第12話「そもそも、スクールカーストって何だ?(その2)」

「インドのバラモン教から引っ張ってきた『スクールカースト』って言う言葉は、2000年代にネットスラングとして広まったけど、厳密に『いつできた』って訳じゃないんだ」


 紅茶に注いだミルクをかき回しながら、志賀が切り出した話に、学はすぐに引き込まれた。

 教師を目指しているかは知らないが、なかなか面白い切り出し方だ。


「クラス内での上下関係はずっと昔からあったけど、受験戦争華やかりし頃まで、それを決めるのは『テストの点数』や『スポーツの成績』だった。これは、当然上りもするし下がりもするから、ある程度は流動的な価値だった。他に『容姿』なんて言うのもあるけど、これだってオシャレや身だしなみである程度挽回可能だ」


 「ペーパーテスト至上主義」と言うと、現代人は眉を顰めるが、それなりに公平な基準ではあった。テストは努力で補える分野であるからだ。

 少なくとも、生まれによってどうにもならない「財産」や「家柄」よりは能力が反映されたものではある。ところが、受験戦争の弊害や、点の取り方しか分からない「失敗したエリート」が社会問題化し始めると、雲行きが怪しくなってくる。


「代わりに社会が学校に求めたものは『人間性』だった。『あなたの所にコミュニケーション能力は必須か?』と聞かれて『別に要りません』と答える企業や学校はほとんど無いだろう。『高い人間性』を持った子供を育てれば、彼らが社会に出た時、生きやすい世の中に生まれ変わる。制度を作った人間はそう考えたが、これには致命的な問題があった。何だか分かるかい?」

「……人間性なんて、『こうすれば身に着けられる』ってもんじゃないですよね?」

その通りイグザクトリィ。教師にいくら『皆仲良くしなさい』と言われても、子供だって動物だから、優劣を付けたいし、拳や権威を振り回したい。でも、表立ってそれをすると、『協調性に問題がある』と言われて、指導を受けたり、上の学校への推薦が受けられなくなる。そこで生まれたのが『スクールカースト』と言うシステムだよ」


 志賀はノートを取り出して、「空気」と言う単語を大きく書き込んだ。


「生徒たちは『空気』や『ノリ』と言う絶対的な価値を造り出し、それによって動くようになった。放課後楽しく話している時に一人だけ帰るのは『空気が読めない』、皆が見ているTVを見ていないのは『ノリが悪い』。生徒たちは、大人に押し付けられた『みんな仲良く』と言う歪んだ価値観を、更に歪めて自分たち自身も洗脳してしまったんだ。これが『スクールカースト』の正体だ」


 学は、贄川や木本が、やたらと『空気』と言う言葉を多用しているのを思い出した。


「そして、『空気』に逆らった者には制裁が待っている。何故なら、彼らは『ずるい存在』だからだ。皆が我慢して息苦しいカーストを生きているのに、奔放に振舞ったり、好き勝手やるのは『悪』以外の何者でも無いからね」


 そこまで言われて、学は初めて倫が虐められた理由や、千彰と美都が感じていた強い怯えの正体に気付いた。

 倫は、生来の奔放さから真っ先に目の敵にされただろう。そして、その倫の味方に立つのは、クラスメイトにとって「空気の読めない、ノリの悪い行為」なのだ。規律を犯した者には制裁がある。

 多分、「美都の過去」も暴かれるだろう。千彰は多分、それを恐れて動けないでいる。


「胸糞悪いですね」


 正直な感想を述べると、志賀は苦笑して「僕もそう思う」と答えた。


「さて、カーストには『1軍』『2軍』『3軍』と言う階級がある。これは基本的に落ちる事があっても上がることは無い。例外は欠員補充くらいかな? 固定された存在だから、インドのカースト制度に例えられた訳だね。この階級を決める基準は何だと思う?」

「モテる事かな? あと、話術とか?」


 志賀は頭を振って、「ところがそうじゃないんだ」と答えた。


「カーストの優劣を決める基準は、『メディアが提示する価値観に合致するかどうか?』なんだよ」

「え? そんな事なんですか?」

「だって、下手に自分を出して、周囲から『空気読めない』って評価を下されたら、心理的にも立場的にも大ダメージだもの。その点メディアの情報は皆が知ってるから権威付けには無難だ。1軍の子たちを見て見ると良い。皆有名な俳優やタレントの服装や振る舞いを真似ている。どんなに顔が良くて話術が上手くても、型にはまらないキャラクターは1軍のトップには立ちにくい。持てはやされる部活は漫画やドラマで注目されやすいサッカーやバスケだ。同じ運動部でも、例えば卓球やワンダーフォーゲルはメディアに注目されないから、カースト内でのステータスになりえない」


 全く理解できないと驚愕する学に、志賀は片目を瞑って「では2軍はどうだろう」と話を続ける。


「2軍は大多数の『普通の人』で構成されている。日本の文化は同調圧力が強い傾向にあるから、『普通』は権威付けになりうる。だけど、1軍の様にメディアが提示する『特別』な存在では無いから、1軍の顔色を伺ったり、盛り上げ役を買って出たりしてカースト内の地位を維持する。彼らが1軍に扇動されて『空気を読み』、3軍の誰かを攻撃対象にする事でカースト内で虐めは始まる」


 志賀はノートに書いた、「1軍」と「2軍」の文字を赤丸で囲み一番下の「3軍」を矢印で結んだ。


「3軍は、『メディア上で嫌われる、若しくは馬鹿にしてよいとされる存在』が格付けされる。所謂コミュ障だったり、おしゃれに気を使わなかったり、趣味が特殊だったり。こういった人間は基本的に『居ない者』とされる。もし強い自己主張をしたら、それは『空気を乱す』行為だから、制裁の対象になる」


 矢印の横に「制裁」と書き込んで、志賀はノートを閉じた。


「まあ、スクールカーストの概要はこんなところかな? 感想は?」

「……何だか、猿山の猿が人間社会の悪い部分だけ猿真似して最悪になった感じですね」


 志賀は「上手い例えだね」と笑う。

 だが、彼の目は笑っていないように感じた。


「こんな文化に乗っかって、1軍の連中は楽しいんですか?」

「恐らく本当の意味では楽しくなんか無いだろうね。彼等は作られた価値観に乗っかって他人に言う事を聞かせているだけ。そこに彼ら自身なんて無いんだから」


 志賀は、暗い瞳で頭を振ると、血を吐くような所感で締めくくった。


「皆不安なんだよ。自分を守るために、周囲の顔色を伺ってTVや雑誌の真似をする。自分を出したら破滅すると思ってる。そんなストレスの中で生きてるんだ。そういう風にしちゃったのは、無責任な理想論で制度を作った人間と、お金儲けの為に便乗したメディア、そして他ならぬ彼ら自身だ」


 恐らく実感の籠った志賀の言葉は、スクールカーストと、無責任にそんなものを作った人々に対する静かな怒りが籠っていた。

 学は、少しだけ間をおいて「要らないですね、これ」と零した。

 志賀は「そうだね」とだけ答えた。温和な瞳が、酷く寂しそうだっら。

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