7-11

 錆びついたフェンス、荒れ果てた校庭、眠り姫の城のように薔薇に覆われた校舎。

 校門を一歩くぐると、その景色は一変する。


 整備されたグランド。白い校舎。崩れているところなんてない。人が集い役目があり、建物として生きているのがひと目でわかる、五十年前の景色。


 胸の中で、不安が込み上げてくる。

 この学校を去る直前、みんなに言われた言葉が蘇える。


 みんなを傷つけた。裏切りものだと思われた。今さら学校にやってきた私を見て、どんな顔をするだろう。ちゃんと話を聞いてくれるだろうか。

 やっぱり卒業式がしたいなんて、受け入れてくれるだろうか。


 踏み出すたび、校舎が近づくたびに、不安が増していく。


 そこで、校舎の入口に、一人の男子生徒が立っているのに気づく。

 彼を見た瞬間、不安は吹き飛ぶ。


 直澄は、私と目が合うと同時、いつもの気怠げな笑みを浮かべる。


「……どうして、ここに?」


「なにいってんだ。実行委員が遅れるってどういうことだよ。ほら、始まるぞ」


「始まるって?」


「決まってるだろ。ちゃんと、用意してきてるじゃないか。早く、こっちだ」


 直澄はそういうと、急かすように歩き出す。

 そこで、気づく。彼が用意してきてるっていったのは、私が手に持ったカタクリの花束のことだ。


 そして、彼の胸ポケットには、花の入っていない、紙だけの空っぽのブーケが差し込まれていた。


 彼が向かった先には、体育館があった。


 グランドにも校舎と体育館を結ぶ渡り廊下にも、人影はない。

 誰の声もしない。静かだった。この学校には、私と直澄だけみたいだった。


「ねぇ、みんなはどこ?」


 尋ねるけれど、直澄は答えてくれない。

 その態度が、嫌な予感を呼び起こす。


 直澄が体育館へと続く扉を引いて、ぎりぎり通れるくらいの隙間を作る。

 先に中に入れ、と促してくれた。


 扉の向こうには、薄暗い空間が広がっていた。


 遮光カーテンが閉められ、外からの光が制限されている。

 カーテンのつなぎ目から漏れる光や、背後のドアの隙間から入ってくる光のおかげで、ぼんやりと辺りを見渡すことができた。


 体育館には、たくさんの椅子が並んでいる。

 全部が舞台に向かって、線を引いたように真っ直ぐ並んでいた。中央にだけ、人が歩けるような通路が作られている。

 私たちが、卒業式実行委員で考えた通りの並びだ。


 だんだん目が慣れてきて、奥まで見えるようになる。でも、そこにクラスのみんなの姿はなかった。ただ、舞台の前まで整然と椅子が並んでいるだけだ。


 直澄が、背後のドアが閉める。

 背中から届いていた明かりがなくなると、体育館の暗がりはさらに濃くなる。


 それが合図だったように、ステージの上が明るくなった。青い四角形が現れる。


 すぐに、スクリーンだと気づく。

 この学校で過ごした三年間で何度もみた、プロジェクターの明かりだ。


 ステージの手前にプロジェクターが設置され、奥の壁に映し出せるようになっていた。これも、私たちが卒業式実行委員の活動で計画した通りだった。


 私の隣にやってきた直澄が、ポケットからリモコンを取り出して操作する。

 青い画面が、映像に切り替わる。


 映し出されたのは見慣れた景色だった。

 図書室。杏里と梨々子と三人で、放課後に居残り勉強をしていたいつもの席。


 画面の端から、ぴょんと跳び込んでくるようにして背の低い髪の女の子が現れる。

 トイプードルのような茶色い髪が、彼女の動きにあわせて揺れる。


 杏理は、スクリーンの向こうからこちらを覗き込むように見つめる。数秒の沈黙があってから、口を開いた。


「私、いま、すっごい落ち込んでる。なんていうんだっけ。そう、自己嫌悪。なんか、変な感じ。ここに伊織がいないなんて」


 暗がりにぼんやりと浮かぶスクリーンの中、杏理は子犬のように純粋な瞳で語り掛けてくる。


「私が落ち込んでるとき、悩んでるとき、イライラしてるとき、いつも傍にいてくれたよね。その言葉に、いつも助けられてた」


 すぐに気付いた。これは、委員会で計画していたビデオレターだ。

 だけど、その内容は、私と直澄が撮ったものとは違っていた。七里高校の最後の思い出、じゃない。そのメッセージは、私に向けられていた。


「伊織……あの時、あんなこといって、本当にごめん。あの時は、自分のことがせいいっぱいで、どんな気持ちで卒業式の準備をしてくれてたかなんて考える余裕、なかった。伊織の方が、辛かったよね」


「私ね、伊織のこと、やっぱり大好きだよ。生きてる時代が違っても、いっしょに未来にいくことができなくても、それでも、あなたに会えてよかったよ。死ぬことは怖いし、このまま消えるなんて嫌だし、もっとみんなと一緒にいたいし、結婚もしたいし、海外旅行にもいきたい、もっとやりたいこともある。でもね、この三年間の中では、もうやりたいことはないの」


