第44話

 目が覚めた。一瞬、すべては夢だったんじゃないかと思った。だけど俺は紗季さんのベッドに寝ている。つまりこれは、紗季さんの話が現実にあったということだ。紗季さんは部屋の床にマットレスを敷いて寝ている。シスターの服を着たまま、恐らく着替えてもいない。たぶん俺のことを、一晩中見守ってくれていたんだと思う。


 何もかもを失った気がする。もう何もしたくない。体をまともに動かす気力もない。前に金を盗まれた時みたいに、路上で呆然として、日々を過ごす自分の姿を想像する。正直、気分的にはあの時よりも悪い。圧倒的に最悪な気分だ。自暴自棄になってしまいたい自分が今、ここにいる。生きるための理由が突然消えてしまって、暴れたりはしないにしても、もうすべてを投げ出したい。

 しかし、だ。今それをやったら、紗季さんは俺を救おうとしてくれるだろう。つまり、すごく迷惑をかけることになる。俺も今ではスラムに少し顔見知りがいる。その人たちにずっと心配をかけることになるだろう。

 それなら例えばスラムの外に出て、誰も知らない街に行こうか。幸いなことに少し金はある。でもこの金は……マイと屋台をやるために稼いだ金だったな。苦労して稼いだこの金を、ただ俺が逃げるために使うってのも胸糞悪い。それに融合炉の売却も済んでいない。……いろいろ考える前に、とりあえず中途半端になってる仕事を終わらせるべきだ。マイが死んで傷ついてるのは、俺だけじゃないはずだ。


 床に寝ている紗季さんを起こすのは申し訳ないので『ちょっと外に出かけます』という書き置きをテーブルの上に残した。それで部屋を出たら、ドアの前にタケルが立って待っていた。

「兄ちゃん、話は聞いたよな」

 神妙な顔をしてタケルが言った。

「うん……」

「本当にすまん! 謝って済むことじゃないけど、俺はマイを守れなかった。本当に……ごめん!」

 頭を下げたまま、タケルがうなだれている。俺はタケルの肩に手をかけた。

「タケルが謝ることなんて無い。俺もまだ、心の整理がつかないけど、タケルのことは全然悪く思ってない。マジで。というか、誰かに八つ当たりする余裕も無いよ……」

 俺はつぶやいて言った。しゃべりながらまた、涙が出てきてしまった。

「犯人が銃を持ってるかもしれないって、俺が少しでも考えてたら、もっと違った結果になってたんだ。ごめん、兄ちゃん……」

 タケルがボロボロと涙をこぼしている。俺もつられて涙が止まらない。


 少ししてから俺は、一度大きく深呼吸した。このままだと誰も浮かばれない。マイが死んで、辛いことしか残らない。それじゃ駄目だ。

「タケル。俺さ、まだやってた仕事が終わってないんだ。けっこう急ぎの仕事でさ。それが終わらないと悲しんでもいられない感じで。それでタケルも辛いだろうけど手伝って欲しい。たぶん今は仕事に没頭するくらいのほうが、お互い精神的にも楽だと思う。たのむ」

 涙声で言ってしまった。タケルは声を出さずに何度も頷いた。

「本当に、何も責任を感じる必要無いからな、タケルは。俺も一旦切り替えるから仕事に集中しよう」

 俺は言った。実際は切り替えるなんて無理だけど、やるしかない。

「わかった」

 タケルが真面目な顔をして涙を手で拭った。


 教会の敷地内で穴場というか、普段誰もこない場所がある。俺はそこで端末を使ってコズエ先生に連絡をした。サツキさんが書き置きと共にいなくなった。というわけで、2基目の融合炉をオークションに出してもらう必要がある。


「そっか、残念ね。オークションの方は任せて。おそらく前と同じくらいか、それ以上の金額になるでしょう。だけどお金はどうやってそちらに送る?」

 コズエ先生が言った。

「募金を受け付けるために、教会が銀行口座を持っているんです。教会には許可を取ってあるのでそこに送金してもらえますか? 詳細はメールで送ります」

 俺は言った。

「わかった。たぶん一時間以内に送金できると思う。詳細はこちらからもメールで送るわね。他に何かある?」

「あの、有害物質の処理をしてもらうのって、どれくらいお金がかかりますかね? スラムのごみ捨て場にゴキブリのフンが大量にあって、それを処理する必要があるんです。サツキさんに全部任せていたので、俺は何も知らなくて」

「そうね、規模にもよるけど。都市部の業者に出張してもらうとして、100万もあれば足りるんじゃないかしら。もっと安く済ませることも出来るけど、病原菌が絡んでいるとなると、マトモな所に頼みたいわよね。詳細はクララに調べてもらってメールさせる。業者のウェブもあるから参照してみて」

「ありがとうございます。あと俺、スラムの復興事業をやろうと思ってるんですが、そういうのを専門にしてる業者ってありますかね」

「復興事業ってタクヤがそこまでするの? サツキさんはいなくなったとして、他に任せられる人はスラムにいないの?」

「探せばいるかもしれないですけど、俺にはコネが無いので。というか、せっかくだから、自分で好きなようにやってみたいと思ってまして。仲間にも手伝ってもらって、目につくところだけでも綺麗にしたいんです。たぶん、文句を言う人もいないと思う」

 俺は言った。けっこうヤケクソな感じだ。でも今立ち止まったら、辛い気持ちに負けてしまう気がする。

「ふーん、ちょっと面白そうね。じゃあさ、こうしない? 私とクララとタクヤで、あとでウェブ会議をしましょうよ。それで今の資金を活用して、どれだけのことができるか考えましょう。なんだったら、タクヤのお友達も同席してもらってかまわない。みんなの意見を聞いたほうがいいわよね。業者の選定とかは、私とクララに任せてもらうとして」

 楽しそうにしてコズエ先生が言った。

「ありがとうございます! マジで助かります!」

 ありがたくて涙が出そうだ。というか、ちょっとまた、涙声になってしまっている。

「いいのよ。でもね、タクヤ……無理はしすぎないでね。実はね、私もある程度は事情を知ってる。休めとは言わないけど、あなたが倒れたら私達がつまらないから」

 コズエ先生が優しい声になって言った。

「マイが死んだことを、ご存知だったんですか」

「……うん。タクヤが戻ってきたときには知ってた。でも、私の口から言う必要はないと思って黙ってたの。ネットのうわさみたいな情報だったから、あいまいなところも有ったし。でもごめんね」

「……いえ、ありがとうございます。俺、今はけっこう無理してでも頑張ろうと思います。そのほうが気が紛れそうなので。なので復興事業の件、よろしくお願いします!」

 俺は元気よく言った。さっそく融合炉をオークションにかけると言って、コズエ先生が通話を切った。

 さて、これから忙しくなるはずだ。もう、今は何も考えずに、全力で突っ走って行くぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る