます。【デ389】
この作品が、月への夢と執念に憑りつかれた一人の男のヒューマン・ドラマであることを示しているのです。ハインラインらしい、さすがの演出ですね。
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このように『宇宙への序曲』と『月を売った男』を読み比べますと、クラークとハインラインが同時期に、互いに示し合わせて、1978年という同じ未来の年を舞台に、同じ条件で、どちらが月世界一番乗りを果たすか……というテーマで、それぞれ競作したのではないか、という思いすらしてきます。
読者の頭の中でこの二つの作品を重ね合わせますと、パラレルワールドの1978年に、英国(クラーク)と米国(ハインライン)、二つの宇宙計画が、ほとんど同じ条件で同時進行しているように読み取れるのです。
ということで……
クラークとハインラインの両作品、おそらく月旅行のフライトプランはネタ元が同じなのか、それともお二方とも頭脳が天才級なだけに、作品の発想を吟味すればするほど近づいてしまったのか……と思えるほどクリソツ感満載なのです。
が、しかし、ある点においては、全く両極端といえるほどに異なっていて、そこが両作品それぞれの大きな魅力を形作っていることに驚かされます。
“人はなぜ月へ行くのか?”という原初的なテーマの部分です。
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●人はかくして月を目指す。両作品の大きな違い。
『宇宙への序曲』では、人類は何ゆえに宇宙を目指すのか? という命題について、思索的なアプローチが多岐にわたって展開します。月着陸の実利的なメリット、デメリットは副次化され、登場人物の私欲は捨て去られ、ときに神学的とも思えるほど形而上的な議論が交わされます。
文明論の見地から“文明は静止せず、立ち止まったら死ぬ”と指摘し【宇65-70】、文化論の見地からバーナード・ショー、テニスン、そして神学上の見地からオックスフォード大学のC.S.ルイス…おそらく、この作品が出版される前年の1950年に“ナルニア国物語”を発表した神学者…の発言までも俎上に出して、宇宙における人類のありようが語られます。【宇118-144】
つまり、この作品は哲学的なのです、耽美なほどに。
実際、インタープラネタリーに集う学者たちは、“たまたま科学者である夢想家……なんなら詩人と言ってもいい”と評されています。【宇121】
けだし、作者のクラークこそ詩人なのです。
それゆえ、彼らの月旅行計画の学術的価値は“金にはまったく換えられない”【宇108】と、高邁な理想を掲げるのですが、一方で“月の領有権問題”が持ち上がります。月面に英国国民が行くからには、そこは大英帝国の領土たるべきであり、軍事占領の対象となるのではないか? と主張する人物も現れるのですが、インタープラネタリーは志を高く掲げて宣言します。
“宇宙には国境を持ち込まない”……と。【宇151】
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余談ながら、この宣言を発することができたのは、インタープラネタリーが民間の国際的非営利団体であったことにも起因するでしょう。国家丸抱えでなく、自由な市民の自発的な意志で運営される組織であることが、彼らの精神的支柱であったということです。
“国家の枠を超えた個人”による自由意思の事業体という発想は、ある意味、英国的であるといえるのかもしれません。
というのは、この考え方がのちの世の1965年に、やはり英国制作のTV人形劇『サンダーバード』に見事な結実を見せたからです。
国際救助隊を運営するのはジェフ・トレーシーという、国家の枠組みを超越した個人であり、その活動はいわば“金持ちの趣味と道楽の慈善事業”です。だからこそ国籍にとらわれないボランティア精神で、しかも無報酬だからこそ好き勝手に、ダイナミックな救助活動を展開できたということですね。
それゆえ他の作品では不可能な、決定的な魅力を獲得したことは確かでしょう。 『スティングレイ』も『キャプテン・スカーレット』も、“お
ジェフ・トレーシー氏は地上のいかなる国家権力にも隷属しない自由人であり、何者に対しても対価を求めません。その高潔さが作品に胸のすくような永遠の生命を吹き込んでいるのですね。
そう、『サンダーバード』が今なお素晴らしい輝きを放ち続けているのは、かれらの組織が、個人の意志に基づく気高いグレート・ボランティアだからなのです。だから誰が見ても、いつまでも、カッコいい。
ただし2004年の米国制作の実写映画『サンダーバード』はたまたまタイトルが同じ全くの別物と受け止めるべきでしょう。物語の終わり近くでジェフ氏が大統領(女性大統領みたいですね。作品の設定年が2020年ですから、あのT氏でなくH女史が当選されていたのかもしれません)から電話を受けて嬉しそうに舞い上がる様子に出会ったとき、観客の私はファン心がポッキリと折れて、愕然としたものです。
ダメですよ、政治家のポチに成り下がっては!
60年代の人形たちのように、徹頭徹尾、個人の
実写版ペネロープカーがロールスロイスでなかったことは、むしろ幸いだったことでしょう。見ようによっては、偉大なるサンダーバードのモドキ・コスプレをしたアメリカのチャラいオタクたちが、あろうことかペネロープ嬢のナワバリであるご当地ロンドンのド真ん中をヒャッハーと荒らしまくるお話になってしまったのですから。
これは2010年の宇宙戦艦ヤマト実写版『SPACE BATTLESHIP ヤマト』と同様に、“コスプレ大会の記録映像”と理解してあげるのがいいでしょう。それはそれで楽しめること、請け合いですので。
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本題に戻ります。
ことほどさように、『宇宙への序曲』には、イデオロギッシユな国家の縛りから解き放たれた科学者たちの理想郷が創り出されています。
それはSF作家クラークの理想郷であり、若かりし彼の情熱の産物ということでしょう。
それゆえに、クライマックスの月ロケット打ち上げシーンは、限りなくロマンティックです。
クラーク三十代の処女長編。
若き情熱とロマンを追い求める探究者の精神。
それは、彼らの職場であるインタープラネタリーの窓から望まれるテムズ河の対岸に繋留保存された老骨の探検船ディスカバリー号(※)の雄姿に重ねられています。
悲劇の隊長スコットを最初の南極探検に運び、生還させた幸運の
そうですね、木星へ向かったあのディスカバリー号の由来は、これでしょう。
クラークの原点が、そして1950年代以降の世界的なSFブームの出発点のひとつが、この『宇宙への序曲』ではないでしょうか。
神聖な使命に奮い立つ魂を感じられる傑作。
地味ながら、筆者にとってクラークの作品でとりわけ大好きな一篇です。
※ここで登場するのがディスカバリー号でなくテラ・ノヴァ号だったら、インタープラネタリーの月旅行計画に不吉な影を落としたことでしょう。ロバート・スコットの第二回南極探検で使われた船であり、この時スコットは南極点到達レースでノルウェーのアムンゼンに敗れ、そのまま遭難、船に戻ることなく絶命したからです。
スペースシャトルにもディスカバリー号がありましたが、さすがにテラ・ノヴァ号の名前はありません。皆様も自作の小説でテラ・ノヴァ号の名前を使われるときはぜひご留意ください。テラ・ノヴァという言葉の意味は目出度いのですが、その船はついにスコットを帰還させることができなかった、片道切符の探検船なのですから。
*
さて、それではハインラインの『月を売った男』で、主人公ハリマン氏はいかなる理由で月を目指したのでしょうか。次章に考察します。
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