魔法使い榊 花子 涙の告白
「ハハハハ〜、僕の名はメルツェル=ワードナー! 現世に降り立った爆炎の魔法使い! 僕を前に逃げなかったことは素直に称賛してあげるよ」
「……」
「恐ろしくて声も出ないのかい? まあ当然だね【
「……」
「ん〜ぅ? あ、あの、喋ってくれてもいいんだよ? 爆炎の魔法使いだけれど、心はか弱いっていうか、見た目相応っていうか?」
「……表札に
「僕を怒らせたなぁ! 言ってはいけない禁忌に触れたよ、君は! 良いよ、良いだろう。僕の恐ろしさを身を持って体感するといい。君もそこそこな魔法使いのようだけれど! 炎を拳圧でぶっ飛ばしちゃうようなゴリラだけれども! 僕のほうが恐ろしいんだから!」
「あッ?」
「ひっ! えっと、あの……その、ほ、炎出すからちょっと待っててね。まだ拳構えないで。当たったら多分僕死んじゃうから」
「……」
「あの、無言で近づいてくるの止めて? まだ僕準備できてな――ひっ、あ、あの肩掴まないで、痛いからすっごく痛いから!」
「――ぞコラァ」
「な、なになになに。僕まだ何もしてないお願いします殺さないで――」
そんな白昼夢、いやもう夢とも言える時刻かと杏子は時計に目をやる。
このアパートに引っ越してきた日、杏子はメルツェル=ワードナーと名乗る魔法使いと出会った。
最初はヤバい部類の人間かと思い、杏子は極力彼女と接触しないようにしていた。
それこそ気配を殺し、大学の講義があるとき以外の外出は控え、部屋の中で密林での作戦を決行したときのように空気と一体になり、暗い部屋の中で過ごしていた。
しかし件の魔法使いが、おはようからいただきますを経緯してこんばんはとおやすみなさいに至るまで扉を叩き続けるという嫌がらせをしてきたために、ついに杏子の中に眠る殺人衝動が目を覚ましてしまい、彼女と一戦交えるということが起きたのがひと月と一週間前、そしてそこから一週間後、つまりひと月前、先ほど思い出していたやり取りを経たのだった。
「――ず、杏子?」
「う〜ん?」
「話聞いてた?」
「興味が湧かなかったわ」
「聞いてないなら聞いてないでいいじゃん! 興味ないって結構傷つくんだぞ」
ぷりぷりと頬をリスのように膨らませる彼女こそが魔法使い、メルツェル=ワードナーその人であり、小学生のような低い身長と子どものような目がクリクリとした童顔、オレンジがかった金髪のツインテールで、ローブと三角帽子というらしい格好をしていた。
それはもちろん格好だけでなく、彼女は名乗った通りの魔法使いだった。
ひと月と一週間前、彼女は手から炎を出し、それを放ってきたのだが杏子はそれを拳だけで跳ね除けた。
しかしそれがいけなかったのか、魔法使いは杏子を同業者、つまり魔法使いだと勘違いし、付き纏うようになった。
そしてひと月前のやり取りに繋がるのだが、あの時の杏子はさらに悪化した嫌がらせにしびれを切らしており、魔法使いが命乞いをし始めた時、彼女の肩を掴み睨みを利かせながらずっと抱いていた疑問を口にした。
それが表札の榊の意味なのだが、彼女はメルツェルを名乗っており、どう考えても偽名だったために頭に血が昇っていた杏子はとにかくその疑問の答えだけを聞こうとした。
その結果が――。
「花子、火ちょうだい」
「花子って言うなぁ」
「火」
ぷっくりと膨れたメルツェル改め、
花子の肩を掴みながら彼女に問いかけたのはドスを利かせた声でのもので、杏子はこう問いかけた。
「本名何ぞコラぁ!」
であった。
しかし花子にとって効果はてきめんで、本気で殺されると思ったのか彼女は瞳いっぱいに涙をため、大粒の涙を目に携えながらぷるぷると小動物のように震え「は、花子です」と、名乗った。
そんなことがあり、二度と近づいてこないと杏子は思っていたのだが意外にも懐かれてしまい、こうやって晩ごはんを一緒にする程度の友好関係は結んでいた。
「もうっ、杏子ったらさっきから呆けてばっかり、少しは構ってよぅ。アカシックレコードにも杏子は僕に優しくするべきって書いてあるよ」
魔法使いにもなるとアカシックレコードにもアクセス出来るのかと、杏子は近頃花子を宗教家や科学者に売り渡し、その金で豪遊している夢を定期的に見ることを思い出したのだが、それもまた彼女の魂が辿る道だろうと昔のコネに連絡を入れようかと考えた。
「……何か物騒なこと考えてない、ねぇ〜ぇ?」
杏子は花子の頭を撫でるのだが、基本的に花子のことは可愛い生き物だと思っており、ツインテールをひょこひょこ揺らしながら「杏子ぅ」と駆け寄ってくる様は最早ペット。
