6-4
部屋の一番奥、壁を背にして立つリオに、島中の視線が注がれている。
集会所には、島民のほとんどが集まっていた。
私はリオのすぐ隣に立っていた。いま、この瞬間に友達としてできるのは、傍にいることくらいだ。
町長に事情を話し、みんなを集めてもらった。日中は仕事で手が離せない人も多く、集会が開かれたのは夜になってからだった。
七里島ではずっと、なにか大きな変化が起きるたびに、こうして町内会議が開かれてきた。
私が高校に通いたいといったときも、同じように議論が交わされた。
今日、ここで話し合われるだろうことは、それとは比べ物にならないくらい大事件だけど。
みんなの顔を見渡す。なにがあったかは町長以外には話していない。
新しい祭りでも期待してるのか、楽しそうにしている人が多い。
代わり映えのない毎日だから、イベントごとはみんな歓迎だ。不機嫌そうな顔の人がちらほらいるのは、きっと今日が大晦日だからだろう。
大勢に囲まれ、リオは緊張した様子だった。
四ヶ月前に島に流れ着いた少女は、空港島の代表として自分で話さないといけないと気負っているらしい。
大きく息を吸って、リオが声を発する。
「今日、私の通信機に、私の故郷の空港島からの連絡があった。空港島は、みんなを受け入れる準備があると言ってる」
集会所が、静まり返った。
「みんなが、この島を好きなことは知ってる。だけど、もし、この島から空港島に移住したいっていう人がいれば言ってほしい。いつになるかはわからないけど、空港島からカーゴシップが来る。この島の全員が乗り切れるような船だよ。それで、あっちに移住できる」
いったん言葉を止めて大きく息を吸い込むと、残りを続けて吐き出す。
「正直いって、空港島の暮らしは、ここよりもしんどい。仕事はきついし、食べものも美味しくない。でも、薔薇から守られている安全な場所だ。電気だって発電できるし、科学技術だってここよりずっと残ってる。私は、この島が好き。みんなには本当に感謝してる。でも、私はそれでもあの場所に戻りたい。あそこが、人がこれから百年先も生きている場所だと思うから」
みんなが想定しているよりも、深刻な話題だったのだろう。
一瞬の沈黙のあと、すぐに近くの人と意見を交わし合う声が波のように埋め尽くした。
町長が声を上げる。のんびりした声音は、騒然とした広間に不思議とよく響いた。
「みんな、今すぐどうこうってわけじゃないんだ。船はいつくるかわからないし、ゆっくり考えてくれたらいい。もし、質問や、この場でなにか言いたい人がいたら言ってくれ」
また、集会所が静かになった。
その静寂の中で、ゆっくりと佐々木先生が立ち上がる。診療所で、島民の健康管理をしている白髪の老人だった。
いつもは穏やかな佐々木先生が、眉間に皺をよせ、見るからに不愉快そうにしている。
「気に入らない言い方だな。まるで俺たちは、そのうち死んじまうみたいじゃないか。俺たちは助け合いながら、なんとかこの島を存続させようと日々あがいている。それを、馬鹿にするのか?」
同調するように、数人の大人たちが頷く。
「馬鹿になんかしてないよ。残りたい人は、残ればいい。ただ、私は、もし行きたいって人がいたら一緒に行こう、そう言ってるだけ」
「そこは君の故郷だ。故郷に帰りたいというのを止めやしない。だけど、我々は今のままの暮らしでやっていける。みんなを惑わすようなことを言うのはやめてくれ」
佐々木先生はそう言うと、もう話すことはない、とばかりに座った。誰かが「恩知らずなやつだ」と呟く声が耳に届く。
今度は、牧場をやっている山内さんが立ち上がる。いつも通りの無表情で、職人気質な雰囲気をまとっていた。
「羊たちは連れていけるのか?」
「それは、無理だと思う」
「なら、話にならんな。俺たちは島に残る」
「あのさぁ、いきなり話だけされてもわからないのよね。一度、空港島がどんなところか見てから決めるっていうのはできないのぉ?」
次に発言したのは、私がいつも小麦をわけてもらっている渡辺のおばさんだった。
「空港島の中に入れるのは、市民だけなんだ。中に入る前には、薔薇を内部に持ち込ないように厳しい身体検査がされる。だから、ちょっと見学っていうのは難しいかな」
「あらそう。じゃあ、私もパスねぇ。そんな冒険ができる歳じゃないもの」
その言葉に、ほっとする。渡辺のおばさんがいなくなったら、小麦がもらえなくなる。パン屋にとっては死活問題だ。
七里島は、誰かが誰かを支え、みんなで支え合って生きている。誰かがいなくなるってことは、残された誰かが困るってことだ。佐々木先生があんなに苛立っていたのも、それが原因の一つだ。
今のところ、手を上げる人は誰もいないようだった。それどころか、島の人を連れて行こうとするリオの提案に怒っている人の方が多そうだ。
このまま解散かと思った時、意外な声が聞こえた。
「俺は、空港島にいきたい」
立ち上がったのは、ノブさんだった。みんなを気遣うように俯きながらも、決意を固めたような声だった。佐々木先生がすぐに言葉を投げる。
