窓際姫

坂本裕太

窓際姫

 

 昔の事、立派に構えたる城の一室に、侘びしき姫の姿あり。

 その姫、うら若きも麗しく、白き花の如く処女であれば、

 箱入り娘の名を冠すにふさわしく外界を知らず。

 ああ、我は籠の中の小鳥なり、と心侘びしく窓辺に寄り掛かりて、

 一枚絵の如く窓硝子に張り付きし外界の景色を眺むばかり。

 そこへ、ひょっこり頭を出した見知らぬ少女が一人。

 姫驚きて、呆然として両目をぱちりと鳴らす。

 窓の外に現れたる少女、城下町の貧民なり。

 その時分が昼下がりなれば、日当たる生活の糧を手にすべく、

 素足汚し掌削りしながら働く一日の、ほんの束の間の休息時なり。

 少女は窓を仰ぎて、そこに映る姫の姿を捉えたまま動かず、

 何やらお熱を出した面持ちよろしく惚けた御様子。

 身なりこそ粗末なれど、無骨な樣に伸びた髪は濁り無き漆黒、

 陽差さる瞳蒼碧の宝石と見紛いて、顔を縁取る輪郭の端正さよ!

 この国嵌め殺しの窓を主流とする故、互いの声は届けられず、

 致し方なしとした姫窓に吐息掛け、曇りし硝子に指這わせ、

 『Che cosa vuole da me?〈私に何か用?〉』

 と聞けば、少女の眉根訝しげに動いたっきり、どこか切なげ。

 文字も読めぬか、と姫哀れみし時、

 少女姫に倣いて、いそいそ窓拭き始め、

 『bella〈綺麗ね〉』

 と無邪気さ薫る可愛げなお顔。

 恥じらう少女の赤心、姫にはあまりに尊きものと思えた故、

 言葉通ずる事さえ分からぬまま、恋文綴る心地の御返事一書き。

 『Grazie. Anche a te〈ありがとう。あなたも綺麗よ〉』

 文字さえ読めぬ無知な少女されど、

 その文字に浮かびし愛しき彼女の表情は汲めて。

 姫はにかめば、少女もまたはにかむ。

 以来、何かと昼下がりの時分となれば、

 姫立ちし窓を仰ぐため走り来る少女の姿見ゆ。

 姫もまた昼下がりの時分は窓辺に寄りて、

 今日もまだ来ぬかと待ち惚けを日課とす。

 姫のお相手楽しく喜々として、

 どうしてか貧しき身の上を吐露する少女、

 読み書き出来ぬ故滑稽な身振り手振りとて、

 外界を知らぬ姫には御伽話にも勝る紙芝居たる。

 その姫打ち笑いし姿こそ、少女の最も欲するものであったので。

 また少女の無邪気な姿こそ、姫の最も心満たされるものであったので。

 日を重ねれば、情の一つ二つ湧くも自然の成り行きと、

 姫は少女の温もりを、少女は姫の温もりを求むるに至るも、

 打ち重ねるは窓越し見ゆる互いの掌。

 ともすれば、鏡に映りし己を欲すると同じなるものを。

 鏡合わせの不思議の国、そは儚き夢の如く近きて隔たるもの故、

 何処までも交じり得ぬ互いの間、ただただ時間だけが過ぎゆく。

 ひと月経ちて、別れの時はついに訪れし。

 姫の乳母なる人に、少女の姿見咎められて、

 二人の間隔たりし窓に重ねてカーテン隔たりて、

 さらには窓前守衛と意地でも鼠でも近づけぬ決意と見えて。

 その日は境となり、少女は姫を望めぬ身となり。

 あわれ少女、あえかなその貧しき身より細やかな安らぎをも奪われるのか!

 それより幾月経ちて、箱入り姫はようやく籠より出でて、

 異国の地を治む王子の許へと嫁ぐ段となり。

 姫の送迎一国を挙げた華やかな祝日祭事となり。

 少女貧しき身に休みなしとこの事知らず、

 姫両手を挙げて返礼す大衆の中に少女の姿探し求む。

 少女、姫の声も知らねば、名も身分も知らぬものだった故、

 ただ姫の楽しげな笑顔求めて一途だった故、

 また姫、少女の声も知らねば、名も所在も知らぬものだった故、

 ただ少女の見せる赤心の無邪気さ求めて一途だった故、

 互いに別れを告げる事無く、顔を合わせる事無く、

 儚き逢瀬たる僅かな思い出を最後に引き離されゆく。

 この後、姫と少女再び相見える事なるか否か知る者なし。

 ただ旅人囁くところ、姫異国へ嫁ぎし数年後の事。

 とある国にて、当時主流たる嵌め殺しの窓を禁じ、

 全ての窓等しく両開き造りにすべしと風変わりな御触れが出たとか。

 そして、その国にある麗しき王女、

 昼下がりになれば、必ず窓開け放ちて寄り掛かり、

 まるで小鳥の帰りを待つ籠の如く侘びしく佇む故か、

 後にこう呼ばるると相成りて。

 「窓際姫」、と――。

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窓際姫 坂本裕太 @SakamotoYuta

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