後継
美波の件は、澪が部室でメンバーに伝えた。
「まぁ美波らしいというか、しょうがないというか」
などとののかは笑っていたが、
「そんな意識ではオーディション勝ち抜けるかどうか分からないですよ」
特にすみれは厳しいことを言った。
「私なんかオーディション何回も落とされてるから分かりますけど、要はプロ意識がないと使い物にならないらしいんですよ」
などと、耳の痛くなるようなことを平然と言った。
確かにすみれの言う通りではあるが、別にプロを目指すという意識はののかにはなかったらしく、
「意識高いと違うわぁ」
僅かなズレのようなものは感じたようであった。
当たり前といえば当たり前なのだが、
「あれだけダンスやトレーニングで世話になっておいて、よくそんなことが言えたもんよね」
優海はチクリと刺すように言った。
すみれはやり返した。
「恩義は恩義だけど、事実は事実でしょ?」
事実を言って何が悪い、というような態度を隠そうとはしない。
すみれと優海は睨み合った。
「…もうさ、止めにしない?!」
雪穂が珍しく割って入った。
「あんたたちさ、なんかっちゃあ口論ばっかりしてるけど、ホントのところはどうなの?」
二人は一瞬ひるんだ。
「実際はさ、二人よりずっとダンスの上手い目の上のタンコブがいなくなって、せいせいしてたりするんじゃないの?」
雪穂がたまに繰り出す毒舌が撃ち込まれた。
「私は美波先輩に助けてもらってばっかりだったし、ダンスだってボーカルだって二人より上手くなんかない。だけど助けてもらった人を口撃したことはないよ」
ドがつくほどの正論を打たれ、二人は返す単語すらなかった。
しばらくしてようやっと落ち着いてきた頃、
「イメージカラーを考えたんだけど」
そう言って唯が見せたルーズリーフには、
グッチー→緑
ののか→ピンク
ゆーみ→赤
ゆきぽん→グレー
すみれ→紫
とーこ→水色
ゆい→黄色
と書かれてある。
「なんで私まで? マネージャーなのに…」
藤子のツッコミは素早かった。
「私としては藤子にメンバー復帰して欲しくてさ」
「誰がマネジメントするの?」
マネージャーは今は藤子がこなしている。
「附属の中等部にいる子で、マネージャーやりたいって子がいるの。来年入る予定だから、その子にマネージャー任せたいなって」
唯は諦めてなかったようである。
「でも入らなかったらどうするの? いくらなんでも先のこと過ぎて、ちょっと見当が甘い気がする」
藤子はののしることもないが、理詰めで行くのでスキがない。
「でも藤子がいないアイドル部って、やっぱりなんか違うんだよね」
唯は違和感を口にした。
唯は中等部から進学してきた経歴から、附属の事情にも明るい。
「リラ祭で入りたいって言った子が何人かいて、連絡先は交換してあるし、そのうち見学させようかなって。だって六年生抜けたら五人になる訳だし」
附属から来た生徒だけは、高等部の三年を六年生と呼ぶ。
「唯は抜け目ないなぁ」
「誰の友達だと思ってんの」
唯は藤子にだけは気をおかない。
それだけに言い合いに発展すると容赦がなく、はた目で聞いている側がビビるのであるが、
「でも幼稚園からだから、いつもこんな調子だし」
などとも言う。
肝胆相照らす間柄でなければ、こうはゆかない。
とりあえず。
「あとは附属からちゃんと入試で入れるかどうかだよね…」
藤子にすれば心配で仕方ない話だらけなのだが、
「大丈夫、なるようになるから」
どこでどうしたらそんな根拠に至るのか、それだけは長年の付き合いでも分からなかった。
今月いっぱいで代替わりというのもある。
そろそろ後継を決めなければならない時期でもある。
「来年はハマスタだってエントリーしたいしね」
唯が言うハマスタとは正確には、
「全国高校スクールアイドル大会」
という日本一を決める大会で、開催場所の名前を取ってハマスタ大会とも呼ばれる。
「まだ北海道からは優勝出てないから、出たいよね」
唯には夢があるらしく、
「いつか札幌ドームでライブしたいし、ワールドツアーもしたいし…」
「それならもっと頑張らなきゃ、ですね」
すみれが応じた。
「でも夢は口にすれば叶うみたいだから、とりあえず言ったもん勝ちで、言ってみるのは正しいかもね」
ののかにはそうした楽観的な面がある。
「私は逆に言わないほうがいいのかなって」
言うと上手く行かないから、と澪は言う。
「いわゆる言霊信仰ってやつのあらわれだから、信じる信じないは人それぞれかな」
藤子はどこか緻密なようで、結論を出し切らない場面もある。
十月になると、校舎の周りは紅葉が見事になる。
ナナカマドに山桜の赤、板屋楓の黄色、クヌギの茶色、そして色づかないイチイの緑。
他の学校にはなかなかない美しさで、見学のときの風景と、古風なセーラー服の可憐さで決めた高校ではあったが、ダークグレーのセーラー服に、スクールカラーのライラック色のリボンという一風変わった制服なだけに、どこへ行ってもすぐ、
