第16話

 俺は斉藤商店で買い物をした。タケルのアドバイスによると、ゴミ袋とひっかき棒さえあればなんとかなるという事だった。だけど俺は、やはり防具はできるだけ揃えたいと思った。怪我をしてから後悔しても遅い。丈夫そうな長靴と手袋、マスクを買うことにした。

「全部で700円だね。ゴミ拾いは初めてなんだから、少しおまけをしておくよ」

 かあちゃんが優しく微笑んで言った。

「ありがとうございます!」

 頭を下げて俺は商品を受け取った。値札の通りだったら支払いの合計は780円だったはずだ。だいぶおまけをしてもらった。

「あ、ズリぃなぁ。兄ちゃんイケメンだから、かあちゃん贔屓ひいきしたな」

 タケルが、からかうようにして言った。

「じゃあ、あんたにもゲンコツをおまけしてやるよ!」

 かあちゃんが腕を振り上げるのと同時に、タケルが慌てて店の外に駆け出して行った。俺も急いで外に出る。タケルは店を出た所で、ちゃんと俺を待っていてくれた。

「いい店だよなあ、斉藤商店。かあちゃんは優しいし」

 俺はタケルの顔を見て言った。

「うるせえババアだけどな。まあ、俺も世話にはなってるよ」

 偉そうにタケルが言った。

 ゴミ拾いの子供達は斉藤商店に集まる。「かあちゃん」の店は、ゴミ拾いの子供たちの心の拠り所になっている。スラムには親がいなかったり、虐待をされて家出をした子供が多いそうだ。タケルがゴミ山への道中、雑談混じりに話をしてくれた。

「タケルの家族は?」

 俺は訊いてみた。

「俺の親はけっこう前に病気で死んだ。発電所の方に行ってゴミを拾ってたから、そのせいだと思う」

「そうか……」

「でも妹がいてさ、まだ5歳なんだよ。だから俺が稼がないとマズいんだよね」

 タケルが何気なく言った。俺はアニメの「ホタルの墓」を思い出した。あの映画を見た時に、俺はシャレにならないくらい泣いたわけだが、タケルはリアルであれをやっているわけだ。いい加減に見えるけど、こいつも苦労をしてるんだろうな。

「ついたぜ」

 タケルが言った。目の前にゴミの山が連なって見える。遥か遠くまでずっと続いている。壮観とは言えないけど、迫力のある景色だ。俺はサンダルを長靴に履き替えた。ひっかき棒を握って気合を入れる。生き延びないとな。俺も今はホタルの墓みたいな世界にいるのだ。それ以下かもしれないけど。

 タケルと一緒にゴミを踏みしめて歩いて行く。生ゴミのひどい匂いがする。蒸し暑い。ハエがブンブン飛んでいる。タケルは平気な顔をしている。だから俺もビビったそぶりを見せるわけには行かない。

「ほら来たぜ! あれがケージ!」

 タケルが空を指さした。黒くて長方形の物体が空の上を移動して来て、ある点でピタッと止まった。

「見てろよ?」

 箱の下が扉のように開いて、バラバラとゴミが地面に降り注いだ。周囲にいた人が我先にと、ゴミの落下地点を目指して走り始める。

「この時の距離とタイミングだな。これはさあ、言葉で説明するのはムズいんだよ。慣れるしかないから」

「うん」

「それじゃまあ、普通に拾ってみるか」

 タケルが小さく頷きながら言った。


 俺は初めてゴミ拾いをした。アルミの空き缶、ペットボトル、鉄くず。それらが主に買い取ってもらえるゴミだ。金にならないゴミの中から探し出すことになるので、周りの人間と競争になる。金目の物はあっという間に拾われてしまう。だからこそみんなは「ケージ」が落とした瞬間の、新しいゴミを争って拾っているわけだ。

 休憩を挟みながら日が暮れるまでゴミを拾った。疲れて死にそうになった。だけどタケルは、文句ひとつ言わずに黙々とゴミを拾っていた。しかも的確に俺にアドバイスをしてくれた。おかげで、ケージとの距離感とか、拾いに行くためのタイミングが少しずつわかってきた。

「兄ちゃん、今日はこれくらいにしようか」

 タケルがフゥっと息を吐いて言った。その言葉を聞いて俺はすごくホッとした。体力がギリギリだ。だけど、自分から止めようとは意地でも言いたくなかった。それにしてもタケル、見た目によらず体力があるなー。慣れというのもあるのかな。

 重くなったゴミ袋を引きずって、2人で「新宿ジャンクヤード」へ向かった。ゴミヤさんは留守中で、他の従業員の人にゴミをスキャンして貰った。その結果、タケルが120円。俺が60円の稼ぎになった。60円か……。今日は昼から夕方まで働いたのに。こんなんで大丈夫か? 生きていけるのか?


