第9話 グランドイリュージョン

 俺は来た坂を走って登り返す。後ろからはその山崎という男が着いてきている。一刻の猶予もない、早く家に行って10万を持って来なければ。


 やっと着いた玄関。電気は消えていて両親が寝ている事が分かった。山崎さん玄関前に佇んで、すぐ取ってこないとあんちゃんに連絡すると脅してきた。


 俺は両親を起こさない程度に自分の部屋からお年玉など金のものを片っ端からそこらの袋に詰めまくった。


 10万以上はあるはずだ。


 ってかさっきからこの山崎ってやつめっちゃひょろひょろしてんじゃん。俺の監視っつってる割に自分のスマホばっか見てるし。


 コイツには負ける気がしないんだが。


「あの……山崎さん」

「……ったくうるせーな──」

「うらぁ!」

「──ヴェ゛!!」


 俺は思いっきり山崎の股間めがけて下から蹴りを入れた。無性にイラついていた分、慈悲のかけらも無い蹴りだった。


 男はスマホを落とし、床に倒れるなり股間を両手で押さえてながら悶え苦しんでいる。


「っ…メェ……!」

「はい」


 俺は再び寝ている山崎の股間を、両手ごと蹴散らした。


「ヒョォっ!!」


 確信した。コイツはもう立ち上がれない。立ち上がれても股間の痛さにまともに動けないだろう。この気持ちは小学生の頃に痛いほど感じている。


 サッカーボールが股間を強打した時、友達と物を引っ張って取り合いっこした時に相手が手を離した反動で物ごと股間に直撃した時。


 俺は自分のスマホで警察へ連絡を入れて。山崎を見下ろしながら彼のスマホを回収する。


 時間はまだある。あの男達のことだ、簡単には返してくれるはずがなさそうだ。ならば確実に勝つ方法を。



 数分足らずで警察が来た。俺は山崎を引き渡し、事情を最短で説明した。


「それでですね。俺に考えがありまして」



 ──こうして今にたどり着く。




「彼女を返してください」

「あ? 10万が先だろ。早く投げろよ」

「渡したら絶対返してくださいよ?」

「ああ。中身を確認したらな」


 俺はそのお金が入った袋その男の付近に投げた。それを拾い、中身を確認すると男は口を開いた。


「おお! 流石。10万以上あるな。お前分かってるな」

「あの……早く」

「なぁ、お前俺らと組まねぇか?」

「……早く彼女を返してください! 約束ですよね!」

「は? いつ返すって約束した? 俺は犯さないって言っただけだぜ?」


はぁ……。本当に。コイツらは。


「山ちゃん……私はいいから……」


 心桜。とうとう言いやがった。


 男は下卑た笑みを浮かべ、どこまでも汚い笑い声を上げた。おっさんなんかと格が違う。ただのグズだ。


 まぁ、そんな事だろうとは思っていたが。


「低脳共の言う事はたかが知れてんなぁ。いや、無能だったか」

「……あ?」


 決まった。口調とトーンを一気に切り替え、思いっきり怒りを交わせる言葉。心桜は目をめっちゃ見開いている。


 そのタイミングで、先ほどから雲に隠れていた月が現れ、俺の頭上から月光を浴びせてきた。


「おい。ってかてめー、山崎はどーした?」

「ん? モンキー?」


 キしかあってねーよ。もっと面白いの見つからなかったのかよ俺。


 男は慌ててスマホを取り出して、ある動作を終えるとそれを耳にかぶせた。


 すると、俺のポケットから着信音が鳴り響く。


「やだぁーん、どーちておにーさん、あたいのでんわばんごーちってるのー??」


 トーンを挙げて、あざとく両手をグーにして片足を上がる。これでオネェの出来上がり。煽る行為にしてもこれは恥ずかしい。何やってんだよ俺。


「てめぇ……ガキの分際で、ガチで死にてぇんだな」


 怖い。男の顔がマジになった。かつてないほど狂気に満ち、至極の殺意が絡んだ眼光。確実に殺しにくる。


「おっと……それ以上は俺に近づくんじゃねぇ。猿が移る」


 今のイケボは決まっただろ。オネェからの急なイケボは流石にギャップ萌えするだろ。


「てめぇさ、自分の立場分かってんの? どっちが無能だよ」

「お前こそ自分の立場を再確認した方がいいんじゃねーのか? まぁそんなちっさい頭なてめーらに言っても無駄な事か」

「何?」

「今からお前らにグランドイリュージョンを見せてやるよ。お前らが認識している立場が一瞬でひっくり返る様をなぁ!!」


 俺は右手の親指と中指をつけて、目の前に掲げる。マジックなどの芸当で必須のエンターテインメント。フィンガースナップ……またの名を指パッチン。


 そう、これがになっているのだからな。


 そして俺は親指と中指に力を入れて、擦らせ合わせる。


 スカッ。


「……えっ?」

「は?」

「山……ちゃん?」


 あれ。今スカっていった? 不発? え、結構練習してたよ俺。そっか、今俺焦って汗がいっぱい出てるんだ。摩擦がないから通りで音が鳴らない訳だ。


「お前、何考えてんだ?」

「今からお前らにグランドイリュージョンを見せてやるよ。お前らが認識している立場が一瞬でひっくり返る様をなぁ!!」