「あ、ライ女だ」
と分かる。
学年の見分け方は校章で、今はモスグリーンが三年、二年は臙脂色、一年は鉄紺と学年ごとに決まっており、三年生が卒業すると次は一年生がモスグリーン…というように入れ替わる。
ついでながら。
二年生の唯と藤子は関西へ修学旅行に行っているので、一年と三年しかいない状況である。
基本的にアイドル部はトレーニング時は部活用のジャージなるものがなく、授業用の体育着で走り込んだり、ダンスを練習したりする。
ただし中のシャツは自由で、このところアイドル部は自らのカラーが決まっていたのもあって、例えば澪は緑でののかはピンク、藤子は水色で唯は黄色…といったように自然とカラフルになっていった。
とりわけののかのピンクは華やかで、
「自分でステンシルで染めてみた」
というそれは、淡い桜色の地の背面いっぱいに、ののかが自分で描いたオリジナルの天使の萌えキャラを染め上げた大作で、
「なんだかんだいって、染めるまでに三日ぐらいかかった」
それでも三日で済ませるあたり、ののかの根性のほどがうかがえた。
あと一ヶ月もすれば雪で、
「またスノーブーツ買わなきゃね」
などという話題も出る。
「でもムートンブーツしみるからさぁ」
事実、澪は通気性から夏でも冬でもムートンブーツを穿いているのだが、夏用はまだしも冬用は水が滲みやすいことをこぼした。
当時メンバーでもっともおしゃれであったのは現役モデルのすみれで、スカートの丈を少しだけ短めにし、下着が見えないよう中にはトランクス型のショートパンツを仕込み、そのショートパンツには色を合わせたカラーレースを縁取ってある…という凝ったものになっていた。
「すみれモデル」
としてアイドル部内で流行り、今ではアイドル部全員がそれを取り入れているため、体育の授業の着替えの際すぐ分かる仕組みになっていた。
時期的に自然と進学先の話も増えてきたらしく、
「美波は進学しないみたいだけど」
「あの子の家、シングルマザーだからね…」
それでも私立に通えたのは、キリスト教系で寄付金で賄われている学校だったからに違いない。
「ののかは北大?」
「医学行きたいから、北大が無理なら旭川医大かな」
「女医さんかぁ…」
「澪は?」
ののかは訊いた。
私は、と澪は、
「東京の大学に行こうかなって」
アイドルに関係した会社を起こしたい、という目標はののかも知っている。
「マネジメントは大事だもんね」
例の藤子の件で、マネジメントの重要性はひしひしと身にしみて分かっている。
「プロは優海とかすみれみたいに意識の強い子でないと難しいかも知れないし、デビューしても売れるかどうか分からないし」
だったら堅実に事業家を目指したほうがいいだろう…というのが澪の見立てであった。
「藤子ちゃんはどうしたいのかなぁ?」
「あの子は昔から本が好きだから、図書館の司書か小説家だって言ってた」
「文章書くの上手いもんね」
藤子がポスターのキャッチコピーをつけるのも上手いことを思い出した。
ののかもリラ祭のキャッチコピーは、
「桜庭ののか、咲いてみせようじゃないの。」
というものを、考えてもらった。
澪は「一応、部長です!」というコピーで、これはよく優海が澪を立てるときに使う口癖からきた。
「藤子のは変わってたなぁ」
あの例のハードカバーを読んでいる姿のポスターである。
「あれに『普段からこんな感じです』なんて、あの子しか言わないわ」
あれは目立つわ、とののかは言った。
唯と藤子が修学旅行から戻ると、
「そろそろ新しい部長を決めなきゃならないんだけど…誰がいい?」
本来なら九月に決めなければならなかったのだが、美波の件があって先延ばしにしていたのである。
すみれが手を挙げた。
「私は藤子ちゃんかな。しっかりしてるし、頭もいいし、知名度もあるし」
確かに。
修学旅行のときには、ティーンズファッション誌の密着取材がついて、
「奇跡のメガネっ娘」
と呼ばれ、今やメガネ女子ブームの旗手として、ワンピースや普通にコーディネートされた服を着たグラビアの仕事も来ている。
普段の制服や私服のワンピースでは目立たないのだが、藤子は小柄な割にスタイルも良い。
「ああいう隠れ巨乳みたいのが男子は好きらしいよ」
「男子ってだいたい可愛くてスタイル良かったら、多少性格悪くても引っかかるもんね…」
雪穂が言うと「それ自分のことでしょ」と優海がちゃちゃを入れ、それに対して、
「私、なんにも悪いことなんかしてないもん!」
少しむくれてみせる。
「天然なんだか計算なんだか分からないよね」
美波が言いそうなことを、ののかが言った。
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