「最初にしてはよくやったよ。そんなガッカリした顔すんなよ」

 タケルが俺の肩を叩いて言った。

「タケルは普段、どれくらい稼いでるの?」

 俺は訊いた。

「んー、平均して300円くらいかな。今日は午前中、サボってたしな」

「一日で何時間ぐらい働いてる? 何時から何時くらいまで?」

「えーと、早いときは朝の5時くらいからやって、午後3時くらいまでかな。夜にもケージが来てるから、明け方は狙い目だよ」

 一日で10時間労働かよ……。時給30円。物価を考えても相当キツイぞ。

「一日で300円稼いで、タケルはどうやって暮らしてんだよ? 妹もいるんだろ?」 

「またまた暗い顔して。とにかく飯にしようや。スラムでの暮らし方とか、もう少し教えてやるからさ」

 タケルが苦笑いをして言った。そうだよな、暗い顔をしても何にもならない。とにかく俺は今日、初めて金を稼いだのだ。これでようやく一歩を踏み出せる。

 おすすめの屋台がある、という事で、ゴミ山のすぐ側にある「どんぶり飯」の屋台へ行った。ゴミ山のすぐ側だから当然匂う。ドブに洗剤をまぜたようなスゲー匂い。今日一日で結構慣れたけど臭い。こんな所で飯を食いたくない。だけどこれ以上歩く気力も無い。

「きたきた!」

 どんぶり飯を屋台のおじさんから受け取って、タケルが両手をこすりあわせて嬉しそうにした。豚の角煮のようなものと野菜を茹でたものが、山盛りのご飯の上にどっさりと乗っている。めちゃくちゃ美味そうだ。具のない透明なスープも付いている。これで30円。確かに安い。タケルがおすすめと言うだけはある。

「いやー1日ぶりの飯だ。たまらんねー」

 タケルが箸を掴んで、ご飯をわしわしと食べ始める。俺は疲れ過ぎていて、箸を掴んだ指が震えてしまう。ご飯を口に運んで、ゆっくりと噛みしめて食べる。……しみじみと美味い。角煮が美味い。だけどこれ、なんの肉か全然わからんな。ゴミ山から拾ってきた肉じゃないだろうな。まあ、もう別にいいけどね。

「タケルは毎日稼いでるんだろ? 1日ぶりの飯ってどういう事?」

 腹が少し落ち着いたところで俺は訊いた。

「あー、うん。妹を親戚に預かって貰ってるんだけど、そこに金をいれなきゃならないんだよ。イジメられたりしたらヤダからさ、多めに金を渡す事にしてんの。だから俺はいつも金がギリギリなわけ」

 なんでもないようにタケルが言った。

「立ち入った事を聞くけど、その親戚にいくら渡してるの?」

「なんだよ『立ち入った事』って。兄ちゃん、おもしれーなぁ」

 タケルが盛大に笑って、ご飯粒を口から吹き出した。

「親戚の家には一週間で1000円渡してる。余裕があるときはもう少しかな。ゴミ山で使える服とか見つけたら、それも持ってくし。だから親切にしてもらってるよ、俺の妹」

 ちょっと得意そうにしてタケルが言った。

「300円かける7日で2100円の収入だろ? そこから1000円親戚に渡すと残りが1000円で。それでどうやって暮らしてるの?」

 どんぶりに集中しているタケルに、俺はまくしたてて聞いた。

「うーん、ちゃんと考えたことなかったなー。そうだな……飯と水で一日50円。でも腹減ってたら100円使っちゃうかな。斉藤商店でお菓子買っちゃう時もあるし。そうするとほとんど無くなっちゃうよね。かあちゃんに借金もあるしさ」

「寝る場所は?」

「まあそれは色々? 友達の所行ったり、橋の下で寝たり」

「そっか、大変だな……」

「みんなそうやってるんだからさ。兄ちゃんも大丈夫だって。心配し過ぎだよ」

 背中をバシッと叩かれた。

「心配しても腹は膨れないしな」

 俺は大きく息を吐いて空を見上げた。空気が汚れているせいで、くすんだ灰色の雲しか見えない。


 飯を食い終わったあと、タケルが寝場所の一つを俺に教えてくれた。昔、電車の駅があった所だという。街灯がいくつもあって明るい。位置的に考えると過去の原宿駅あたりかもしれない。コンクリートの地面に、たくさんの人がギュウギュウ詰めになって寝ている。スゲー景色だな。

 ここは割りと安全だからさ、とタケルが言って、さっそく地面に寝っ転がった。俺が話しかけようとして肩に触ったら、すでにタケルは寝息を立てていた。眠るの早! のび太かよ。でも、俺も疲れているからすぐに眠れそうだ。

 頭が痒い。体が臭い。汗でベトベトしている。シャワーを浴びたい。不快なのは相変わらずだけど、今までとは違って少しだけ心が落ち着いている。ようやく金を稼ぐ手段を手に入れた。ここからなんとか這い上がりたい。俺はタケルのとなりに横になって、ゆっくりと目をつむった。

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