「ぜんぶ、あなたのおかげ。ねぇ、伊織。私はもういなくなるけど、私たち、ずっと友達だよね」


 ぶつり、と映像が切れる。

 すぐにスクリーンがまた点いて、そこには恭也が映っていた。


 場所は学校の屋上。私が恭也に告白された場所。それから、恭也と杏理が恋人になった場所だ。フェンスの向こうには、瀬戸内海が広がっている。


「あんときは、悪かったよ。いちばん思い出したくなかったことで頭の中でいっぱいになって、つい、あんなこと言っちまった。お前を、傷つけちまった」


 ハンサムな顔に、叱られた子供が親の顔色を伺うような笑みを浮かべる。そのギャップさえカッコイイと思わせるのが彼のすごいところだ。


「俺、お前のこと、本当に好きだったんだぜ。だから、入学したときからずっとちょっかいかけてた。それなのに、情けないよな。自分がとっくに死んでたくらいで、お前のこと、裏切り者あつかいするなんて……あのとき、思ったよ。おさまるところにおさまったんだなって。あのとき、お前を庇ったのは、直澄だけだった」


「俺のこと振ってくれて、ありがとな。おかげで、杏理と付き合うことができた。あいつのすごした半年は、すごく幸せだった。五十年前の俺たちじゃ、考えられないことだよ」


「俺たちの分まで、生きてくれ。俺たちの分まで笑って、泣いて、幸せになってくれ」


 映像が切り替わる。いつもの教室。

 教壇の上に、黒板を背にして、早川さんが立っている。彼女には、教壇の上がよく似合う。


「あれから、話し合ったの。あたしたちがこうやって卒業できるところまでこれたのは、伊織のおかげだって」


「あなたが来てくれるかどうかわからないけど、卒業式をやろうって。それからね、あなたは、あたしたちのために卒業式をやろうとしてくれた。でも、もらうばかりって嫌だなって話になって、それから、あなたに向けてビデオメッセージを撮ることにしたの。つまり、これのこと」


「本当は、あたしたちの時間はもうとっくに終わってた。薔薇に襲われた時点で、なにもかもは消えていたはずだった。それをここまで連れて来てくれて――ありがとう、伊織」


 映像が切り替わる。教室。よく杏理と梨々子と三人で集まっていて、たまに宗汰がちょっかいを出してきた窓際の真ん中の席。

 いつものように何も考えてないような笑顔で、宗汰が座ってる。


「ごめんとか、ありがとうとか、お前のこと大好きだとか、きっとみんな言ってるだろうから、俺は違うこと言うぜ。だいたい、俺、あのとき、ショックで茫然してただけだしな。俺、無罪、いえー」


「なぁ、今の七里島って、どんな感じだ? みんな、生き生きしてるか? 笑えてるか? でも、ここくにくるまで大変だったろうなー。復興とかさ。終末とか世界の終わりとかは、アニメの中だけでいいや」


「なぁ、一つだけ教えてくれよ。俺の実家で買ってたヤギたち、どうなったか知ってるか? あ、あともう一つ、教えてくれ。梨々子ってさ、俺のことどう思ってんのか……やっぱいいや。自分で聞くわ! じゃな、元気でな!」


 次に映し出されたのは、中庭だった。園芸部が手入れをしていることになっていた花壇が映る。カメラが少しだけ横にずれて、手前のベンチに移動した。そこには、梨々子がいる。


「ねぇ、伊織。私ね。私の夢をちゃんと打ち明けたの、あんたにだけなんだ」


「それまでは、五十年前も、誰にも打ち明けられなかった。あんただけは、みんなとなにか違ってるって思ってた。それはきっと、あんたの性格のせいだと思ってた。でも、違ったね」


「私、思うんだ。きっとね、私たちがあなたに特別なものを感じたのは……きっとそれは、あんたの未来に惹かれてたんだと思う。幼い子供を愛おしいと思うように、あんたのことが愛おしくて、みんな、あんたになにかを託したかったんだ」


「あんたは、いつか夢なんてないっていってた。でも、そんなの許さない。これだけのみんなから色んなものを託されてるんだから。やるべきことをみつけて。がんばって、あなたの夢を叶えて。せいいっぱい、生きて。私たちのぶんも、生きて。あなたの友達でいられたことは、私たちの宝物だよ」


 梨々子が笑う。いつもクールな優等生の目には、涙が光っていた。

 スクリーンが、最初の青色の画面に戻る。


 もう次の映像は流れなかった。

 体育館の静けさが私を囲む。その静けさに、また不安が込み上げてくる。


「ねぇ……これは、なに?」


 隣に立つ直澄に問いかける。


「みんなからお前へのメッセージだ。最後に、消える前にせめてって、俺が撮った」


「みんなは、どこにいるの? ねぇ、これで終わりじゃないよね? 嘘だよね? もうどこにもいないの? これだけ? こんな一方的にもらうだけなんて――そんなの、嫌っ。うそって、いって。言ってよ」


 縋るように言うけれど、直澄は寂しそうな顔を浮かべるだけだった。


「いやっ! いやだっ!」


 崩れ落ちるように、膝をつく。

 みんな、いなくなってしまった。


 メッセージを残して、消えてしまった。

 涙が溢れてくる。


 ずるいよ。こんなの、ずるい。そんなの、嫌だよ。

 私は、みんなのために卒業式をやるつもりだったのに。五十年前にできなかった卒業式を、プレゼントするつもりだったのに。


 こんなふうに別れるなんて嫌だ。もっと、たくさん話したかった。もっと、伝えたいことがあった。


 頬を伝った涙が、雫となってステージの上に落ちる。

 一つ、二つ、板張りの上の丸が増えていく。



 次の、瞬間だった。



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