異世界アンダードッグ
@Votoms
プロローグ あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう
「もう戻ってくるなよ」
厳しい出で立ちの刑務官が俺を睨みつけてそう言った。
「馬鹿かてめえは。お前らの顔なんざ二度とみたくねえよ。ゴミカス」
「…最後くらい『お世話になりました』も言えないのか」
「お世話だ…?もういっぺん同じこと言ってみろ。この場でてめえの首をへし折るぞ」
目の前の忌々しい権力と暴力の象徴に、渾身の恨みを込めて吐き捨てるように俺は言った。
「最後までクソ野郎だなお前」と軽蔑するような視線を投げかけたそいつは、それでももう何も言い返す気力を失ったのか、「勝手にしたらいい」と捨て台詞だけ残していった。
どうして俺はこんな状況なのか、話は数年前に遡る。
自分の家は貧しかった。だから早々に「お前は夜間大学にしかやれない」と親から言われていた。当時の俺は昼間にどこの仕事に就くか全く検討がつかない有様で、就活について途方にくれていた。
そんな折、自衛隊の広報官が説明にやってきて、自衛隊なら夜間にも通わせてもらえるという話を聞かされたのだ。藁にもすがる思いで自衛隊を受験した俺は、その後は大学と自衛官の二足の草鞋を履く生活を送ることになったのだった。
その後色々と苦労しつつも大学を卒業した俺は、民間で仕事をしてみたいという欲求から自衛隊を任期満了除隊した。自衛隊は厳しくも面倒見がいい素晴らしい職場だった。中には変な人もいたし、癖の強い人がいたのも事実だ。でも、後輩、同期、先輩、上司の何れもが俺というアイデンティティを最低限度尊重してくれたし、恵まれた環境の職場だったのは決して否定できない。皆、自衛隊を何かと厳しい職場であらゆるハラスメントが残存していると思い込んで就活の候補から敬遠しがちだが、それはあまりにも軽率な判断だと思う。確かに自衛隊の訓練は厳しさを極めるものがあるし、自衛隊にそういうハラスメントが存在しないとは思わない。実際にそういうことを行う人間を見聞きしたことはある。しかし、きつい訓練や業務がある一方で、本当に屁でもないものもあるのだ。そもそも、仕事で楽なものなどないのだから、自衛隊のキツさというのは隣の芝生をみてみれば相対化できるものかもしれない。そして自衛隊というのは大規模な組織で、しかも自衛官は公務員だから目立つことを忘れてないだろうか。問題になれば一気にガソリンを撒かれたように燃え広がりやすいが、多くの有象無象の民間企業が自衛隊よりまともな職場環境を備えているなどと果たして断言できるのだろうか?研修もろくにやらない、休みも少ない、それでいて業務量は多いくせに給料は低く福利厚生は無いに等しく、キャリアアップも望めないような職場など、探せば数多あるのが現実ではないだろうか。
なぜ俺はそんな素晴らしい職場を捨てたのか未だに理解できない。
どうして?なぜ?
俺は自分の浅慮をとにかく後悔した。
除隊後の新しい職場は株式会社スリーセブンという名の警備会社だった。
かねてから警備業には強い関心があった。何せ、自衛隊は有事の際くらいしか市民を助けるような業務はしない。日頃の訓練は確かに厳しいものもあるが、飽き飽きするような暇な平常業務が多いのも確かなのだ。俺は人から、言ってみればもっと自分が社会に役立ってるという実感が欲しかった。自衛官だった頃の経験やスキルが活かせると思ったし、この業界では保安や公安系出身者は歓迎されると思ったというのもあるが、最も大きな理由はそれなのだ。
が、現実というのは本当に冷酷なものだった。
警備員の業務というのは自衛隊のそれと比べても単調なものだ。監視と言えば格好がつくかもしれないが、やってることは何かと言えば同僚の年寄りと日がなくだらない世間話に興じるだけだった。つまり、思ったほど、いやそれを遥かに凌駕するほどに仕事にやり甲斐が見いだせなかった。
おまけに警備員というのは基本的に軽蔑される。「こいつは何も出来ることがない無能だからこんな仕事をしてるんだろうな」と幾度となくそうした態度を目にしてきたし、両親や親族の態度はもっと直接的にそうした態度を露骨に出してきた。本来、親というのは子どもがどんな進路を選んだとしてもそれを祝福してみせるべきだが、「警備員じゃねえ…」と深い溜息と共に俺を軽蔑するような目線を投げかけるのだった。
自衛官だった頃は決して受けなかった蔑視の視線。自衛官から警備員に変わるだけでここまで社会の目線は変わるのかと社会に対して失望を禁じ得なかった。
