[8-6]吸血鬼騎士は罪の告白をする(下)

 自分の心臓が鼓動する音が大きく聞こえてくる気がした。


 丸くなった氷のような薄い色の目に、俺の強張った顔が映り込んでいる。


「クーデター? キリアが?」


 頷いて、俺は姫様から視線を逸らす。視界の端で、鍋からは白い湯気が立ち上っているのが見えた。


「氷の洞窟でリシャールに話したように、俺はもともと貴方と同じ人間だった。シャラール国の王族に仕える騎士だったんだ。だけどイージス帝国による侵略の時にあっさり捕虜になってしまってね」


 戦争があったのは今から十年前。

 当時の俺は若くて、犬とそう変わらない年頃だったように思う。


「帝国は恐ろしい国だよ。魔族以外の種族の民を物として扱う。例に漏れず捕まった俺も帝国の筆頭貴族だった男に引き渡され、この通り吸血鬼に変えられてしまったんだ」

「ひどい……」


 姫様の声は震えていた。

 視線を戻すと彼女は口もとを小さな手で覆い、大きな瞳は潤んでいた。今にも涙がこぼれそうだ。


「泣かないで、姫様。今は平気だし、魔族も慣れれば結構便利なんだよ。テレポートだって使えるし」


 この手の話は女性にあまりすべきではないと思っていたのだけど、詳しいことはやっぱり姫様には聴かせられない。

 養父だと認めたくないその男はひどく冷酷な男で、ましてやそいつに拷問にかけられたなんて……。そのせいで痛覚麻痺になっただなんて、絶対に言えない。


 考えを切り替えるために、俺は一度目を閉じた。


 よし、大丈夫だ。

 自分のことを話すにしても、あまり内容が暗くならないようにしよう。


 再び目を開けて、俺は姫様に笑いかける。


「ライと出会ったのは吸血鬼になってからなんだ。彼の実家も筆頭貴族で。魔族以外の人を排他する家の方針を彼はとても毛嫌いしていてね。だからすぐに親しくなったんだ」

「そうだったの」


 一度蓋を開け、鍋の中身を確かめてみる。

 大きくかき混ぜて焦げ付いていないかチェックしてから、ふたたび蓋をもとに戻した。


 目を伏せたまま、俺は姫様に続きを話す。


「たしかに最初は、皇帝と差し違えてでも暗殺して帝国を潰してやろうと思っていた。シャラールの国王と王妃は殺され、たった一人の王子さえも俺と同じく吸血鬼に変えられた。その話を聞いてからは行動に移そうと心に決めていたんだ。でも、それもライに止められて……。だから、復讐の方法を変えたんだ」

「方法を変えたって?」

「故国の領土だった土地を手に入れて、一つの国として独立させる。それが俺とライが起こした帝国でのクーデターなんだよ」


 姫様が小さく息を飲んだのが分かった。


「それって、シャラールをもう一度、国として復興させるってこと?」


 彼女に笑顔を向け、俺は頷く。


「そうだよ。実を言うと、王子はいまだに行方不明なんだ。見つけられたとしても、シャラールは人間の国家だから、魔族になってしまった王子に国を返すのは難しい。そこで国王として統治するに相応しい人物を見つけ出し、国として独立することを皇帝に認めさせる。それが帝国に対する俺の復讐なんだ」


 何も言わず、姫様はただ黙って俺を見ていた。

 彼女のまっすぐで澄んだ目を見ていられなくなって、再び視線をそらす。


「王子は、きっとどこかで生きていると思うんだ。どんな形にせよ生きてさえいれば、シャラールが復興したのを聞きつけて戻ってきてくれるかもしれない。その望みに、賭けてみようと思ってね」

「じゃあ、独立はうまくいったの?」

「実は五年前にね。結果的に帝国の領土を切り取ってしまったわけだから、皇帝に対する叛意とみなされ、国から追われることになってしまったけど」


 まあ、俺の気持ち的には皇帝に対する反逆だ。何の関係のないライまで巻き込んでるわけだし。

 それに故郷を取り戻したと言っても、以前のような国に戻ったわけじゃない。

 敬愛していた国王と王妃はいない。信頼できる人間に国を託してきたけど、俺は魔族だからシャラールにとどまることはできなかった。


 姫様は俺のことをどう思うのだろう。

 善意で助けてくれた男が、実はロディと同じく政変を企てた大罪人だったなんて。

 やっぱり、軽蔑するんじゃないかな。


 城に戻れず、両親から引き離され、大切に思っていた若い騎士さえ失う羽目になったのは。

 まぎれもなく、ロディが起こしたクーデターのせいなのだから。


「キリアはどうしてグラスリードに、わたしの国に来たの?」


 ぎくり、と肩が跳ねそうになる。

 震えそうになる心を深呼吸で落ち着けてから、俺は重い口を開いた。


「グラスリードは帝国内でも永久凍土の島国で有名だった。海を隔てているのもあるけど、皇帝がこの国を標的にしないのは目当ての資源がほとんどないせいなんだ。だから、迷惑をかけることはないと思ってね」

