[5-5]吸血鬼騎士はお見舞いされる

 騒がしい物音や話し声が聞こえた気がして、ふと目が覚めた。

 ぼんやりとした頭で部屋の中を見渡す。


 誰もいないようだった。カーテンを開けた窓を見れば、外はオレンジ色に染まっていてもう夕暮れ時だ。

 もう少し時間が経つと、暗くなってくる。


 姫様はもう戻っただろうか。

 明るいうちに帰らないと心配だし、彼女はもともと身体がそんなに丈夫ではない。一日中出歩いたりしてまた風邪でも引いたら大変だ。


 高熱はまだ続いているのか、考えることさえ億劫で嫌になる。

 実のところ動かすのも困難なほどに身体の節々にはまだ激しい痛みが残っていた。


 自分で言うのもなんだが、痛覚麻痺していると言われるほどに俺は痛みに強い方だ。

 身体がどんな状態でも姫様を守れる自信はあったのに、ついに主治医はドクターストップを解除してくれなかった。


 姫様は無事なんだろうか。


 遺跡つまり竜の巣穴に行くと言っていたが、あそこは森の近くだったはずだ。

 森の近くには狼がいる。

 墓地の近くで出たあの狼達は尋常では考えられないほど大きな体躯たいくをしていたし、魔法だって効かなかった。明らかに普通じゃない。


 俺のいないところで、彼女にもしものことがあったら——。


 最悪の想像が頭の中によぎり、慌てて首を横に振る。すると、ぐわんぐわんと世界が回る。

 しまった。俺は病人なんだった。

 もう目を閉じて大人しく寝ていよう。


「キリア、起きてる!?」


 不意にドアが開く。

 目を開いて視線を巡らせる。部屋の中に飛び出してきたのは、俺の主治医——ノア女医だ。

 なにを興奮しているのか、それとも嬉しいことがあったのかな。薄いグレーの毛並みの丸耳をピンと張って、同じ色の細長い尻尾が彼女の背後で揺れていた。


「……何かあったの?」

「姫様たちが帰ってきたの。いっぱい素材採ってきてくれたから、大急ぎで薬作ったわよっ」


 よく見ると、眠る直前には染みひとつなかった彼女の白衣には、ところどころ緑色の汚れが付着していた。

 一週間で完治のところを一日で治りたいという、俺の無茶振りにノアは全力で応えようとしてくれているのをその姿で実感する。彼女には、本当に感謝してもしきれない。


「姫様は?」

「さっきまで手伝ってくれてたのよ。今はご飯食べてるんじゃないかしら。また人数増えちゃってね、部屋が結構手狭になってきてるけど、まぁなんとかなるでしょ」


 また誰か加わったのか。これ以上、大所帯になるのも避けたいのだが。……あの犬みたいなヤツじゃなかったらいいな。


 そんな俺の心配を気付いているのかいないのか、ノアはベッドサイドテーブルに近づいてあらかじめ置いてあったピッチャーからグラスに水を注ぐ。

 なんとなく空気を読んで、無理やり身体を起こしベッドボードに背中をあずけていると、彼女は腰のあたりにクッションを挟んでくれた。


「これが幻薬よ。癒しに特化したいにしえの光竜の魔石をすり潰して調合しているから、効き目は保証するわ」

「ああ、なるほどね」


 小さな皿には一粒の薬が置かれている。半透明な白い色で、よく見るとキラキラ輝いていた。


「まさか、俺まで魔石の世話になるなんて思わなかったな……」


 誰に聞かせるでもなく、思わず口の中でつぶやく。

 だが、さすが獣人。耳が良い。そのちいさな声さえも聞き漏らさず、ノアは俺を見て首を傾げた。


「なにか言った?」

「ううん、何でもない。ありがとう、大切に服用するよ」


 いつもの笑みを貼り付けて、俺は小さく首を横に振る。


 他言無用と本人には言われたんだ。

 姫様にも明かせないのに、をノアにはなおさら話せないだろう。

 

 薬を口に含んでから水を喉に流し、飲み込んだ。


 これでよし。

 さて、もうちょっと大人しく寝ておくかな。




 * * *




 次に目が覚めた時、静かなものだった。

 そっと目を開けて窓を見るとカーテンが閉じられている。すっかり夜になったみたいだ。


「キリア、目が覚めた?」


 氷片を散らすような透明感あふれる声。

 間違えるはずもない。姫様だった。


 ベッドのそばにある椅子に座って、姫様はじっとこちらを見つめていた。


 雪のような白銀の長い髪。そして長い睫毛で縁取られた大きな瞳は、氷のような白藍しらあい色。

 出逢った時から感じていたけど、彼女は水というよりも雪や氷に近い属性を持っているのかもしれない。


 部屋が暖炉で暖められているからか、彼女は簡素な服装だった。シワひとつない白いブラウスに、フリルのついた鮮やかな青色のスカート。

 王都に行く前、なにも持っていなかった彼女に俺が買ってあげたものだ。

 持ち合わせがあまりなかったからあまり質の良いものではないけれど、シンプルかつ上品なデザイン。姫様によく似合ってる。


「起こしちゃったかしら」

「そんなことないよ。昼間も寝ていたから自然と目が覚めただけ。姫様こそ大丈夫?」

「わたし?」


 きょとんとして、彼女は首を傾げる。

 どうしてきみはそんな不思議そうな顔をするかな。つい数日前までは寝込んでいたはずなんだけど。


「薬を作るために、魔石の採掘に行ったってノアに聞いてね。これでも心配したんだよ? 忘れてるかもしれないけど、姫様は一度は危ない容態だったし、病み上がりなんだから」

