第8話 どういうシチュエーションだったらいいの?
「戻ってこないし」
お土産を見ていたら、『ちょっと』とお手洗いと書かれた看板を指さす春海さんを見送ったのはいいけれど、しばらくしても一向に姿を現さない。
スマホを持ってきてれば連絡も取れたけど、生憎と部屋に置きっぱなしだ。一瞬だけ取りに行こうかとも思ったが、すぐに思いなおす。
春海さんのことだから、どうせ興味の惹かれるものを見つけたんだろう。旅館を見て回るついでに探せばいい。
「……いや、マジでどこに行ったんだ?」
探し始めて10分ちょい。春海さんと別れてから30分近い時間が経過しているが、全然彼女の姿が見当たらない。
1階のエントランス周りはグルっと見て回ったし、お土産売り場にも一度戻ってみた。夕食が待ちきれずに部屋に戻ったのかと思ったが、鍵は俺が持っているから中には入れないし。
……となると、あと考えられるのは。
「本当にいるとは思わないよな」
この旅館の中、俺たちが行ったことがある場所なんて限られている。
エントランスか部屋か、温泉だ。
でまあ、何か忘れものでも思い出したのかと足を運んでみてみれば。
「……すぅ」
「寝てんのかい」
脱衣所のすぐ近くに置かれているマッサージチェアの上で、寝息を立てている春海さんがいた。
まさかいるとは思わなかったし、まさかこんなことしてるとは思わなかったし、寝てるなんて予想外過ぎるしで、なんて言ったらいいのかわからない。
マイペースな自由人だとは思っていたけど、ここまでとは。
「春海さん」
「んぅ……?」
「起きてください。春海さんってば」
「ぅん。……もうちょっと」
「こんなところで寝てたら風邪ひきますよ」
なんて冷静に言ってるけど、内心が大変なことになってる。
だって、春海さんが可愛い。
むずがるようにキュッと寄った眉間も、駄々をこねるようにむにゃむにゃと動く唇も、俺の声に反抗するように閉じられた瞼も、『起きたくない』と告げるひとつひとつの所作がめちゃくちゃ可愛い。この人は本当に27歳なのだろうか?
そしてこんな可愛い姿を見せられて、俺が何もしないと思っているのだろうか?
「──っ。春海さん、起きてくださいって」
一瞬、自分の思考に首を振り、春海さんの肩を揺する。
手のひらから感じる熱に、今感じたものを必死にかみ殺す。
春海さんに感じたものは愛おしさであって、まかり間違っても性欲ではないのだと言い聞かせる。
「春海さんってば」
「うぅん……」
「お願いですから起きてください」
「もうちょっとだけ……」
「勘弁してください」
これ、割と本音。
今俺は、世界で一番我慢強い男だと思う。
目の前にこれだけ心惹かれる女性がいて、その人のこんな無防備な姿を見せられて、それでも必死に手を出さないようにしてるんだから、誰か俺を褒めてくれていいと思う。
……ていうか、この人はどれだけ寝るのだろう? 行きの新幹線の中でもぐっすりだったよな?
