[9-2]王女、パニックする
ロディ兄さまがノア先生を連れ去ってしまった。
その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ白になった。
「クロ、どういうことだ!?」
ライさんが部屋中を震わせるほどの大きな声をあげる。
腰を床に落としてうなだれた姿勢のまま、クロはぽつりぽつりと語り始めた。
『街を巡回していたら、ロディを見ました。彼はボクが死んでいると思っていますからすぐに身を隠したんですけど、様子を見ていると妙な感じがしたんです』
「妙な感じって?」
穏やかな声でガルくんが尋ねる。
黒目を彼に向けて、クロは口を開いて答えた。
『大勢の兵士を伴って、どこかへ向かっているようでした。なんとなく嫌な予感を覚えて、気付かれないように尾行していたら、ロディはノア先生の診療所に入って行ったんです』
「えっと、ノアさんの診療所って言うと、キリアさんを助けるために協力してもらったっていうあの〝雪テンの診療所〟のこと?」
『そうです。ロディはどうやら、キリアが命を取り留めたことを突き止めていたようです。治療したのがその診療所に所属する医者だということも、知っているようでした。反逆の罪でロディはまとめて連行しようとしたんですけど、ノアがキリアを診察したのは自分だと名乗り出たんです。たぶん、ご家族や診療所の患者さんたちを巻き込みたくなかったんだと思います』
わたしのせいだ。わたしがキリアの往診を、ノア先生に頼んだりしたから。
どうしよう。
「お前はそれを黙って見てたっていうのかよ!? 相手は魔族なんだぜ。なんで助けてやらなかったんだ!!」
足早にライさんが近付いてくる。
強く睨み付けて見下ろす表情は鬼気迫っていて、つり上げた鋭い目はまるで獲物を狙う獣のようだった。
わたしに向けられたものではないと分かっていても、思わず肩が跳ねてしまう。
どうしよう。今、ライさんがすごくこわい。
震え始めた指先を握りしめていると、カツカツという靴が床を鳴らす音が聞こえた。
ふと顔を上げたと同時に、キリアが遠慮なくライさんの後頭部を殴ったのが見える。
「落ち着くんだ、ライ。どうしてきみが取り乱すんだ。姫様やケイトが怯えるじゃないか」
「……悪い」
キリアの言う通り、ケイトさんの様子はいつもと違っていた。
顔色はいつもと変わらないように見えたけど、青藍色の三角耳が下がってプルプル震えている。
ようやく冷静になったみたいで、ライさんはもうクロを睨みつけたりしなかった。
背中を丸めて、眉を下げて床を見つめている。
もう落ち着いたの、かな。
と思っていたら、すぐに顔を上げ姿勢を正して、ライさんはきびすを返した。
けど、キリアが無言で足を引っ掛けると、歩き出そうとした途端、盛大に転けてしまう。
顔を床に打ち付けるすごい音がしたんだけど、大丈夫なのかしら。
「何すんだよ!!」
がばりとすぐに起き上がって、ライさんはキリアに抗議している。
心配なかったかなと思ったけど、鼻が真っ赤になってるからあまり大丈夫じゃないかも。
さっき足を引っ掛けた時も、ライさんの怒りを真正面から受けている今も、キリアはすごく冷静だった。
瑠璃紺の両目は揺らぐことなく、相手を見据えている。
「それはこっちのセリフ。どこに行くつもりだ。まさか、一人でノアを助けに行くつもりじゃないだろうな」
「助けに行くに決まってんだろ。文句あるのか!?」
「あるに決まっているだろう。王城に単身で向かうつもりか? 無謀すぎる。一体どうしたんだ、きみらしくもない」
「どうしたも何もあるか! 俺の女を俺が助けなくて、誰が助けるっていうんだよ!!」
え。
「俺の女」って、どういうこと?
「——は?」
目を丸くして、キリアも石のように固まっていた。
だけどわたしと違い、唇を震わせながらもなんとか動かしている。
「ちょっと待って。理解が追いつかないんだけど、え、何。つまり恋人同士ってこと? きみとノア、いつからそういう関係だったんだ?」
「だからそう言ってんじゃねえか! つか、今そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?」
ええー! そうなの!?
