意図の悪意

逢雲千生

意図の悪意


 久しぶりに袖を通した喪服は、最後に着た時よりもずっと重たい。


 おしょうこうをして家を出ると、泣きはらした目の叔母が、悔しそうに唇を噛んでいた。


 叔母の視線の先には、一人の女性がいて、その人は申し訳なさそうに叔父へ頭を下げている。


 その人の隣では、きちんとした身なりの男性が一緒に頭を下げていて、泣く叔母はそれを見つめながら、恨めしそうに「今さら……」とつぶやいた。


 僕は静かにその場を離れると、顔見知りがいるグループに混ざりながら、勢いよくネクタイを緩めた。




 いとこの麻以まいが亡くなったという知らせを受けたのは、三日前の留守電からだった。


 その日は残業で、久しぶりに年齢を痛感した日となったが、実家からのほうを聞いた途端、疲れなど一気に吹き飛んでしまった。


 麻以は俺より八つ下の大学生で、今年になってようやく余裕が持てたからと、一人暮らしのアパートから近いお店で、週何日かのアルバイトを始めたと聞いていた。


 高校時代は勉強に追われていたため、彼女にとっては初めての労働だ。


 たまに来る連絡で、あれこれと話を聞くことはあったが、どこか楽しそうにる姿が想像できて、微笑ましく思ったのはつい最近のことだった。


 今度の長期休みの時にでも、実家に帰省して会おうと考えていたのに、まさかこんな形で再会するとは、誰一人想像すらしていなかったことだろう。


 彼女が病気であったり、事故であったりしたのならば、まだ怒る余地はある。


 しかし、それが自殺となれば、誰も責められないという無意識の考えが入ってしまっているのか、通夜の席でも葬儀の席でも、深く理由を追及する人はいなかった。


 あまりにも静かで、不快さの残る葬儀を終えて一ヶ月後、僕は久しぶりにきぬやまと飲み会をすることになったのだが、いまいち楽しめず、それが彼女の機嫌を損ねてしまうことになってしまった。




「で? せっかくの飲み会で、そんなしんくさい顔を見せる理由は何?」


 げんに飲んでいたジョッキのビールを手に、衣山は僕を睨みつける。


 半分ほどに減った中身を揺らしながら、彼女は視線をそらそうとしない。


 乗り気になれない理由は麻以のことで、完全にプライベートな理由だけれど、彼女は一切の妥協を許さないと言った目で僕を見つめるため、諦めて話すことにしたのだ。


「……先月、八歳下のいとこが亡くなったんだよ。女の子で、大学生だったんだ。妹みたいに可愛がってたんだけど、先月に、その……自殺、したんだよ」


 騒がしいほど盛り上がる座敷席の若者が、一気に盛り上がりを見せたものだから、僕の声は聞こえないだろうと思った。


 しかし彼女はしっかりと聞いていて、ビールを一口飲むと、「原因は?」と聞いてきた。


「それが、麻以は……いとこは今年からアルバイトを始めて、その職場でちょっと、悩みがあったみたいなんだよ――」




 葬儀の後、僕は麻以の兄で、僕と同い年のふうから、自殺の原因を聞いた。


 近所に住むおばさんと一緒に働いていたから、らしいのだ。


 そのおばさんとは、まだ実家にいた時に何度か会ったくらいで、顔見知り程度の間柄だったらしい。


 そんな近所のおばさん――ときさんが、とある事情でこちらに住み始めたため、思いがけず再会したというのだ。


 なんでも、解子さんのお母さんが病気で入院しているそうで、その介護のために里帰りしているそうなのだ。


 解子さんのお父さんはすでに亡くなっているため、実家の管理と母親の世話が大変だからと、落ち着くまでこちらにいるらしい。


 金銭的な援助は旦那さんと娘さんがいてくれていたらしいのだけれど、少しでも負担を減らしたいからと、パートを始めたとのことだった。


 麻以は初め、顔見知りのおばさんだからと親しみを込めて話していたらしいのだが、だんだんと違和感を覚え始めた。


 最初は気にならない程度だったが、ある日彼女は、突然店長に怒られてしまったというのだ。


 その理由は、頼まれた仕事をせずに、勝手に帰ってしまったからだという。


 麻以は一応謝ったそうだが、何度思い返しても身に覚えがなく、その日はシフトにすら入っていないことがわかると、すぐに店長へ報告した。


 そこで誤解だとわかったそうだが、そんなことが何度も続き、さすがにおかしいと気づいたらしい。


 そこで誰が店長に話していたのかを調べたところ、解子さんがそう言っていたという話を店長から聞いた。


 それで解子さんを問い詰めたものの、「あのね、私はちゃんと伝えたのよ。あなたが忘れただけでしょう」と言われたり、「麻以さんがちゃんと連絡してくれないから、私も他の人も出来なかったのよ」と言われたりしたそうなのだ。