「……そう」


 そっと姫様の顔を見ると、彼女は小さく音を立て続ける鍋を見つめていた。

 

 一年中雪と氷に閉ざされ、春の来ない島国グラスリード。

 永遠に冬が続くということは、作物が育ちにくい環境だということだ。

 魔法の素養がある国王が精霊と交渉し、温室を作ることで食糧を確保しているからこそ、この国はほとんど争いは起きなかったという。


 そうやって細々とがんばってきた国に、俺みたいな厄介者がいきなり飛び込んで来たんだ。

 軽蔑を飛び越えて、出て行くように言われてしまうのではないだろうか……。


 ふつふつと煮詰まる音が部屋を満たす中、不意に姫様は顔を上げた。


 彼女を見つめていた俺と、当然ながら目が合う。

 今までになく心臓は飛び出しそうになる。


 思わず後退りそうになった時、姫様はにこりと花が咲いたように笑った。


「キリアがわたしの国に来てくれて、よかった」


 思考が停止した。

 返ってきた言葉が予想の斜め上すぎて、声が出なかった。


 渇ききった喉を無理やり動かして、俺はおそるおそる尋ねる。


「姫様は、どうしてそう思うの?」

「キリアがグラスリードに逃げてきたおかげで、こうして出会うことができたんだもの。そりゃお城はまだ占拠されて国も乗っ取られたままだし、なにも解決はしていないけれど、不思議と不安はないの。でもそれは、キリアがそばにいてくれたからだと思うのよ」


 胸もとに手のひらを重ね合わせて、姫様はそう言った。

 目を合わせてくる時、彼女はいつだってそらさない。


「わたし一人だったら、きっと途方に暮れていたわ。どうすればいいか分からなくて、何もせず泣いてばかりいたかもしれない。国を取り戻すため、賛同してくれる仲間のもとに導いてくれたのは他の誰でもない、あなたなのよ。キリア」


 ああ。どうしてきみは、いつだって俺のことを認めてくれるんだろうね。

 純粋でまっすぐな思いを持つきみとは違って、俺の心は薄汚れているというのに。


「姫様……」

「だからね、わたしはキリアのことを軽蔑なんてしないわ。シャラールを復興させたことだって、すごいことだと思うの。人間の国が増えるのはとてもいいことだわ。だから、逆にあなたに聞きたいことがあるの」

「何だい?」


 今なら何だって答えられる気がする。

 もう後ろ暗い過去は話したし、隠しごともない。


 軽い気持ちで尋ねたら、姫様は上目遣いで俺を見て、にこりと微笑んだ。


「わたしは自分の気持ちを話したわ。だから今度はあなたに聞きたい。キリアはわたしのことをどう思っているの?」


 前言撤回。

 どうしよう。これは難解な質問だぞ。


 たしかに姫様の気持ちを聞いて安心したけど、それとこれとは話が別だ。

 そもそも話をしたのは、互いの気持ちを知りたかったわけじゃなくて。

 彼女が俺のことを知りたがっていたから、覚悟を決めて話したんだし。


 いや、どちらにせよ同じことか。

 姫様に嫌われなかったと知って、俺は心の底からほっとしている。


 簡単なことではないにしろ、気持ちを告げるべきなのは分かってる。


 住所不定な上に、今の身分は無きに等しい。グラスリードの国民ですらない。

 しがらみがあるからこそ、いつもためらってしまう。


 その上、俺は今も指名手配をかけられ、皇帝に追われている身だ。

 あの男は恐ろしい。

 何人もの翼族や人間たちに手をかけた〝魔王〟と呼ばれる存在で、力の強い魔族だ。


 実際のところ、食べていない魔族と食べて力をつけた魔王の実力差はかなり大きい。

 俺のせいで、万が一にも姫様を巻き込んで、あの最低暴君の牙にかかるような事態になってしまったら……。


 やっぱりダメだ。彼女を巻き込むことなんてできない。


「姫様のことは、忠誠を捧げるべき主君だと思っているよ。もちろん、大切に思ってる」


 口もとを緩めて、俺は作り笑いをした。


 本心でないと分かっているのか、それとも今度こそ呆れられてしまったのか。

 細い眉を寄せ、姫様は不満そうに口を引き結んでいた。もしかしたら怒らせてしまったのかもしれない。


 ごめんね、姫様。


 きみのことは誰よりも大切で、俺にとっては尊い存在なんだ。

 何者からも守りたいと心から思ってる。


 だからこそ、きみを巻き込むことなんてできないんだよ。

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