世界のすべてを敵に回しても

高鳥瑞穂

第1話

I cannot lose a world for thee, but would not lose thee for a world.

                  ――――George Gordon Byron




あの日、世界は光りに包まれて、そうして終わってしまったらしい。


古びた学校の校舎。ところどころ明らかに経年劣化とは異なる真新しい傷跡が残る廊下。歩くとスニーカーがキュッキュッと音を立て、その音がしんと静まった廊下にこだました。


あの日から二週間が経った。


すでにガスも電気も止まっているので、あまり日光の入らない廊下は薄暗い。僕たちは朝日とともに起きて、日が沈んだら懐中電灯を灯し、早くに眠る生活をしていた。懐中電灯の電球や電池もいつまで持つかわからないから無駄使いはできない。

2階の教室へ入る。

今日は校長室から応接用ローテーブルを運んだ。程よい机がなくてずっと教室机で生活していたが、校長室に応接テーブルがあることを思い出したのだ。二人分の食事を並べるにはやはりこのサイズの方がいい。

天文部や用務員室からパチってきたシュラフや毛布が部屋の隅に積まれている。その中から手頃な毛布を取ってローテーブルの脇に置く。校長室のソファは一人では運べなかった。明日手伝ってもらおう。

毛布で作った即席座布団に腰掛け、祈るように手を組む。


――どうか、今日は彼女が戦わないですみますように。


今日も夕暮れが近づき、赤くなった空にオレンジの鮮やかな雲を浮かべていた。




「ただいま。今日も食べ物いっぱい取ってきたよ」

そういって2階の窓から入ってきたのは、僕の彼女であり勇者である琴音だった。

彼女はまるでファンタジーアニメに出てくる勇者のような恰好をしていた。腰に剣を携え、色鮮やかな非現実的なコスチュームを身にまとっている。今は出していないが魔法を掌から放つことさえできた。


「あれ? なんかいい感じのテーブルがある!」

彼女は手に持っていた袋を机に置いた。ビニール袋の中に入った缶詰がごとりと音を立てた。

「校長室にあったんだ。明日、ソファ運ぶの手伝って」

「校長室か、考えてなかったなぁ。入ったこともなかったし」


彼女は軽く服を払った後、顔を近づけ僕の瞳を覗き込んでくる。

「隣に座ってもいい?」

僕がうなずくと、肩が触れるような触れないような位置に彼女は座った。

「今日はあんまり攻撃的な魔物がいなかったから簡単に取ってこれちゃった。」


彼女が少し楽しそうに言う。僕もその言葉に少しうれしくなった。


「それじゃ魔物と戦わずに済んだの?」

「ううん。気づかれた後仲間を呼ばれて、その仲間が攻撃してきたから戦うことになっちゃったんだよ。でも全部やっつけちゃった」

「そっか……。琴音が無事でよかった」

「うん。ありがと。私の彼氏さんはいっつも私にやさしいね」


僕たちはあの日から恋人になった。

あの日までは同じクラスの琴音を目で追うだけだった。あの日世界が変わって琴音は勇者になって、魔物の群れをすべて倒して、僕を救い出してくれた。

そっと琴音の手に触れる。

愛おしい、僕の恋人の手に。



学校に残ったのは僕たち二人だけだった。

時折襲撃してくる魔物を琴音は倒し、倒し、倒し、ひたすら倒した。

最初は現れる魔物も大したことなかったが、そのうち遠距離魔法を使ってくる魔物が現れたり、高火力の魔法を使ってくる魔物も現れた。

僕は何の力もない一般人だったので一番最初の弱い魔物にも何もできなかった。すべて彼女が戦い返り討ちにした。


勇者になった彼女は強かった。剣を振っては魔物を倒し、魔法を撃っては魔物を倒した。

そして僕を守るだけではなく、食べ物を手に入れるために外部に出かけては魔物と戦った。

彼女は倒した魔物が食べられないか考えていたが、僕が拒否したたためわざわざ遠くまで食べ物を探しに行ってくれている。


近場にはあまり魔物はいない。この二週間彼女が倒しまくったから、弱い魔物は皆逃げてしまった。

だけど流通は止まり、もう近場のお店のものはとり尽くしてしまった。

強い魔物ほど群れて活動していて、それが食べ物のある場所の近くにまとまっているものだから、彼女は少し遠くまで足を伸ばしている。

…………できればあまり戦ってほしくないと、僕がそう言ったから。


僕はテーブルの上の缶詰を手に取り言った。

「今日もありがとう。そろそろ暗くなってきたから一緒にご飯を食べて寝よっか」


空には薄墨色が混じり始め、夜が近づいていた。


二人で缶詰やパンを食べる。ご飯は一度パック白米を食べたことがあるのだけど、レンジが動かないからと冷たいまま食べたそれは驚くほどまずく、今はパンやクラッカーを食べている。今日はパンだ。


