Ⅱ.カルデアの戦い‐②

 プブリウスはすぐに戦果を挙げた。

 なんと、軽騎兵の一団に追いつき、潰走させたのだ。

 ずっと走り回っていたパルテミラ軽騎兵に対し、プブリウスの騎兵は方陣の中で体力を温存していた。この違いが、機動力の差を埋めたのだ。

 なにもできなかったことが、思いがけなくも幸運を引き寄せたのだった。

 予想を遥かに超えるプブリウスの活躍に、熱射と矢に打ちひしがれて陰鬱に沈んでいたローマ軍が、一気に沸き立った。

 これはいける――オレも一瞬そう思った。

 だがプブリウスが丘の向こうへ消えたところで、オレはハッとなった。

 なんだこの感じは?

 事は上手く運んでいるのに、なにか間違った方へ進んでいるような――

 そうだ、これは既視感!

 逃げる敵を追うプブリウス。最初にパルテミラ軍と遭遇した時と、重なる光景だ。

 間もなく、オレの嫌な予感は的中することとなった。

 それは、クラウススが乱れた隊列を整えている最中のことだった。

 丘の方から角笛の音が高々と鳴り響き、追い散らされたパルテミラの軽騎兵が続々と戻ってきた。

 少し遅れて、序盤以降姿が見えなかった重騎兵も丘の上に現れる。

 オレたちは、最後の希望が潰えたことを悟った。

 そして駆け下りてきた女騎士が、方陣の中に丸い物体を投げ込んだことで、それは確信へと変わる。

 投げ込まれたのは――

「! プブリウスゥウウ!?」

 の生首だった。

 息子の変わり果てた姿を目の当たりにし、絶叫するクラウスス。

 その叫び声が、恐怖の波となって、兵たちに伝染していった。

「ヒィ……こ、殺される!」

「うわあああぁん! 死にたくない! 死にたくないよぉ!」

 ローマ軍最大の強みだった団結力が、ここで崩れた。

 そこへパルテミラ軍が総攻撃を仕掛け、戦場は阿鼻叫喚の地獄と化す。

 両翼から軽騎兵が矢を射かけ、中央からは重騎兵カタフラクトが方陣を串刺しにする。

 それに抗うだけの力は、もうローマ軍に残されていなかった。

 こうなったら終わりだ。

 あとは、どう逃げるかだ。

 だがあいにくと、ここは敵国の領土深くの、砂漠とほとんど変わらぬ荒野のど真ん中。果たして生きて帰れる者がどれだけいるのやら。

 どうやら、神聖なオアシスを踏み荒らそうとした、その報いを受ける時が来たようだった。

 理不尽極まりないが、一番重い罰を受けるのは、オレたちスパルタクスの兵だ。

 ローマ兵が全員戦場を離脱するまで、オレたちは残らなければならない。

「お前らぁ! 覚悟はできてるかぁ!?」

 オレは千人の戦友に向けて、最後の檄を飛ばした。

「この戦、大ローマ帝国の負けだ。オレたちは今日ここで死ぬ! だがローマのためじゃない! スパルタクスのために死ぬんだ! 戦士として恥じることのないように、最後まで全力で行くぞ!」

 おう、と男らしい返答があった。

「どこまでもついていきますぜ! ベテルギウス将軍!」

 くぅっ……なんっていい奴らなんだ、お前たちは!

 そうさ、オレたちは腐ってもスパルタクス人。

 戦場で死ぬことこそが最高の栄誉。今さらなにを恐れることがあろうか!

 意外にも、ローマ人たちも徹底抗戦の構えだった。

 敵に背を向けて逃げれば、さらなる大惨事になると踏んでのことだろう。クラウススは総崩れになったはずの軍を、なんとかその場に押しとどめた。敗軍の将ではあるが、あの男も大した奴だ。

 オレの騎兵部隊は、方陣の中に侵入した軽騎兵をいくらか撃退した。

 敵も疲労が溜まっていて、序盤のような勢いはなかったし、数の利を活かした連携で白兵戦に持ち込むこともできた。

 女に剣を向けることに抵抗があった者も、この時には覚悟を決めていた。戦場に立てば男も女も関係ないのだと。

 しかしプブリウスもそうだったように、快進撃は長く続かなかった。

 目の前のことに夢中になり過ぎて、オレはすっかり失念していた。パルテミラ側にも、まだ余力を残した部隊があることを。

 テストゥドの分厚い壁を破って、オレたちの前に立ちはだかったのは、人馬の全身を鉄の鎧で覆った騎兵――そう、重騎兵カタフラクトだった。

「!?」

 その先頭を行く者の姿を見て、オレの思考は停止した。

 指揮官級であることは、一目で分かった。

 他の騎士にはない、大きな緑の外套を纏っている。

 オレの目を奪ったのは、その騎士が被っている黄金の兜だった。

 三本の飾り羽の付いた丸兜から、鎖帷子くさりかたびらが垂れ下がり、口元を除く顔の全体を覆っている。暗くなっている目元が、こちらを透かし見ているようで、なんとも禍々しい。

 そしてその口元には、ありえないものがあった。

 髭!?

 オレは目を凝らしてもう一度よく見てみたが、間違いない。

 顎下まで垂れ下がる、二筋の見事な口髭が生えていた。

 どういうことだ?

 パルテミラには、男の騎士もいるというのか?

 いやしかし、それにしては胸が大きいような……

 男臭い女ばかりのスパルタクスでも、流石に髭を生やした女はいなかった。男のオレですら生えていない。こいつは一体……

 胸の膨らみを凝視していると、不意にその騎士は槍を構えて突進してきた。

 雷光の閃きにも似た鋭さだった。

 オレは顔面めがけて繰り出されたその突きを、間一髪、上体をのけぞらせてかわした。

 続く打ち込みは盾で防いだ。骨にまで響く、凄まじい衝撃だった。

 その騎士はオレと並ぶくらいには長身と言えたが、重厚な装甲の上から見ても、体の線は細い。どこからそんな力が湧いてくるのだろうか。

 オレも人のこと言えねぇけどな!

 髭騎士の猛撃をしばらく盾で凌ぎ、慣れてきたところでオレは反撃に出た。

 盾で押し込むように距離を詰め、「ハアッ!」と気迫の息を吐き出しながら長剣を薙ぎ込む。

 が、その渾身の一撃は、振り上げた槍に弾き返され、髭騎士には届かなかった。

 威圧を感じるほどの重装備からは、想像もつかないほどの軽快な槍捌きで、髭騎士にはまったく隙がない。妙な兜のおかげで目線が分からないのも影響しただろう。それから二十合ほど打ち合ったが、オレはほとんど防戦一方だった。たまらずに距離を取り、息を整える。

 相手にとって不足なし。

 オレはついてるぜ。人生最後の戦でこんな好敵手に巡り会えるなんてな。

 せっかくだ。決着を急ぐことはない。もったいぶって行こう。

「あんた、名はなんて言うんだ?」

 オレの問いに、髭騎士はそっけなく応じた。

「パルテミラ帝国将軍――ヴェルダアース」

 それは女の声だった。

 女にしてはやや低めだが、耳にいつまでも残るような、しゃがれた声。

 口髭の下からこぼれ出た意外な美声に、オレは意表を突かれた。

 その隙を、ヴェルダアースは見逃さなかった。

 一気に馬を駆け寄せ、動揺の収まらないオレに、怒涛の連撃を浴びせる。

「ちょっ、待っ……オレの名はベテ――」


 オレの意識はそこで途絶えた――

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