第7話 側には私がいるって伝えたかったから
「上がったら先に部屋に戻ってていいから」
そう言って春海さんとは温泉の前で別れる。
渡月橋で写真を撮った後、俺たちはあっという間にホテルに戻った。
暑かったし汗かいたしで、それ以上歩き回るより、温泉に入ってダラダラする欲の方が勝った結果だ。
旅行とは……、と思わなくもないが、緩くても楽しければいいのだ。
「……」
ということで温泉である。
その前にさっき撮った渡月橋の写真をSNSにアップする。
『夏休み初日は渡月橋から』
コメントを付けた写真は、渡月橋だけが写っている写真。さすがに春海さんとのツーショットをアップしたりはしない。
さて、それじゃあ温泉に入って汗を流そうじゃないか。
▼
「通知来すぎ」
たっぷり温泉を堪能し、すっきりして脱衣場でボーっとした後、ノリでコーヒー牛乳を買い、せっかくだからそれっぽい写真を撮ろうと思ってスマホを取り出したら、通知がめちゃくちゃ溜まっていた。
写真をアップしたSNSへのリプ。
友達とのグループチャットへの通知。
個別ライン。
暇だな高校生! と思わず言いたくなるぐらいの通知が来ていた。
ダラダラとスマホを見てるぐらいなら何かしたらいいのに、と、ダラダラと夏休み初日を過ごそうと思っていた俺が言ってみる。
ほら、旅行に来ちゃったし。なんか謎に優越感あるし。
「返信は後でいいや」
普段ならさっさと返信するけど、今ばかりはそんな気分じゃない。
せっかく旅先で温泉を楽しんだのに、友達とのやり取りに夢中になっているだけなのはもったいない。
と言いつつやるのは、映えるコーヒー牛乳の写真を撮ることなんだけどな。
この時間だからか、脱衣所に人がいないのをいいことに、スマホを操作する。
「……」
集中。
どうせなら旅先感を出したいよな。
浴衣の柄と、温泉とかに置いてありそうな和っぽいベンチと一緒に撮りたい。
それっぽく並べて、スマホの画面をタップ。
軽い電子音と共に写真が撮られる。
「……」
うん。悪くない。
今撮った写真もSNSにアップする。
『温泉の後はコーヒー牛乳』
通っぽいかも、なんて自惚れていたら通知が入る。
あいつら本当に暇かよ、と思っていたら春海さんからだった。
『私はフルーツ牛乳派』
俺が今あげた写真に、リプと共に一枚の写真が添えられている。
「うわ、ニヤける」
春海さんのリプ写真には、浴衣もベンチも写っていない。手に持ったフルーツ牛乳の瓶に、背景はただの壁。パッと見同じ旅館だとはわからないようになっている。
だからこそ、絶妙に嬉しくなる。
今、俺と春海さんが同じ旅館にいることを知っているのは、俺たちだけだから。
「いいな、これ」
誰もいないことをいいことに、ひとりでこの喜びを噛みしめる。
仮に今、この場に誰かいたら、俺のことはさぞかし気味悪がることだろう。だってめっちゃニヤけてるし!!
「──!」
春海さんからのライン。
『髪乾かすから、先に部屋に戻っていいよ』
あー。
やば。これ、やば。
なんだこのライン。すげぇ、いい。ニヤけ指数が半端じゃない。
『了解です』
なんて普段通りに返信していても、内心は小躍りしている。
春海さんと合流するまで、いつも通りに戻ってないとな。
●
「ちょっとやり過ぎたかも……?」
肇君にラインをしてから、ふと我に返りそんな風に呟く。
「うーん、どうなんだろう?」
あんなすぐに写真付きのリプを送ったのは、さすがにやり過ぎたか。
でもさ、と思いなおす。
しょうがなくない? と。
「あんな写真を上げる肇君が悪い」
渡月橋にしろコーヒー牛乳にしろ、私からすればそこに自分の存在がないことが許せない。
だって肇君と一緒にいるのは私だし。
旅に出ようって連れ出したのも私だし。
なのに肇君は1人かもしれないと思わせるような写真を上げる。
もしかしたら誰か一緒なのかも? って匂わせる。
そんなことをされたら、『はい私です!』って手をあげたくなるのはしょうがない。
うん。だから大丈夫。肇君もきっと許してくれる。
「~♪」
我ながら勝手だなー、と思いはするが、思うだけだ。
だって私はこうしたかったし、肇君の側には私がいるって伝えたかったから。
誰に?