 大学のレポート提出が重なった時期であったため、麻以はこれを信じ、それからはきちんとほうれんそうを意識していたらしいが、それでも怒られる回数は減らなかった。


 自分がいてもいなくても、自分が悪いと言われ、しっかりしてよとまで言われたそうなのだが、何度気をつけても変わらなかった。


 そのことを気に病んだ彼女は、メモをとったり確認を何度もしたりしたそうだが、結局最後まで直らなかったらしい。


 真面目な性格の彼女は悩み、大学とバイトがそれぞれ忙しくなったことで疲れ果て、とうとう命を絶ってしまったらしいのだ。


「僕は生まれた時から麻以を知ってるけれど、あまりにも失敗するから、バイト先では信用されてなかったらしくて、相当辛かったらしいんだ。遺書みたいな手紙が残ってて、そこにいろいろ書かれてたらしいんだけど、そこで初めて、麻以の苦悩がわかったんだって。諷太は――麻以の兄さんは、気づけなかったことをやんでたよ……」


「……なるほどねえ」


 一杯目のビールを飲み終えた彼女は、二杯目を注文すると、おしんをつまみながら頬杖をついた。


「なんていうか……麻以ちゃんに同情しちゃうわ」


 衣山の言葉に驚いてコップを落とすと、割れこそしなかったが、大きな音をたてて中身がこぼれてしまった。


 それに気づいた近くの店員さんがおしぼりをくれたが、僕は申し訳ない気持ちで謝ると、すぐに新しいものを注文し直した。


 すぐに届いた二杯分のお酒を一口飲むと、僕と彼女は視線を合わせて顔を寄せた。


「……同情するって、お前らしくないじゃないか。もしかして、僕の親戚だからってこと?」


「違うわよ。いやーな人と仕事することになって、命まで取られたことへの同情よ」


「はあ? 命を取られたって、あいつは自殺したんだぞ。まさか、殺人だなんて言わないよな」


「違うってば。自殺なのは間違いないけど、結果的にはその解子って人が追い詰めて、彼女を死なせたんだから、ある意味では命を取られた、取ったってことでしょう。勝手に大事おおごとにしないでよ、面倒なんだから」


 そう言ってつまみを一つ食べた彼女は、ビールを勢いよく半分まで飲むと、ゆっくりと話し始めた。


「その解子って人。言っちゃあ悪いけど、そうとう最悪なタイプよ。似て非なる人は多いけど、その人は多分、わかっててやってると思う」


「何をだよ」


「だから、せきにんてんよ。麻以さんが怒られてた原因は、その女が、わざと引き起こしてたって事よ」


 にわかには信じられないが、とりあえず話を聞いてみる。


 衣山は本当に嫌そうにビールを飲むが、話したいのか今夜はじょうぜつだ。


「怒られたくなかったり、責任を取ったりしたくないからって逃げたくなるのは、誰でも一度はあると思う。けど、それをわざとやるのと無意識にやるのは違うわ。土壇場になって嘘をつく人は多いけれど、わざと人のせいにするのは、完全な悪意がないと出来ないもの。その解子って人は、何かしらの理由で麻以さんに罪をなすりつけて、怒られる姿を楽しんでたんじゃないかな。それが積もり積もって自殺を招いたんだろうけど、もし私が言ったとおりのタイプだったら、反省どころか自覚もしてないでしょうね」


「はあ? それってつまり、わざと麻以に罪をなすりつけてたってことかよ」


「そうなるけど、この場合は多分、解子って人にとって麻以さんは、顔見知りの年下だから、そうそう怒らないとでも思ってたんじゃない? だからこそ、悪意を上手く隠して、彼女を追い詰められたんだろうけど。普通だったら、そこまでやらないでしょ」


 衣山の言うことはわかる。


 だが、納得は出来ない。


「だけど、それならなんで……なんで麻以だったんだ? あのスーパーには、他にもシフトがかぶる学生なんて何人もいたのに、なんで麻以だったんだよ」


「さあね。それは多分、解子って人にしかわからないと思うよ。まあ、わかりたくもないけどね」


「だから、なんでだよ。麻以が何かしたとでも言うのか?」


 衣山にすがるように尋ねるが、彼女は何も答えず、静かに三杯目のビールを口にする。


 いつの間に注文したんだよと聞こうとしたが、話をそらしたくないのでやめた。


 座敷席ではさらに学生達が盛り上がりを見せていて、アルコールが回ってきたのか、だんだんと距離感がなくなっている男女が数名見えた。


 衣山は気にすることなく、このけんそうの中でビールを飲み続けるが、三杯目も残りわずかとなったところで、静かにこう言った。


「――自分以外をわざと傷つける人にとって、理由なんて、あってないものだもの」


 学生達が二次会に行こうと話し合う声を聞きながら、僕は彼女の言葉を噛みしめる。


 いじめの時の話でも聞いた言葉は、なおさら僕を追い詰めてくる。


 行き場のない怒りと悔しさに涙が出そうで、それがさらに悔しくて、ぬるくなったビールを飲み干して我慢した。



 

