7-7

「薔薇が取り込んだ人たちの幻を見せるのは、きっと、この島の薔薇が、人間のことを寄生する対象としてじゃなく、共生するパートナーと考えているからだよ。だから、飲み込んだ人たちが抱えている未練や思い残したものを叶えようとしてる。私にはね、そんな風に思えるの」


 それは、物心ついたころから、ずっと薔薇と育ってきたから感じることだった。

 右脇腹の薔薇は、生まれた時からほとんど成長していない。それが、薔薇が私たちと共に生きることを選んでくれた証明だ。


「でも……じゃあ、庭のあれはなんなのよっ。お母さん、だったんだろ」


「お母さんは、病気だったの。五十年前なら簡単に治る病気だったらしいけど、もう薬なんてなかったから。薔薇がお母さんを飲み込んだのは、お母さんが起き上がれなくなって、ほんとうにダメになってからだった」


 あの日のことは、今もはっきり覚えている。

 お母さんは、毎日のように血が混じった咳をするようになっていた。


 そして、その時がやってきた。五月の終わり。朝から降り続く雨が縁側の窓を叩いていた。お母さんはたくさん血を吐いて、私に「ごめんね、一人にさせちゃって」と呟いた。


 次の瞬間、それまでお母さんの胸の上で小さな枝を出したまま成長しなかった薔薇が、急に大きくなってお母さんを取り込んだ。そして薔薇は、這うように縁側に落ちて、そこに根を下ろした。


「きっと、薔薇には寄生している人の死がわかるんだと思う。薔薇になる直前、お母さんは、どこかほっとした顔をしていた」


「そんな……そんなの、普通じゃない」


「いつか、私も死ぬときは、この場所で薔薇になろうと思うの。お母さんが薔薇の人になったとき、私は生きてないかもしれない。でも、ここにいれば、同じ薔薇の人になって、また会えるかもしれないから」


 そっと、リオに笑いかける。

 リオのことは大好きだった。初めてできた、この島の同年代の友達だ。だから、彼女がみんなを空港島に誘うのも黙って聞いていた。


 お母さんは島に薬がなかったせいで苦しんでいた。同じような病気の人が家族にいるのなら、空港島にいきたいと考えるだろう。


 みんな、色んな事情がある。だから、リオのことも、島を出る人たちも、誰も責めたりしない。その日が来たら、笑顔で見送るつもりだった。


 でも、それは間違いだった。もっと早く、本当のことを伝えるべきだった。


 私が大切にしてきたものは、ぜんぶ壊れてしまった。この島だけじゃなく、学校も、クラスのみんなも、大好きだった人も。


 それはすべて、彼女が知らなかったからだ。そして、薔薇の人たちや島の人たちのことを、空港島の考え方でしか見ていなかったからだ。


 今からでも、遅くない。

 リオは、自分がなにをしたのかを知って、傷つかなきゃいけない。

 もしその痛みに気づいてくれるなら、私はまだ、彼女を許すことができる。


 怯えるリオに向けて、問いかける。


「これで、わかった? 私は空港島にいかないんじゃない。いけないの」


 空港島は、中に入る人を厳しくチェックするという。

 体に薔薇がある人が見つかったらどうなるだろう。追放されるだけで済むのだろうか。もっと酷い目に合わされるのだろうか。リオは、よく知ってるはずだ。


「この島には、同じように薔薇を持っている人がたくさんいるの。みんなお互いに聞いたり話したりしないから、誰がそうなのかわからなかったけど。たぶん、ちゃんと知ってたのは佐々木先生だけだったんじゃないかな。みんな、知ってて、触れないようにしてたの。その方がいいから……リオが、あの提案をする前まではね」


 リオが提案したとき、曖昧にしておくことで、この島を包んでいた優しさは壊れてしまった。

 島を出ると言った人は、薔薇に寄生されていない。この島に残ると言った人は、きっと家族の誰かが薔薇を持っているのだろう。


 それまで見えないことにしていた真実が、見えてしまった。みんなの間に見えない壁ができた。だから、佐々木先生はあんなにも怒ったんだ。


「リオ、この島には未来がないっていったよね。みんな、空港島に移り住めばいいっていったよね。だけど、この島から出ていけない人もいるんだ。リオがしたのは、そういうことなの」


 リオの顔に、後悔が広がっていく。自分のしたことの意味が、やっとわかったらしい。


「……私、そんなつもりじゃっ」


 彼女の様子に、臆病な私の心は揺れた。慣れないことをして、心をすり減らしているのは私も同じだったらしい。


「わかってくれたら、それでいいの。ちゃんと知るべきだと思った。それから、私のことを、ちゃんと知ってもらいたかった」


 床に座り込んだままのリオの目の前に、しゃがみ込む。

 そして、せいいっぱいの祈りを込めて聞いた。


「私と、まだ、友達でいてくれる?」


 いつだって、人と人を隔てるのは無知と偏見だ。

 薔薇も、五十年前の人たちも同じ。

 お互いのことをちゃんとわかれば、まだ繋がっていられる。そう信じる。


「いやっ、来ないでっ! 近づかないでっ!」


 リオは悲鳴をあげて、後ずさる。

 すぐに、自分がなにを言ったのか気づいたようだった。でも、もう手遅れだった。


 リオにとって今の私は、薔薇と同じ。生まれた時から教え込まれてきた、恐怖の対象になってしまった。


 私が、直澄に秘密を明かすことができなかったのは、こんな反応をされるのが怖かったからだ。

 打ち明ければ、こうなるかもしれない。

 わかっていたはずだった。だけど、私の胸は、鋭い爪でかきむしられたように傷ついた。


 リオは立ち上がる、今さらなにを言っても無駄なのは、お互いにわかっていた。

 今の悲鳴が、彼女の心のすべてだ。


「……ごめん」


 リオはそう呟くと、そのまま、背を向けて駆け出して行く。

 この島で、やっとできた同世代の友達。だけも、もう永遠に友達に戻ることはないだろう。


 床に落ちていたブラウスを拾って袖を通しながら、縁側に下りた。お母さんの傍にしゃがみ込んで、そっとおでこを白い花びらにつける。


 覚悟していたはずなのに、涙が溢れてきた。

 しばらく、母親にあやされる子供のように、声を上げて泣き続けた。



     ◆◇◆◇◆

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