「なに言ってんだ。ノブ、お前がいなくなったら、誰が潮流発電機の面倒をみるんだ」
「それは……今から、誰かに教えるよ」
「今からって、そんな簡単なもんじゃないだろ。無責任なことを言うな」
「無責任ってなんだよ。俺は、ずっと、この島のために働いてきた。このまま一生、島のために働くのが俺の責任なのか。もう、うんざりなんだよ」
その言葉は佐々木先生だけじゃなく、みんなに向けて放たれていた。
ショックだった。いつも優しいノブさんが、こんな風に考えていたなんて。
「それだけじゃない。はっきり言うよ。俺は、ずっと怖くてしかたないんだ。五十年前の記録映像を、薔薇が人間を飲み込む瞬間を見たやつはどれだけいる? 俺は、残されてる映像を全部見たよ。あの光景が、頭から離れない。休眠状態だから安全だなんて誰が決めたんだよ。俺は、薔薇が怖くて仕方ないんだ」
その言葉だけは、黙って聞いていられなかった。何も知らないリオの言葉なら、許せる。
だけど、七里島で生まれ育った彼が、自分が口にしている言葉の意味を知らないわけがないだろう。立ち上がって声を上げる。
「この島の薔薇は、もう人を襲ったりしない。ノブさんだって、それは知ってるまるよね?」
「なぜ言い切れる。明日になったら俺たちを襲ってくるかもしれない。多少の不自由で安全が得られるなら、俺は、安全を選ぶよ」
ノブさんの言葉が、雨水が地面に沁み込んでいくように、みんなの心の中に広がるのがわかった。そこで、意外な人が声を上げる。
「私も、移住したいな」
ミサ姉さんが、雑談でも始めるような軽い声で立ち上がる。
佐々木先生がみんなを代表して、また声を上げる。
「ミサさんまで、なに言ってんだ」
「昨日、私の家の冷蔵庫が壊れたの。もう直らないって。当たり前のものが一つなくなって、すごく不安になった。私は、この島の暮らしが好きだよ。だけど、私の子供たちが大人になった時、同じだけのものが残っているとは思えない。周りをみてよ、この島に残っているのは、もう半分以上がお年寄りじゃないですか。私は、子供たちの未来のために、安全な暮らしを残してあげたいの」
いつか、咲良さんやリオと浜辺でバーベキューをしたときも、この話になった。
誰もが口にしないけど、島の未来についての不安はある。子供がいるミサ姉さんは、私たちよりももっと考えているのだろう。
この島の住民は、世界が滅びる前に生まれた世代が一番多いい。ミサ姉さんの子たちが大人になったとき、この島にはいったい何人の人が残っているだろう。
二人の声がきっかけだったように、ぽつりぽつりと空港島へ行きたいという声があがる。
「大きな病気になったら、ドクターは治してくれますか? もう診療所には、まともな薬は残ってないでしょう?」
「俺、結婚したいんだよ。どうせ、みんな知ってるだろけど、まだ童貞なんだぜ。この島には、もう俺と結婚してくれるやつはいないだろう。だったら、いってみようかな」
「島の生活って、なんか、この先も永遠に同じよね。だったら、せっかくの人生だし変わったことをするってのもありかな」
声をあげているのは、若い世代の方が多いみたいだ。逆に、年配の人たちは島を出るつもりはないらしく、出ていくという声が増えていくのを不安そうに聞いている。
さすがに、このまま話を続けるのはよくないと思ったのだろう。町長が立ち上がって、声を張り上げた。
「今日は、これで解散にしよう。とにかく、時間はまだある。だから、それぞれでゆっくり考えてくれ」
みんなは、ばらばらと普段からよく話をするグループに分かれて集会所を出ていく。
そんな中、人の流れに逆らうように、佐々木先生が近づいてきた。
「余計なことをしてくれたな。帰るなら、自分一人でこっそり帰ればよかったのに。この島から、これ以上、人が減ったら、全員の生活が成り立たなくなる。島が死ぬんだぞ。いや、お前が殺したんだ」
いつも優しい先生が、強い口調でリオを非難する。
だけど、リオも引かなかった。先生を、真っすぐに見つめ返す。
「だったら、みんなで空港島に来ればいい」
「やっぱり、お前はよそ者だ。この島のことを、なんにもわかってない。この島から出たくても出れない人がいるんだよ」
先生はそれだけ告げると、面白くなさそうに背を向けて離れていった。
リオは、しばらく動けずに立ち尽くしていた。いままで親切にされてきた人たちに冷たい言葉を投げられ、自分のせいで島のみんながばらばらになったのを見て傷ついたのだろう。
町長が「君は悪くないよ」と呟いて肩に手を置いてくれる。だけど、その目にも、これから島にやってくるだろう変化に不安を覚えているのが映っていた。
私にも町長にも、先生が言ったことの本当の意味がわかっている。
だけど、まだ島にきて半年足らずのリオは、それを知らない。
「……ねぇ、伊織。私は、そんなにひどいことしたのかな」
リオの問いに、私は答えることができなかった。
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