 これ以上は飲む気になれず、衣山も三杯目で終わったため、今夜は珍しく、終電まで余裕があった。


 酔い覚ましに散歩をしようと誘われ、このまま家に帰りたくはなかったので了承すると、いい年をした男女が二人、誰もいない道を歩く羽目になってしまった。


 夜風は生ぬるく、ムードも何もないコンクリートの住宅街。


 衣山と出なければ無理だなと思いつつも、駅までの道を遠回りして歩いていると、彼女は空を見上げながら話してくれた。


「いじめでも、責任転嫁でも、一番被害を受けるのは優しい人よ。そしてとても良い人。逆に一番得するのは、ずる賢くて自分勝手な自己中よ。それはいつ、どんな時であったって変わらないと思う。だからこそ、泣くのはいつだって被害者で、笑うのは加害者なんだから。ほんと、やってられないわ」


「……そっか」


「だからね、麻以さんは悪くないのよ。自殺した人を責める人がいるけれど、今回は完全なおかどちがいなんだから。彼女は弱くなかったし、無責任でもないわ。とっても良い子だった。だから、あなたも胸を張って話してあげなさい」


 誰に、とまでは言わないが、彼女の言葉に笑ってしまった。


 不器用な笑みだったけれど、葬儀の後で初めて笑えた気がする。


 実を言うと、解子さんが葬儀で謝る姿を見た後で、僕は聞いてしまったのだ。


 一緒に来ていた店長と帰っていく彼女は、怒りながら「どうして私が謝らなくちゃいけないのよ」と言っていたことをだ。


 一緒にいた他のいとこ達と聞いていたけれど、彼女は元凶にもかかわらず、逆に麻以をののしったのだ。


『あんな弱い子が死んだからって、私が悪いわけないじゃない。まったく、これだから最近の子供は嫌いなのよ。無駄に頭でっかちなくせに、すーぐ駄目になるんだから』


『おい。さすがにそれは聞き捨てならないぞ。私は君が謝りたいと言ったから連れてきたというのに』


『はあ? そんなの、ただの世間話じゃないですか。店長なんだから、それくらいわかってくださいよ』


『世間話って……君は、同僚が自殺したというのに、その言い方は何だ!』


『死んだのはあの子の責任なんですから、私を怒らないでくださいよ。ああ、嫌だ。本当に、最後まで私を困らせるんだから。いなくなってくれてせいせいしたわ』


 あまりの物言いに、僕らはあぜんとしながら二人を見送った。


 解子さんの言葉が忘れられなくて、ずっとモヤモヤしていたのだが、衣山のおかげで少しだけ楽になれた気がした。




 空には星がちりばめられ、月がコンクリートを淡く照らし出していたあの夜から数日後、実家からまた連絡が入った。


 何でも、解子さんが訴えられたというのだ。


 どうやら彼女はその後も標的を変え、麻以と同じことをしていたらしく、相手が耐えきれずに親へ話したそうなのだ。


 当然親は大激怒し、店長へ詳細を詰め寄ったところ、麻以の話が出て来たため、これはおかしいと警察に行ったらしい。


 そこで何があったのかは知らないが、警察やら弁護士やらが出て来て大事おおごとになり、結果として解子さんは訴えられたそうなのだ。


 民事訴訟か示談になるかは、話し合いの最中らしいが、麻以の両親――俺の叔父と叔母も参加したことで解子さんは不利になっているようで、どうやら民事訴訟になりそうだという話だ。


 今までの職場でも似たようなことをしてきたらしく、それも明るみに出てきたことで、さらに彼女が不利になることだろう。


 現状を聞いた僕は、受話器を置いたところでため息が出て、ようやく気持ちがスッキリした気がした。




 麻以は戻ってこないけれど、残された人達によって、真実は明るみに出るだろう。


 いつか来る嬉しい知らせを待ちながら、僕は今日も衣山へ連絡を入れるのだった。


 もちろん、飲み会の……だけどね。      











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意図の悪意 逢雲千生 @houn_itsuki

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