「春海さん。疲れてるんですか?」
「そんなことない……」
「めっちゃ疲れてる声じゃないですか」
「寝起きだから」
「どっちにしろ、部屋に戻りましょう。もうすぐ夕飯ですし」
そろそろ配膳の時間だろう。春海さんも夕飯は奮発したと言っていたし、俺だってせっかく京都に来たのだから堪能したい。
「だっこ」
「勘弁してください。ここはうちの前じゃないんですから」
「けち」
「いや、もう起きてますよね」
「寝てる」
「嘘だ」
だって、声が寝起きだなんだと言ってた時よりしっかりしている。さすがに騙されない。
「肇君の腕に抱かれたかったのになぁ」
「もうちょっとシチュエーションを考えません?」
「どういうシチュエーションだったらいいの?」
「去年のクリスマスとか」
「……あれは、忘れて」
これ以上掘り下げられたくないのか、春海さんはスッと立ち上がると、さっきまでの態度は何だったんだと言いたくなる。
「早く部屋に戻ろう」
「はい」
だからって俺もこれ以上何かを言うつもりはないけど。
去年のクリスマスのことは、あれはあれだ。
▼
「うまっ」
「んー、美味しいー」
俺たちが部屋に戻るのを待っていたかのようなタイミングで、夕飯が配膳されてきた。
備え付けの机を移動し並べられる料理の数々は、見ているだけで期待値が高まっていき、一口食べればその期待は間違っていなかったと舌が教えてくれる。
「奮発した甲斐あるなー」
「めちゃくちゃ美味いっすね」
「お酒が進むー」
「お注ぎしましょうか?」
「おっと悪いねぇ」
なんて春海さんと2人してふざけ合うぐらいテンションが上がっている。
本当にそれぐらい美味いのだ。
温泉とこの料理を食べれただけでも、春海さんに付いてきて正解だったと思える。
「あ、写真」
お腹が減り過ぎていたのと、余りにも料理が美味しそうだったため忘れていた。
「うわ、何この通知」
ちょっと目を話していただけなのにエグい量の通知が溜まっていた。
大半が高校の友達とのグループラインだが、何件かは個人ラインのものだ。
まあ、あんな写真を上げた後だしな。
「肇君は友達多いんだねぇ」
「何、覗いてるんですか」
「だって、肇君がスマホなんか見るから」
「写真を撮ろうと思っただけですって」
「私との? いぇーい」
顔、近っ。
ていうか、当たり前のように腕を組んでこないでくれません?
「あれ、撮らないの?」
「春海さんとの写真なんて今さら撮っても仕方ないでしょう」
「なにその言い草。ちょっとスマホ貸して」
「あ」
そんな力づくな。子どもかよ!
「春海さん。返してくださいよ」
「ねえ、肇君」
「スマホ」
「『ちさ』って誰?」
「は?」
なんでいきなり千沙の名前なんか出すんだ?
と面食らっていたら、春海さんがずいっと見せてきたスマホの画面にはラインの通知が表示されていた。
『私との約束、忘れてない?』
……お?
なんだっけ。千沙との約束? なんかあったっけ?
「学校の友達?」
「はい。普通に仲いいです」
「ふーむ」
「……なんですか?」
「シロだね」
「何が?」
唐突に探偵ごっこが始まっていた件。
「肇君ってさ、学校に好きな女子っている?」
「いないですね」
「それで青春楽しい?」
「……そういう言われ方するとムカつきますね。いいじゃないですか。友達と仲良くしてますし、学校生活は普通に楽しんでますよ」
「彼女欲しいとか思わないの?」
それをあんたが言うのか。
と、思わず口にしてしまいそうになったけど黙っておく。無暗に藪をつついて蛇を出すような真似なんてしなくていいのだ。
「ねえねえ、どうなの? 彼女欲しいって思わないの?」
「別に。今んところ学校でそういうことをしようとは思ってないです」
「そっかそっか。じゃあ、はい。写真撮ろう」
春海さんは基本お姫様なので、ご機嫌になられるのも突然なのだ。
「だから人のスマホを勝手にいじらないでくださいってば」
「何を今さら。私と君の仲じゃない。ほら、いぇーい」
「ていうか、ずっと思ってましたけど、その掛け声ダサいですよね」
「え!?」
「センスが古いです」
「嘘!?」
「はい、シャッター」
パシャ、と軽い電子音が鳴る。
「あ!?」
「はい。写真撮ったんで満足ですよね。食事に戻ってください」
「ダメ! 今のはダメ! 絶対変な顔してた」
「変顔なんて普通ですよ」
「狙った変顔と、不意打ちの変顔は違うから!」
そんなの知ったことじゃない。
人のスマホを勝手に覗いた罰だ。
「めっちゃ美味そう」
「料理の写真なんていいから、私との写真を撮り直そうよ」
「それはまたの機会で」
「やっぱり肇君って生意気」
「そうしてないと春海さんに振り回されるだけですからね」
ぶつくさ言いつつ自分の席へと戻る春海さん。
不満げに手酌をする彼女を見つつ、そう言えばと思い出す。
千沙からラインで来てた約束って何のことだ?
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