第2話

「今日からお世話になります。仲嶋マコです。よろしくお願いします」


 大学卒業してから、どうしても地元に帰る気持ちになれなくて、派遣会社に登録した。運がよくて、仕事は途切れたことがない。

 派遣になってから、この会社は三社目になる。

 派遣の先輩たちは、皆正社員になることを祈っているけど、私もどうも同じ会社でずっと働くというのが苦手だ。だから1年とか決められているこの仕事が好きだ。だって期間があればその時だけ我慢すればいいもの。


「えっと、仲嶋さんだっけ?」


 席に案内されて、パソコンを起動させていると背後から声をかけられた。

 あの人の声に似ている!

 振り返ると、そこにはあの人がいた。

 無精ひげはなくなっていて、それこそ本当に俳優さんみたいにかっこよかった。

 会った時は多分Tシャツにジーンズというラフな格好だったけど、今の彼は白いシャツにスラックスという出で立ちで渋さが増している。


「仲嶋さん?聞いてる?私の話?」

「あ、すみません!聞いてませんでした!」


 思わず見惚れてしまっていたみたいで、慌てて返事を返す。

 すると何がおかしいのか、その人は笑い出してしまった。


「元気いいなあ。若い、若い。えっと、私は経理部長の鍵山(かぎやま)マサトシだ。君の直属の上司になる。よろしくな」

「は、はい。よろしくお願いします」


 私の事、わからないんだ。

 当然だけど。

 っていうか同じ人なんてわからないけど。

 彼の挨拶にがっかりしながらも、私はお辞儀をした。


 今回の仕事は、次の経理の担当者が入るまでの繋ぎで3か月の期間だ。前の会社で1年くらい経理で働かせてもらっていたから、問題なく書類の作成を手伝えた。

 経理部はなんと二人しかない。

 それじゃ部じゃないとツッコミをいれたくなったけど、鍵山さんが苦笑して、二人しかいない部で部長っていうのもなんだけどと言っていたので、私もなんとくなく愛想笑いで済ませた。

 この会社は大きな部屋を一部屋だけ借りていてパティションで部門ごとに区切られている。なので一緒に仕事しても二人きりではない。けれども鍵山さんの隣で仕事をしているので、休憩を利用して、それとなく私は彼の情報を聞き出した。

 まずは確認したこと、指輪。

 彼が指輪をしない主義であればがっかりだけど、どの指にも輪っかはついていなかった。

 それから、うちの町のこと。

 出身の話をして、知っていますかと聞いたけど、知らないっと冷たい答えが返ってきた。そうして数日の間、鍵山さんと休憩時間に話していると、私は会社の女子から反感を買い始めたことに気が付いた。

 どうやら、彼は人気らしい。あれだけ渋ければ当然だけど。

 おしゃべりそうな人に聞いてみると、彼はバツイチで、浮いた噂は今のところはない。そういうこともあって、会社の女子から熱い視線を送られているようだった。

 総勢20人の会社、うち女子9名。そのうち独身が6名で、いやはや人気者だ。

 1週間たって、鍵山さんがあの人じゃないことがわかった。

 顔も声も全部同じだけど、うちの町の事を知らないし、だいたい年齢が38歳。14年前だ24歳。私よりも下だ。あの時のあの人は、そんなに若くなかったし、人違いなんだ。

 だけど、どうしてもあの人の影を追ってしまって、私は女子に反感を買いながらも彼の隣にい続けた。


「大丈夫か?」

「ええ、まあ」


 乱れた髪を整えながら、鍵山さんに答える。


「……なら、いいが」


 彼は素っ気なくそう言って、再びパソコンの画面に視線を戻した。


 女子の恨みは怖い。

 私が派遣だから、余計にかもしれない。

 悪口はもちろんの事、ロッカーのカギ穴になにか詰められていたり、マウスがごみ箱に捨てられていたり。派遣の身分で苛めを訴えても意味がないので、私はひたすら耐えた。どうせ3か月後には、この会社を辞める。そして鍵山さんとも接点がなくなる。だから、少しでも彼を話していたいと、耐え続けた。


「……こういうことは困る」


 2か月後、派遣期間終了まで1か月に迫った頃、鍵山さんに会議室に呼び出された。会議室といっても一つのテーブルに6つの椅子が入るくらいの小さな部屋だ。


「君が私に好意を持っていることは知ってる。だけど、そういうつもりはないから」

「えっと、あの!」


 彼の言っている意味がわからなかった。

 いや、わかってる。だけど、身に覚えがなかった。

 私の好意に気が付かれていたのはとても恥ずかしかったけど、直接告白したり、誘ったことなんて一回もない。だから、こういう風に言われたのがショックだった。

 そうして、ある可能性に思い至った。


「なにか、私から手紙、いいえ、メールが届きましたか?」

「どういう意味だ?身に覚えがないか?」

「ええ。見せていただけませんか?」


 鍵山さんは戸惑っていた様子だけど、スマホを操作して「私が送ったメッセージ」見せてくれた。

 酷いものだった。


『抱いてください』『家の住所教えください』『あなたのことを考えて眠れません』などどと。

 浮かんだのは、私を虐めるあの女子社員たち。

 

「鍵山部長。信じていただけるかわかりませんが、このメッセージを出したのは私ではありません。どうぞ、私のスマホを確認してください」


 暗証番号を入れて、彼にスマホを手渡す。

 動揺しながらも受け取ってくれて、彼は確認し始めた。


「悪かった。こんな酷い誤解を。……本当に」

「いいえ。大丈夫です。もうそろそろ限界だと思ってました。鍵山さん。私は、あなたのことが好きでした。好意は本物です。休憩時間に何度もお邪魔してすみません。……もう、邪魔はしません」


 彼は悪くない。だけど疑われたのが悔しくて、情けなくて、私は一気に気持ちを吐露した。


「仲嶋さん!」

「今までありがとうございました」


 彼の顔を見たくなくて、私は視線を逸らしたまま、深々と頭を下げ部屋を出て行った。

 その後、すぐに派遣会社に連絡した。

 契約途中で辞めるなんて、派遣としては最低だった。

 だけど、私の希望を聞いてくれて、いや、聞いてもらって、どうにか私は辞めることができた。

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