[9-5]王女、相談にのる(下)


「姫様、どうした?」


 リビングルームに行くと、ライさんが椅子に座ってグラスをあおっていた。


 暖炉の火がついていて、部屋の中はあたたかい。

 深夜に顔を合わせるライさんはゆったりとしたシャツとやわらかそうな上着姿で、なんだか新鮮な気持ちになる。いつも昼間は貴族服を着込んでいて、きっちりとした印象だったから。


「なんだか眠れないから、お水を飲もうと思ったの。ライさんは何を飲んでいるの?」


 グラスにたっぷり入っているのは透明な液体だった。

 近くに瓶はないし、ライさんの顔色も変わっていない雰囲気だから、お酒ではないと思うのだけど。


 でも、彼にとって今の状況は、お酒を飲まずにはいられない状況には違いないのかな。


「ああ、ただの水だぜ? 眠れないからって、さすがに酒は飲まねえさー。明日は大事な仕事が待ってんだからな」

「そっか」

「姫様の分も持ってきてやるよ。そこに座って待ってな」


 ライさんは嫌な顔ひとつせずに、グラスをもうひとつ持ってきてくれた。

 たっぷりとお水を入れてくれたそれを受け取って、口につけ傾ける。

 ひんやりとしたお水が喉に流れていって、心地いい。


「ありがとう、ライさん」

「どういたしまして。それより俺、姫様に謝りたくてさ。さっきは怖がらせて悪かったな。場をわきまえずについ、カッとなっちまって。本当にごめん」


 まっすぐに目を向けてから、ライさんは頭を下げた。

 突然の謝罪に、あわててわたしは声をかける。


「そんな気にしないで、ライさん。突然に色んなことがあったもの。仕方ないわ」

「いや、緊急事態なんか言い訳にならねえよ。だいぶ仲良くなったと言っても、俺は魔族だ。姫様やケイトのことを考えて、ちゃんと振る舞いには注意しねえとダメだったんだ」

「それはそうかもしれないけれど……。でもわたし、びっくりしたわ。ライさんとノア先生が付き合っていただなんて」


 きっと彼なりに反省してからの謝罪なのだろうけど、いつまでもライさんに罪悪感を持たせたくなかった。

 なんとなく話題を明るい方にと思って変えてみたら、うまくいったみたい。

 ライさんがにやりと嬉しそうに笑う。


「付き合い始めたのはここ数日だからなー。ていうか、会ったその日に口説いてオーケーもらったんだぜ?」


 会ったその日に!?

 ということは、もしかしてライさんは、


「ノア先生がキリアの診察しに来た時から、もう関係は始まってたの?」

「そういうことになるな。キリアにバレたら、またドヤされそうだけど」


 ライさん、素早い。

 わたしなんて、どれだけキリアに近づこうと思ってもぜんぶかわされちゃうのに。

 ノア先生と違って、わたしはまだ大人じゃないからかな。アプローチが足りないのかしら。


「ライさんはいつからノア先生が好きだったの?」


 参考にしたいなという、ちょっとした気持ちだった。

 立場は逆だけど、なにかキリアに近づけるヒントが見つかるかもしれない。なんと言ってもライさんはキリアの親友なのだし。


「そうだな。姫様と診療所でノアに初めて会った時から、かな。医者としてのプロ意識だったんだろうけどさ、患者を診るのに種族は関係ないっていうあの言葉がさ、胸に刺さったんだよなあ」


 そう言って、ライさんは濃い緑色の目をわずかに細めた。

 いつも明るき輝きを放つその目に少し影が落ちたような、気がした。


「姫様はさ、キリアに帝国で俺が何をやらかしたか聞いたんだろ?」


 それってシャラールを復興させるために、帝国の皇帝に反逆したことかしら。


「ええ、聞いたわ」

「そっか。だから姫様には話すけどさ、俺の実家って帝国内でもかなり力のある貴族でさ。で、俺の親父はヒトを食べたことがあるグリフォンなんだよ。主に標的になっていたのは獣人族の女子供ばかり。だから屋敷の中は獣人を閉じ込めている檻でいっぱいで。魔族じゃねえからって獣人たちを痛めつける親父が、世界で一番大嫌いだったんだ」


 そういえばケイトさんが前に言ってたっけ。獣人のひとたちはグリフォンを本能的に怖がるって。

 どうしてなのかわたしは分からなかったけど、獣人族はグリフォンの魔族たちの標的になりやすいのかもしれない。


「皇帝は、正してくれなかったの?」

「正すわけがねえさ。前にクロも言ってたけど、皇帝は国民たちに他種族狩りを推奨してるくらいなんだぜ?」

「そんな……」


 そんなのひどい。

 自分達以外の種族を狩るだなんて、まるで魔族以外は人として扱っていないみたいじゃない。


 気持ちが暗くなって、心臓のあたりが石のように重たくなる。

 グラスを握りしめたままうつむいていたら、ライさんはそんなわたしに「だけどさ」と声をかけてくれた。


「俺はずっと、獣人たちと友達になりたかったんだ。まあ、グリフォンってだけで怖がられるし、この通り俺ってすぐに頭ん中が熱くなりやすいタチだから、さ。会って早々ケイトにも怖がられるし。でもノアは対等であろうとしてくれて、その姿勢がすげえなって思ってさ。それが気になり始めたきっかけだなあ」