そんな花子はやはりというべきか生活能力がなく、杏子は毎日夕食会と言う名の餌付けをしている。
「今日のご飯は美味しい?」
「うん! 一般の人ってこんな便利で美味しいものを食べてるんだね、ババ様にも食べさせてあげたいよぅ」
「そう、いつか連れてくるといいわ」
「うん、ありがとう。でもさ杏子、どうして僕がどこかに行く時缶詰だけ渡すの? お弁当とか食べたい」
「花子、覚えておきなさい。いつ何ときでも安寧なんていう絶対はないの、だから缶詰のような保存が効いてどこででも食べられる食料を持っておくべきなのよ。それとも何か不満に思う出来事でもあった?」
「ううんないよぅ。ただ杏子が作ってくれるものって美味しいから、お弁当で食べたかっただけ」
杏子は花子を撫でるのだが、実は適当な理由をでっち上げているだけである。
何故なら杏子自身、缶詰を家に大量に常備してあるというのが女子大生らしくないと気が付いており、山岳地帯での作戦の名残で大量に抱えていた缶詰をただ花子で消費しているだけに過ぎなかった。
花子はアホの子、杏子の認識はまさにそれであり、普通お昼に缶詰を渡す人間はいないにもかかわらず現状に満足している彼女を多少不憫に思っていた。
「そういえば花子は私がいない間どこで遊んでいるの?」
「遊んでないよぅ。世の中を良くしようと縦横無尽に駆け回っているんだから」
そう話す花子だが、帰ってくるといつも両手いっぱいにお菓子や食料を抱えており、聞くと商店街のおじさんやおばさんにもらったと懐っこい顔で言っており、やはり遊んでもらっているじゃないと杏子は思った。
そんな花子の歳は杏子と同じである。つまりお酒が飲める歳となっている。
「ビールが美味しいよぅ」
「見た目不相応だから外では飲まないようにね」
杏子は一応の警告を出し、花子の飲んでいる姿を見てお酒が欲しくなり、ウイスキーとチョコレートを取り出す。
そしてウイスキーをグラスに注ぎそれを呷るのだが、ふと思い出してしまう。
「ジョニーは元気かしら」
「ジョニー?」
「あら、声に出てた?」
頷く花子に杏子は煙を宙で遊ばせると目を閉じて在りし日を追憶する。
「私にウイスキーの味を教えてくれた友人よ。あれは私がまだ、ひよっこにも劣るタマゴだった時、囮の荷物に大量の爆弾を仕込んで敵もろとも木っ端微塵になるっていう作戦の途中――」
「あのね、僕稀に杏子がわからなくなるの。杏子はどうして生きてるの?」
「失礼なことを聞く子ね、こうやって生きているのだからいいじゃない。それで話の続きだけれど……あら」
しかし花子が両耳を手で塞いでおり、聞かざるのポーズをとっているために少しだけ癪に思った杏子は彼女の脇をくすぐる。
キャッキャキャッキャと体をよじる花子に杏子は目を細める。
「私の話は他じゃ聞けないものよ、有り難く聞くべきでしょう?」
「ヤぁよぅ、だって杏子の話は物騒だもん、スプラッタは苦手だって言ったもん。どうして僕と同い年のはずなのに経験したことの中に肉がめくれて骨が顔を出した友だちの話が出てくるんだよぅ」
「ああ、アンディの話? 心配しなくても彼の最後はクレイモアで右手以外消し炭よ。アンディくんの片手遣い人形が流行ったものだわ、ピチカートピチカート俺の右手はどこだってね」
ひどく醜悪な顔でそう歌う杏子は、あの時の私たちはまさに死を踏みつけていたと嗤う。
口角を吊り上げて歯をむき出しにし、死が地面に散らばっているのに我々に生があるとはなんという矛盾か! 生と死は背中合わせでなければならない。
「だからこそ私たちが進む先は――っと、花子?」
頬を膨らませ、瞳いっぱいの涙の花子が杏子に抱きつくと彼女はもういいからと懇願した。
「……ああごめんなさい、私はもう普通の大学生よ。そんなに引っ付かなくてもどこにも行かないわ」
「本当?」
「ええ、約束する。そんなに強く抱きしめられるとお返しにくすぐりたくなっちゃうわ」
花子の頭を撫で、そのまま軽く抱きしめ返した杏子は体を揺らし、まるで今しがた憑いた悪霊を振り払うように彼女の額に鼻を当て、微笑みを向ける。
少し考えなしすぎたかと杏子は反省し、花子を泣かしてしまったことを後悔した。こんなつもりではなかったのに、気を抜くとすぐにあの頃の醜い自分が出てしまう。
もうそれは止めた。だからこそやっと出来た友人とも言える可愛らしい魔法使いをこれからは基準に考えると決める。
せめて友人の一人くらいは怖がらせないようにと覚悟を持つのだった。
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