肇君に。
即断即決な自問自答。だって自明なんだもの。
「~♪」
温泉に入ったおかげで心なしか肌の調子がいい。つるつるの卵肌。
ドライヤーで髪を乾かしながら考える。メイクはどれぐらいの方がいいだろうか。
「……」
化粧水を手に取りながら想像するのは、肇君が一番いい反応をしてくれるのは、どんな私だろうかととうこと。
思い出すのは過去の彼とのやりとり。だけど思いつかなかった。だって肇君はブレないから。
いつでも落ち着いて、基本一歩下がったような距離感にいることが多い。
テンションが高い時も、自分がコントロールできる範囲ではしゃいでるイメージ。
そうだった。だから私は肇君をからかうのが好きなんだ。
いつか肇君が肇君じゃなくなる瞬間が見れるかもしれない。
そんなワクワクがあるから。
「~♪」
悩みは一瞬でなくなる。
というか、こんなところで悩んでる暇があるなら、一時でも早く肇君のところに行った方がいい。
そう思えば、メイクはベースだけでいいやと結論が出る。
さすが私。
肇君のことを考えながらメイクをすればいいと思ったのは正解だ。
▼
「あ~」
部屋に戻って畳の上に座った瞬間、一気にすべてがどうでもよくなった。
おかげでスマホがバイブで通知を知らせてきても、反応する気が起きない。
これが温泉の力か。
これなら春海さんの言う通り、渡月橋に行かずに初手から温泉でよかったかもしれない。
「……動く気しない」
怠惰を極めている。
家にいようが旅先にいようが結局はダラダラしている。
だとすれば、これこそが一番正しい夏休みの過ごし方なのではないかと思ってしまう。
いや、きっとそうに違いない。
「わ。寝てる?」
「……起きてます」
耳に届くのは涼しい声音。
首だけを持ち上げて入口の方を向けば、そこには湯上り美人な春海さんがいた。……うん。普通に美人でびっくりした。
「寝ててよかったのに」
「正直、寝そうでした」
「起きちゃったから顔に落書き出来ないね」
「ツッコむ気力すらないんですが」
「リラックスモード?」
「怠惰の極みって思ってましたが、そっちの方がイメージいいのでそっちで」
これを人の尻馬に乗ると言う。用法違うかも。ダメだ。温泉で脳までふやけてる。
「畳って気持ちいいよね」
「春海さんも横になります?」
「そのまま寝るけどいい?」
「夕飯はひとりで楽しみますね」
「ひどいな。起こしてよ」
くすくすと笑う春海さんの声を聴きながら体を起こす。
座椅子のところまで体を引きずり落ち着ければ、ぼんやりと意識が覚めていく。
「──」
なんて思っていたら、一気に目が覚めた。
さっきはまだ怠惰を極めていたから気づかなかったけど、今この部屋には湯上りの春海さんがいる。
荷物を弄っている後姿がもうすでにヤバい。
旅館の浴衣に、湿った髪。わずかに覗くうなじが目に眩しい。
思わずこの瞬間を写真に収めて誰かに自慢したくなる。
俺はこんな美人と2人で旅行してるんだぞ、と。
「さて、と。夕飯までどうしようか?」
「部屋でのんびりしてましょうよ」
「お土産とか見に行かない?」
「温泉に入ったら元気になったんですか?」
「うん。行こうよ」
旅館に着いたときとは正反対な意見。
このまま部屋でダラダラしてたい気分もあるが、春海さんと一緒なら何でもいいかという気持ちが上回る。
「行きましょう」
「うん」
立ち上がり部屋の鍵と財布を持つ。
スマホに伸ばしかけた手は思いなおし引っ込める。
今は他人の存在を匂わせるこれは、必要ない。
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