 全然、気が付かなかった。

 初めてノア先生と顔を合わせたあの瞬間から、ライさんは恋に落ちていたんだ。


 でも今思い返せば、ライさんは〝雪テンの診療所〟の看板を見た瞬間、顔を引きつらせていたわ。

 あれって、また獣人さんに警戒されてしまうのをライさんが怖がっていたのかもしれない。

 仲良くなりたくて近づきたいのに、壁を作られるのはつらいもの……。


「姫様はキリアのことが好きなんだろう?」


 一瞬、心を読まれたのかと思っちゃった。

 思わずライさんの顔を見ると、彼は瞳を和ませてやわらかく微笑んでいた。

 考えていることがぜんぶ顔に出ちゃったのかな。だんだんと恥ずかしくなってきて、顔が熱くなる。


「ライさん、分かってたの?」

「なんとなくだけどな。なにか俺に相談したいことがあるなら聞いてやるぜ? 何でも言ってみ」


 まさか、ライさんの方から聞いてもらえるだなんて。

 何から話したらいいかしら。頭の中がぐるぐるして、うまく考えがまとまらない。


「キリアのことが分からないの。思いきってわたしのことをどう思うのか聞いても、自分は騎士だからって、それしか言ってくれなくて。好きとも嫌いともはっきりしなくて、とても歯痒いの」


 いっそ嫌いだと言ってもらえれば、楽になれるのかしら。

 でも面と向かってそう言われた日には、すごく落ち込んで立ち直れないような気もしちゃう。


「へー、姫様大胆だねえ! ったく、キリアもしょうがねえヤツだな。また小難しいことを真面目に考えすぎてんだろ」


 軽く笑い飛ばしたあと、ライさんはグラスをもう一度あおった。


「ま、だけどキリアが姫様を嫌いなはずがねえよ。あいつは人間だった時も生粋の騎士だったみてえだし、俺以上に自分の立場について思うところがあるんだろうさ」

「自分の立場?」

「そ。姫様は王族、俺達は帝国の指名手配犯。身分的には姫様の方がずっと上だ。だからキリアは自分から姫様に自分の気持ちを言うことなんてできねえんだと思う。だからさ、姫様、一度思いきってキリアに告白してみたらどうだ?」

「こ、告白!?」


 思わず大きな声が出ちゃった。

 すぐに口を押さえたけど、もう遅いよね。みんな起きてこないといいけれど……。


「告白って、わたしがキリアに好きだって伝えること?」

「そうだぜ、姫様。キリアの本当の気持ちはキリアにしか分からない。待ってるだけじゃなにも変わらないと、俺は思うんだ」

「それはそうなのだけど……」


 男のひとに自分から告白するだ、なんて。

 わたし、今まで全然考えたことがなかったわ。


 ライさんの言ってることは理屈が通ってるし、正論だと思う。けど、いざ自分から付き合ってくださいって言うのは、なんだかためらってしまう。


「うんうん、分かるぜ。姫様だって一人の女の子だもんな。やっぱり男から告白されたいよな。でもな、キリアは吸血鬼の魔族だってことを姫様には分かっていて欲しいんだ」

「うん。分かってるよ……?」


 初めて会った時から、キリアが吸血鬼だってことは知っていたもの。


 ライさんが言わんとしていたことを、わたしは本当の意味で理解していなかったみたい。

 眉を下げて困ったように笑ったあとで、ライさんは真剣な目で続けてくれた。


「吸血鬼の連中は、俺達みたいに普通の方法では子孫を残すことができない。これは相手がどんな種族でも例外はない。キリアが子供を作るには他種族の子どもを襲って吸血鬼に変えるしかねえんだよ」

「えっ、そうなの!? でもキリアは……」

「もちろんキリアはそんなこと、絶対しねえさ。だから吸血鬼になると家族を持つことを諦めるヤツもいる。キリアも同じだ。姫様がキリアと一緒になれば、跡継ぎは望めない。ちょっと先のことを考えすぎかもしれねえけど、王族としてこれは重要なことだと思う」

「そうね……」


 ライさんの言う通りだ。

 吸血鬼の魔族に会ったのは初めてだったし、全然知らなかった。

 キリアは吸血鬼に変えられて人生を狂わされたって言ってたけど、このことも含まれていたのかもしれない。


 王女であるわたしが誰かに想いを告げるということは、その人を生涯の伴侶として選ぶということ。

 たとえ最初はただの交際だとしても、変わらない。


 国のために子孫を残すことは、わたしが王族として一番に考えなきゃいけない。


 だけど——。


「それでもキリアのことが好きなの。彼のそばにいて、傷ついた心が癒えるように支えたいの」


 いつも平気そうにしてるけど、故郷のことを話すたびにキリアは苦しそうだった。

 シャラールはもう復興してるのに、それでも泣きそうな顔をしてた。


 キリアの優しいところは好きだけど、そういう繊細なところももっと好き。


 わたしにできることで、彼の支えになりたい。


「そっか。それでも姫様がキリアを選ぶって言うなら、いいアドバイスがあるぜ。あいつが頷くまで強気で迫りまくるといい」

「せ、迫りまくる!?」


 告白から難易度がだいぶ上がったんだけどっ。

 しかも強気にって……。今も向こうが壁が作ってる状態なのに、強気でそんな態度に出ちゃったら、逆に引かれるんじゃないかしら!?


「大丈夫だって。ああ見えてキリア、の押しには弱いんだ。俺で大丈夫だったんだから、姫様ならイケるさ」


 ライさんはにやりと笑って、自信たっぷりにそう言い切ったのだった。

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