心のままに

じゅき

第1章 心と純

第1話 濡れた人に出会った

 雨が降る夜。公園は晴れた日と比べて一際闇に包まれ、ベンチの側にある電灯が僅かに周囲を照らすばかりである。

 こんな日は犬の散歩だってしないだろうに、人気のない公園に若干の恐怖を感じつつもその少年は歩いていた。

 電灯に照らされる少年の出立は年頃の少女を思わせるものだった。首元まで伸びた黒髪は緑の髪と言っても差し支えない艶を持つ。顔立ちも少女のように愛らしく、その瞳は覗き込む者を吸い込むような透明さをもっていた。身体つきもやはり少年というより少女というべきもので、服装はほとんどが黒や濃紺であった。ブラウスと肘の辺りまであるマント、スカートとその下から伸びるタイツはレインブーツと共に少年の細い足を守っている。

 佐倉心という名前のその少年はもっと人通りの多い道を歩けばよかったと思いつつ帰途についていた。

 電灯の光が周囲を僅かに照らす以外は暗闇が広がるばかりの公園は、雨音が絶えないというのに何故だか異様に静かな気がして心の不安を煽った。

 電灯と電灯の間、薄暗い道をを歩き続けると心はあることに気がついた。少し先の屋根がついたベンチに誰かがいる。スーツを着た男性のようだ。

 雨の夜、しかも公園にいるなんて不審者なのではないか。普通に考えれば関わらないに越したことはない。普段の心でもそうするだろう。

 しかし、不思議なことに、このときの心は男性に声をかけようとしていた。勿論恐怖も警戒もしていたはずだった。だから尚のこと心自身不思議に感じていた。怖いけど大丈夫。いざとなれば姉たちから貰ったお守り、痴漢撃退スプレーがある。そう思って心は男性に声をかけた。

「あの、もし良ければ……傘……使いますか?」

 自分が今使っている傘以外にもう一つ折り畳み傘が鞄に入っている。折り畳み傘を取り出そうとしながら、心は男性を見る。近づいて見ると男性は心より少し年上、二十代半ばくらいだろうか。端正な顔立ちだが眼鏡との組み合わせのせいか、クールとも冷たいともとれるような印象を受けた。着用しているダークスーツも冷たい印象を与える一因となっているかもしれない。

「お気持ちだけ、頂きます」

 男性は少しのあいだ、驚いたように目を見開いてからそう答えた。その答えを聞いてすぐに心はスカートのポケットからハンカチを取り出した。おろしたてのハンカチを男性に差し出す。

「濡れたままだといけませんから」

 男性が(おそらく)反射的にハンカチを受け取ってからすぐに心は歩き出した。挨拶もせずにその場を去ったのは心自身が自らの行動に混乱していたからだ。

 男性とのやりとりを振り返っても心にはわからなかった。なぜ自分は男性に声を掛けたのか。なぜ警戒心や恐怖心がありながら、傘を受け取らなかった男性に食い下がり、ハンカチを差し出したのか。何度繰り返し思い悩んでも答えは出なかった。それでも、自分の中でふと思い浮かんだことがあった。

(あの人から冷たい印象を受けたのはきっと、あの人が雨に濡れていたから)

 ただ、それだけだった。

 公園を出ると街灯以外にも住宅の明かりや自動車のライトが周囲を照らしていた。暗い雨の夜、心にはそれがいつも以上に明るく感じられた。

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