そして何より給料も福利厚生も大してよくなかった。俺が入った警備会社は一応それなりに名の通った警備会社だったが、基本給自体がとにかく低いのだ。これは大手の警備会社に共通している。警備員は残業代で稼いで明日を生き延びるしかないのだ。そうすると必然的に残業も多くなり、生活リズムも崩れ、体調もおかしくなっていく。勤務が明けた俺は、今の苦しさから逃げるために芋焼酎の霧島をルーティンのように飲み干して過ごしていた。
そんな鬱屈とした環境で一年くらい経った頃だっただろうか。警備している会社の出入管理をしていたときだ。そこの会社の社員が社員証を忘れたと言ってきた。
この会社では社員証がないと通用門を通れない。社員証を通用門の傍にある機械にタッチすることで鍵が開くというICカードシステムなのだ。
俺はいつもどおり「社員証を忘れたなら、ここに名前を書いてください」と一枚のA4紙を差し出した。
ICカードの貸出表だ。これに名前を記載してもらってICカードを貸し出す。
この記録は会社の総務に報告されるので、ある意味では「脅し」の部分がある。「自分の社員証くらい忘れるな」という会社の方針だ。
「それ、どうしても書かないとダメなの?」
40代くらいの社員だろうか。苦虫を噛み潰したような表情で不服を申し立ててきた。
「一応、そういう決まりになっていますので」
自分でもびっくりするくらいに愛想笑いを添えてそう言った。気分を害するようなことは自分でもしたくなかったのだ。
しかし、そいつはあからさまな蔑視の感情を言葉に載せてこう言ったのだ。
「あのさあ、そこは融通ってものがあるじゃん。そもそもアンタ警備員でしょ?たかが」
そこから先はよく覚えていない。
気がついたら俺は拘置所の中で項垂れていた。
ただただ、手に殴った感触と、身体に纏わりついた真っ赤な血だけが残っていた。
その後は色々とバタバタした記憶がある。
面会にきた国選弁護士が「被害者が亡くなってしまった」というような話をしていた記憶だけが残ってる。
俺は傷害致死罪として有罪を受けた。
家族や親族からは一族の恥晒しとして勘当され、社会は「元自衛官による凶行」として連日俺の異常性をまくし立てた。
刑務所に入ってからのことは、もう、何も思い返したくない。
とにかく刑務所に入ってわかったことは――ここでは人が更生することはできない、ということだった。
――そして、今、現在に至る
刑期を終えて数ヶ月経った
人間とはなんと鬱陶しい動物なのだろう。そんな風に漠然と思い始めたのはここ数年の話だったか。以前までの自分なら、人を少しでも肯定的に捉えることができたかもしれないが、最近はそんな気分がめっきりなくなってしまった。そう、めっきりと。
陰鬱な気分で中古のボロ車を走らせていると、厭わしくも赤信号が灯った。出勤途中とはいえ別に急いでいるわけでもないが、自分の行動を制御されるのは色々と苦痛である。特に自分の時間が奪われたり、待たされるタイプの苦痛は嫌で仕方がない。ぼんやりしていると鬱屈した感情と共に気が滅入るような考えが頭の中をぐるぐるめぐり始めてキリがないからだ。
ため息をついて歩道に目をやってみると、スーツをびっちり着こなしたにこやかなサラリーマンが見えた。
見てるだけで憎悪がわいてくる。こういう人間は一見すると顧客や上司相手にはさも善良そうな面をしているが、その実は自分の後輩やコンビニの店員などのより弱い立場に横柄な態度をとるクズ野郎だと経験則で察知できる。往々にして、人間というのは愚劣な動物であり、強い者には媚び諂い、弱い立場を力で支配しようとする気色悪い生物だ。外見上は人が良さそうにしていても、その面の皮を剥いでみれば卑しく醜い本性が露わになる。そんな生物と同種として生まれてきた自分が本当に嘆かわしい。
…とまあ、勝手に苛々していたら背中からクラクションが鳴り響く音が聞こえた。どうやら信号が青になっていたのに進まない俺に真後ろの車両がしびれを切らしたらしい。俺はドアを開け、後ろの車に怒鳴りつけた。
「いちいちクラクション鳴らしてんじゃねえ!!!ぶっ殺されてえかお前!!!」
いちいち説明する必要はないかと思うが、もちろんこれは俺が悪い。しかし、俺には最早そんな正常な精神をもって人に接する感情が失われているのだ。
勢いよく車から飛び出して後ろの車へ怒鳴りながら向かおうとした。が、
その瞬間に俺の視界から世界が喪失した。
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