イライラとライさんに返されても、キリアは動じていない。
ううん、別の意味で動揺してしまってる。わたしもびっくりすぎて、頭が追いつかない。
「いや、そうなんだけど。ああ、もう! ほんっとに、おまえは自由なヤツだな!? 皇帝に反逆者として追われてるのは、ライだって俺と同じだっていうのに!!」
どうして今度はキリアまで怒り始めているんだろう。
ノア先生はどうなっちゃうのかな。
いつものロディ兄さまは食べたりはしないだろうけど、今は分からない。精神が呪いに侵食されているのなら、兄さまがどんな行動に出るのかわたしも分からないもの。
殺さないまでも、わたしやキリアの居場所を聞き出すため、ノア先生が危害を加えられたりしたら——。
どうすればいいの!?
兄さまの狙いがわたしなら、お城に一人で行けばノア先生を解放してくれるのかしら。
「どしたのー、ひめさま」
間延びした明るい声がしたと思ったら、後ろからぎゅっと抱きしめられた。
振り返ると、ふんわりと微笑んだシロちゃんがわたしを見上げている。
儀式がやっと終わったのかな。
氷の洞窟では透明になりかかっていたけど、今はそうじゃない。
抱きしめてくる細い腕にはちゃんと力がこもっている。
「ノア先生が、連れて行かれちゃったの」
「んー? ノアって、どのヒト?」
わたしったら忘れてた。
まだシロちゃんはノア先生に会ったことがないのに。
どう説明したら、この子には分かってもらえるのかしら。
「よく分かんないけど、悲しそうな顔をしないで。ひめさまはシロとリシャのために心をくだいてくれたもん。だからシロも力になるよっ」
「……うん」
純粋な優しさが、すっと胸の中に入っていく。
初めて会った時には敵意を見せるくらい、シロちゃんだって人嫌いだったはずなのに。
今では力強く励ましてくれてる。
シロちゃんは正面にまわってぎゅっと手を握ってくれた。
手のひらから温もりは伝わってこないのは、普通の人じゃないからなんだろうけど。
でもこの子は、わたしたちと同じ心を持っているわ。
「この家はずいぶんと騒がしいね。深刻な事件でも起こったか?」
少し弾んだような声に視線を向けると、リシャさんが微笑を浮かべたまま立っていた。
白い鳥の翼と竜の尻尾はなくなっていて、耳は尖ったまま。両目もライトグレーと青銀色のオッドアイだったのが、青銀一色になっている。
キリアやライさんみたいな魔族の姿。今の状態が、本来のリシャさんなのね。
儀式を済ませて、普通の人族に戻ったんだ。
たぶん誰かが用意したんだろうけど、服も薄い生地のものから厚い布の魔法使い風の衣装に着替えていた。
ローブみたいな衣装を好むのは、もともと精霊使いだからかな。
けど、無防備だった足もとも、今はちゃんとブーツを履いていて防寒は完璧。ちょっとホッとした。
「まったく。リシャール、どうしてあんたはそう楽しそうなんだ。ただならぬ事態だっていうのは見れば分かるだろうに」
ため息混じりに、そう苦言を呈したのは冥王竜だった。
あきれたような目をするかれに、リシャさんはクスリと笑みをこぼす。
「そりゃ楽しくもなるだろう? 突然おとずれた危機的状況に、おまえたちがどう立ち向かうのか。面白くなりそうな展開だね。私は傍観者として見させてもらうよ」
「キリアがあんたに言ったのは、昔の王族としてティア達がどう治めていくのかこの島国を見守ることだろ? そもそも、ロディが国を転覆させようとしてる今の事態を招いたのは、あんただろうが」
たしかに、そうね。
リシャさんにも複雑な思いがあったのも分かってるし、今さら文句を言ったりするつもりはないけれど。
いつもにこにこしてる冥王竜も、今回は怒っているみたいだった。
眉を寄せて両手を腰に当てて、リシャさんを睨んでいる。
でもそれは少しの間だけで、くるりとわたしの方に振り向くと、目を和ませて柔らかく微笑んでくれた。
「ティア、俺がいない間になにかあったようだな。すぐにでも話を聞かせてもらえないか?」
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