あたしたちは怒る必要すらない

早海 獺

第一回永田町ウォーキング

 うららかな春の日だ。


 古文の授業で習った藤原のなんとか(あれ? 藤原だっけ?)は「桜がなければ世の中はもっとのどかだったろうなぁ」なんてうたっていたけれど、きっと自分は牛車かなんかに乗ってのんびり揺られながら、そんなことを考えついたんだろう。


 いまや牛どころか、人間でさえ車を運転しない時代になって、じゃああたしたちはのどかに暮らせるようになったのかというと、全然そんなことはない。


 昨日だって、あたしはバイト先のVRレストランから突然解雇を言い渡された。


「キミの働きぶりにはまったく問題はないんだ。でもお客さんがまったく来ないんじゃ、売り上げを補填するために人件費を節約するしかない」


 あたしにはちょいハゲ店長の言っていたことがよくわかる。こう見えていちおう経済学部の学生なんですからね。


 でも、もしかしたら工学部とかに進学しておけばよかったのかもしれない。工学部でナノマシンについて学んでいれば、いまみたいな状況でも少しは先を見通すことができたのかも……。


 待ち合わせ場所の日枝神社のサイネージ鳥居の前にはすでに葛葉くずはが来ていて、最新のHDRリストフォンでツイッターのタイムラインをスクロールしているところだった。


「ごめん、遅れて」永田町を歩こう、と葛葉が言うものだから、半蔵門線の永田町駅でサブリニアを降りたのに、まさかそこから10分以上も歩くことになるとは思わなかった。


「ああ、大丈夫。じゃあ、ぼちぼち行くかー」と言って葛葉がディスプレイをオフにする。


 葛葉はあたしのバイト先の同僚だ。そして同じように昨日、バイトをクビになった。


 大陸で増殖したナノマシンが日本列島に渡ってきてからというもの、節電のために大学のリモート授業はロックアウトになるし、ライブやイベントはみんな中止になるしで、あたしたちはみんな時間を持てあましている。


 面白いことに、ナノマシンが体内に侵襲しても影響を受けるのはバブル期に機械化を施した裕福な高齢者ばかりで、あたしたちのようにお金がなくてまだ手術を受けていない若者は、ただナノマシンの絶好の潜伏場所を提供するだけ。少なくとも健康面においては、いままでと変わらない生活を送ることができる。


 だからこうして春の陽気にさそわれて、ふらりと外出しちゃったりするのだ。


「で、イベントってなんなの?」行きがけにちゃっかりとコンビニで買ってきた甘酒を手渡しながら、あたしは葛葉にたずねる。


「ありがと。なんかよくわからないんだけどね。桜を見ながらのんびり永田町周辺を歩きませんか、っていうUアンダー-40のイベントなのさ」歩きながらワンカップ甘酒のプルトップを引き上げるのは難しかったらしく、立ち止まった葛葉は「まあ家でクサしてるよりいいんじゃないかっ……」とあたしの背中に向かってしゃべる。最後のほうがよく聞き取れなかったのは、どうやら甘酒がこぼれそうになって瓶に口を近づけたかららしい。


 たしかに周囲を見回すと、外堀通りはあたしたちのような若いひとたちでごった返していて、ちょっと普段見ない光景になっている。


 なかにはオート・ベビーカーに並んで歩くお母さんなんかもいて、小さな子どもがその手をきゅっと握りしめている。全体的にはなんだかフェスっぽい。


「ずっとずっと昔はね」葛葉が追いついてあたしの隣から語りかける。「若いひとたちは角材を持ったり、火炎瓶を作ったりして古くさい政府と戦っていたんだ」葛葉は日本史専攻で昭和時代を研究している。


「でもそんなことしたら犯罪でしょ?」あたしは経済学部だけれど、最近ちょっと弁護士にもあこがれているんだ。


「だから学生でも容赦なく機動隊に捕まったし、なかには鎮圧の名目で殺されるひともいた」あたしたちはさらに押し寄せるひとの波に流されるまま、国会議事堂の近くまで歩いてきていた。「この辺りで殺された東大の女子学生だっていたんだよ」


 あたしは受験勉強で覚えた知識をぼんやりと思い出していた。ひとが直接自分の手を汚して他人の命を奪うような時代が、かつてあったのだ。そのような行為は「殺人」とか、もっと大きくなると「戦争」とか呼ばれていたんだそうで、あたしは受験のときにその単語を他の用語とともに必死になって覚えたのだった。


 しかしAIバブルでひと儲けしたひとたちが身体の機械化を進め、角材も火炎瓶も武器としてなんの役にも立たなくなったいま、あたしたちの反抗のかたちもグッと穏健なものになったものだ。


 首相官邸、そして国会議事堂の周りをただただ散歩するだけの若者たちの群れは、めいめいが短い春の時間を愛おしむように、おだやかだけれど祝祭的に流れていく。

 そこには血生ぐさい暴力は何もない。


 この時代、権力を打ち負かすために流す血になんて、甘酒一滴の価値もないのだ。



                ∞ ∞ ∞



 あたしたちの耳孔から、鼻腔から、口腔から。桜の花びらより何万倍も小さい銀の粒が飛び立っていく。蓄えた生体電気を人間の耳には届かない羽音に変えて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あたしたちは怒る必要すらない 早海 獺 @junicci

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