 よし、さっきのが何事もなかったかのようになった。俺は次こそフィンガースナップを決めた。


 パチンと林中に響く音。誰もがその音に耳を傾けている。


「だから何──」


 その瞬間、俺の背後だけでなく、林のあちこちの木々に身を潜めていた警察達が一斉に男達の元を囲うかのようにバチンとライトを当てた。


 どうだ。奴らから見たら俺は神々しく見えるだろう。ライトをバックに男達を見下ろす少年の俺。カッコよすぎだろ。


「もうお前らに逃げ場はない。大人しく手をあげ──」

「警察です。直ちに投降しなさい」


 メガホンによって響き渡る警察の声。どうやら俺の出番はもうおしまいのようだ。


「こうなったら!」

「ひゃっ!!」


 男はどこともなくナイフを取り出し、心桜の背後に回り込むなり彼女の喉元にナイフを回した。人質に回るとは、どこまでも腐った男だ。


「おい、マッポ共。もし俺らになんかしたら分かってんだろーな?」

「山ちゃん!!」

「黙れ! メスガキ!」

「んんっ!!」


 男は、ナイフを持った手のもう片方の手で心桜の口を塞ぐ。暴れるのも無理はないだろう。心桜の立場にならなければ分からないが、きっと凄い怖いのだろう。


 流石の警察も身動きが取れていなかった。その時だった。


「あんちゃん! 後ろ!」

「あん?」


 そのリーダー格の男は、下っ端の男にそう促されるが、気づいた時にはもう遅かった。


「何っ!」


 その男の後ろに立っていたのは、見間違いのないおっさんだった。おっさんは目にも見えぬ光の如きスピードで腕を払い、男のナイフを弾いた。


「うそ……だろ……。てめぇ……どうして」

「女、そこを退け」

「……はい!」


 おっさんは足を踏み込み、両拳を握りしめ、構えの体制に移行した。


「な、なんだよお前」

「すぅ……」


 目を閉じ、呼吸を整ると、おっさんはキッと目を見開く。


迅雷風烈拳じんらいふうれつけん、上段」

「──っ!? グバァッ゛ぁっ!!」


 男はそのおっさんの目に目見えぬ凄まじい拳を全て顔面で受け、鈍い音を響かせてそのまま数メートル吹っ飛んで気を失った。


 そしてその場に居合わせたものは誰もが息を呑み、ただ静寂だけが漂った。


 その末、口を開いたのは警察だった。


「……か、確保ぉ!!!」


 一斉に飛び出し始めた警察たちによって、その男達は呆気なく捕まっていった。


 おっさんはふらふらとしながらも、弾いたナイフを手に取り、心桜を縛っていたロープを切った。


 すると、心桜が俺の方に向かって全力で走って来るではないか。ずっと縛られていたからか自由が効かないのだろう、足取りがおぼつかない。


「きゃっ……」


 だから彼女は転んでしまった。そこへすかさず近づく。


「心桜!」

「山ちゃん!」

「心桜ぉ!!」

「山ちゃん!!!」


 そうして、彼女の元へ辿り着いた瞬間、心桜は無理矢理足を立たせ、涙を弾きながら抱きついてきた。彼女は転ぶ覚悟で飛びついてきたため、俺の重心が鈍ったらお互いこのまま倒れてしまう。


 でも今はそれでもいっか、と思ったので、お互い倒れる事にした。


 ドサっと草むらに倒れる音を響かせて、心桜の全体重がお腹に乗ってきた。とても軽い。


「ごめんね山ちゃん……凄い迷惑かけて」

「……俺の方こそ、ごめん。男なのに……お前を守ってやらなくて」

「そんなことない! 山ちゃんのおかげで私は今こうして山ちゃんの温もりを感じてる。山ちゃんに……凄い負担を負わせて」

「心桜……」

「本当にごめんね。ごめんね。ごめんね! ごめんね!! 私、どんなに謝っても償いきれない……どうすれば……」

「大丈夫だから。ほら、泣くなって」


 俺は知っている。心桜の方が俺の何倍も深い傷を負っていることを。当たり前だ。たかが女子高生がこんな所で犯されそうになっていたのだから。


 それでも彼女は自分の事よりも俺に対して謝罪してくる。だから俺は心桜を謝らせないように思いっきり抱きしめた。窒息死させるくらいに。


「んんっ! んーー!」


 強く、強く、思いっきり抱きしめて、そして、


「んっ! ひょっ……ひぬひぬひぬ!!」

「あ、ごめん!」

「ぷはぁ……はぁ……もう……危なかった」


 危うく本当に窒息死させる所だった。そして、再び心桜を抱きしめる。


「山……ちゃん」

「ごめんな。怖かったろ?」


 心桜は俺の胸に押さえつけられたまま、ゆっくりと頷いた。


「怖かった……」


 そう放つと、心桜は俺の背中に回していた腕を、先程のやり返しだと言わんばかりに思いっきり閉めてきた。


 相当安心したんだろう。


「怖……かった。ほんとに……」

「もう大丈夫だ」

 

 俺は聖母のような優しい声ではなち、心桜の頭を何度も撫でた。心桜は、俺の胸元に顔を押し付けながら何度も擦らせ、涙を服に染み込ませてきた。

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