「そういえばわたし、療養のために別荘にいたんだものね」


 目を丸くした後、姫様はくすくすと笑っている。その所作はまるで他人事のようで、俺はため息が出そうになった。


 まあ、でも。

 最初の頃に比べれば顔色はいいし、ひどく疲れているってわけでもなさそうだ。今日なんて朝から街の外まで往復して歩いてきたはずなのに。

 もしかして、以前よりも体力がついているんだろうか。


「最近はとっても調子がいいの。一日中動けるし、前よりごはんもいっぱい食べられるようになったのよ。きっと、キリアの治療が良かったのね」


 はにかみながら突然こんなことを言うものだから、一瞬反応に困った。

 どうしてこの人は、こんな可愛いこと言うかな。俺なんてグラスリードの国民ですらない、素性の知れない男だろうに。


 俺があの時作ったで姫様の身体が元気になったのなら、まあいいか。


「それは良かった。俺のために素材を採ってきてくれてありがとう。本来なら、俺がきみに代わって自分でやるべきなのに」

「だめよ。あなたは病人なんだもの」

「そうだけど、姫様だって狙われてるんだし。森に近づいたりしたら、狼に出くわすかもしれないだろう?」

「うう……、たしかに狼はいたけど」


 やっぱり狼いたんじゃないか。


「でも大丈夫だったのよ。クロが全部やっつけてくれたから」


 また、あの犬か。

 魔法でも太刀打ちできない狼達を退治できるところを見て、やっぱり彼も普通じゃないんだろう。


「そうか、魔法も効かなかったあの狼をね。良かった、姫様に怪我がなくて」

「魔法が効かなかったのは、大きな呪いに侵されていたせいだって学者さまは言ってたわ。クロの魂はチャーチグリムっていう魔物と融合してるからあの狼達に勝てるみたい。呪いについては学者さまもなにか掴めてるらしいから、キリアの身体が治ったらみんなで話し合おうってことになってるの」

「そうなんだ。ごめんね、俺ばかりが足を引っ張ってるみたいで」


 本来なら時間をかけずに城を取り戻すための下準備をしなきゃいけないのに、ライをはじめみんなを待たせてしまっている自覚はある。

 無理にでも動こうとすれば、ドクターストップまでかかる始末。

 せっかく姫様を守ると誓ったのに、その誓いさえ全然果たせていないような状況だ。


 だけど、


「そんなことないよ!」


 語気を強めて、姫様は俺にそう言った。普段よりも大きな声に内心驚く。

 思わず伏せていた目を開けて見上げると、姫様は真剣な表情でまっすぐに俺を見つめていた。


「キリアはわたしをロディ兄さまから守ってくれたじゃない。あの短剣に仕込まれていた毒は、かなり強い毒だったんじゃないかってノア先生は言ってたわ。そりゃわたしは母さまのおかげで毒に耐性がある身体だけど、キリアが庇ってくれなかったらきっと危なかったと思うの」

「姫様……」


 布団の上に投げ出していた手をそっと触れられる。

 重なった彼女の白い手はやわらかく、そしてあたたかかった。


「そばにいて守ってくれてありがとう、キリア。あなたはわたしの大切な……そ、そう、命の恩人なのよ。あなたがいなかったら、きっとこうしてここにいることだってできなかったわ。とても感謝してるの。だから、そんなこと言わないで」


 照れているのか、姫様は若干顔が赤くなっている。

 俺がネガティブなことを言うものだから、きっと元気付けようとしてくれているんだろう。

 姫様はどんな相手でも敬意をもって接し、優しく気遣うことのできる人だ。きっとこういうところが、彼女は王族の一人として好かれるのかもしれない。あの犬が、彼女に尽くしたくなるのも分かるというものだ。


 本当にきみは一途で可愛い。


 ——だなんて、一般国民ですらない俺みたいな者が、そう思うことさえおこがましいことなんだろうけど。


「ありがとう、姫様」

「どういたしまして。早く、キリアの身体がよくなりますように」


 胸のあたりで手を組み合わせて、姫様は祈りを捧げるようにそう言った。


 いや、本当に精霊に対する祈りだったのかもしれない。

 やけに部屋にキラキラ光る粒子が飛び交ってるし、さっきよりも身体が軽くなった気がする。


 精霊に愛される魂を持った人、か。


 本人はたぶん自覚してないけど、彼女は間違いなく精霊魔法の天才だ。魔法を発動させるのに魔法語ルーンを必要としないのが、その証拠。

 母親がグラスリードにゆかりのある元精霊という要素に加え、魔法の資質にも恵まれているんだろう。


「わたしは部屋に戻るわね。キリアもゆっくり休んで」

「姫様もね」

「うん。おやすみなさい」


 花が咲いたように微笑みながら、姫様は出て行く。最後にドアを閉めるのも忘れないところが彼女らしい。


 幻薬のために動いてくれて、精霊へも祈ってくれた。

 ここまでされて、明日の朝までに治っていないはずがない。


 今までになく満たされた気持ちでいっぱいで、俺はその日の夜、久しぶりにしあわせな夢を見たのだった。

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