教室に毛布を広げ二人で寝転ぶ。教室の薄いカーテン越しに月が見える。

琴音は横になるとすぐに寝息をたてはじめた。

月明かりの下で長いまつげが見える。勇者の服は不思議と汚れず、破けもせず……そして脱ぐこともできない。まるで呪いの様に琴音にはりついて、彼女のことを守っている。


月明かりよりも強い光が窓から差し込んだ。

学校は彼女の張った結界に守られている。結界は攻撃してきた魔物に自動で反撃する仕組みで、きっと今、いくらかの魔物が吹き飛んだのだろう。

強い光や弱い光が断続的にちらちらと光る。

その光を眺めながら、その日の夜もいつの間にか寝落ちていた。





翌朝僕たちが目を覚ますと学校は見渡す限りの魔物に囲まれていた。僕はこんな日がいつか来るんじゃないかと思っていた。

僕には何もできない。

彼女にそう謝っても彼女は笑って答える。

「大丈夫。君がいてくれれば私はどんな相手にも負けないから」

僕は今まで通り彼女の手を握ってこう答える。

「いつまでも君のそばにいる。世界のすべてを敵に回しても、僕は君の味方でいるよ」

彼女はその言葉を聞き、嬉しそうに微笑みそのまま学校の外に飛び出していった。



学校の外を埋め尽くすばかりの魔物はみな手に恐ろしい銃をもっており、黒くて大きな戦車が砲台を僕たちの学校に向けていた。空には飛行機が飛んでいるのも見える。ミサイルのようなものがこちらに向けられているのも見える。

僕には米軍だか自衛隊だかの見分けは全くつかなかったのでそれがどの軍なのかわからなかった。ただ言えることは今までで最大の戦力を僕たち二人を殺すためだけに投入してきたということだった。

学校後方では結界を破ろうと軍の攻撃が始まっていたし、前方では琴音と激しい戦いが始まっていた。

琴音は彼女に対するすべての攻撃をはじき、避け、跳ね返していた。彼女の攻撃が始まれば一度に数十人の魔物が死んだ。剣を振れば戦車が二つになった。


彼女は全力をもって魔物をせん滅していた。

僕を守るために。


彼女はあの日不思議な光に飲まれ、勇者となった。剣を振る力を手に入れ、強大な魔法を使えるようになり、そして、人間が魔物に見えるようになった。

なぜか僕だけはそのまま認識できているようだが、他の人はすべて魔物と認識しているようだ。

そしてあの日僕が魔物に囲まれていると思った彼女は、学校中のすべての人間の息の根を止め、僕を救い出した。

話を聞けば彼女は学校の人間が光でいなくなった。世界に魔物があふれ始めた。人は光と魔物によって私たち以外いなくなってしまった。そう思っているようだった。


彼女は混乱していた。突然の魔物に。いなくなってしまったクラスメイトに。先生に。家族に。

そして唯一の僕に、行かないでくれと言った。自分が守ると。外は危険だと。

だから僕はその手を取った。あこがれの人の指は赤く染まっていた。


できれば魔物と戦わないようにお願いしながらも、僕は人を魔物と呼び話を合わせた。

だけど琴音はあまりにも強すぎて、そして僕たちはあまりにも殺しすぎた。


幾度となく人間を、警察官を、機動隊を、自衛隊を退けるたびに、さらに強い軍だか組織だかが僕たちを殺しに来た。

そのどれもを琴音は全滅させた。


最初のほうは向こうも名乗ったり呼びかけたりしていたが、最近はもう名乗らなくなってしまった。だから僕は今目の前にきた彼らがどういった素性なのか知らない。


そしてそれも気づけばもうほとんど残っていなかった。



少しして帰ってきた琴音は笑って言う。


「今日も、君を守れたよ」






あなたのために例え世界を失ったとしても、世界のためにあなたを失いたくない。

                  ――――ジョージ・ゴードン・バイロン

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