Ⅴ.御前試合‐①
夢を見ていた。
オレは体中傷だらけで、テシオンの市街を逃げ回っている。
そのあとを、スレイナが鞭を振り回しながら、エミールが罵声を浴びせながら、おばさんが林檎を投げつけながら、どこまでも追ってくる。
「もう一発打たせろ、この被虐趣味!」
「消え失せろ、穢らわしい奴め!」
「待ちなさい、色男!」
いくつもの角を曲がり、ようやく振り切った頃には、オレはもう一歩も動けなくなっていた。
そこへもう一人、脇道から現れた者がある。
ジェロブ……!
天使のような衣装を身に纏い、哀れむような目でオレを見つめている。
「わぁ……酷い怪我。待ってて、僕が治してあげるから」
ジェロブは可愛らしい杖をクルクルと回しながら、呪文を唱えた。
「痛いの痛いの、飛んで行け!」
ああ、よかった……やっぱりジェロブだけは味方――そう思ったオレを、雷が襲った。
「ジェロブぅ! お前もかぁあああ!?」
断末魔の叫びとともに、オレは目を覚ました。
宿舎の寝台の上。
部屋の中は入った時そのままだが、小さな
どうやら、あのまま寝てしまったようだ。軍服も着たままで、酷い寝汗をかいている。
コンコン、と扉を叩く音がした。
そうか。もう付き添いの人が来る時間なんだな。
オレは寝起きとは思えない華麗な体捌きで寝台を降り、扉を開けて、絶叫した。
「うおおうっ!? エミール!?」
扉の向こうには、悪夢の元凶――エミールがいた。オレの絶叫で少しビクッとしている。
「ビビり過ぎだろ……」
そう言い捨てると、オレが身構えているのを見て、急に落ち着きなく目を泳がせた。
それから、ややうわずった声で――
「あ……いや、その……昨日はごめん」
「……?」
エミールの、昨日とは打って変わったしおらしい態度に、オレはまごつく。
「悪いとは思ってたけど、あんな強く当たっちゃったから、どう謝ったらいいのか分からなくて……」
なんだそれは……?
それで恥ずかしくなって、逃げちゃったのか? そしてわざわざ朝から――
よく見れば、エミールの目元には泣き腫らしたような痕が残っている。
こいつもこいつで、一晩気に病んでいたのだろうか――そう思うと、急に愛おしさが込み上げてきた。あと、笑いが。
「な、なんで笑うんだよ!?」
「いや、悪い悪い。お前も結構可愛いところあるんだなって」
「………」
一発蹴りを入れたそうな顔で、エミールはオレが笑い止むのを待つ。
オレはむしろ蹴ってもらいたい気分だったが、これ以上エミールの機嫌を損ねるわけにもいかないから、その辺にしておいた。
それから少しの間、オレたちは寝台に腰をおろして話をした。
「そうかそうか……エミールは女帝の親衛隊なのか。まだ子供なのにすごいな」
「子供じゃない。もう十六だ」
「ああ、すまん。
今日のエミールは、緑と白で彩られた、明るめの軍服を着ていた。こっちが正装らしい。これはこれで、なかなか様になっている。上下半袖なのがまた素晴らしい。
「エミールは幼精なのに、なんで戦士なんかやってるんだ?」
「別に、珍しいことじゃないよ。親衛隊はほとんど幼精だから」
「ほう……大丈夫なのかそれ? ちゃんと守れるのか?」
「守れるよ」ちょっとむくれるエミール。「幼精は力じゃ
こいつは……伊達に親衛隊やってないな。実力は申し分ないし、戦士としての誇りも持ち合わせているようだ。
まあ、オレに比べればまだまだだが。
「ベテルギウスさんは明日、御前試合に出るんだよね?」
「ああ、そうだな……………………そうなのか!?」
不意に名前で呼ばれ、聞き流しかけて、聞き返す。
「なんだ、まだ聞いてないんだ」
「御前試合があること自体、初耳だぞ」
「多分、あとで知らせが来ると思うけど、明日は論功行賞と御前試合をやることになってるんだ。オレは詳しいこと聞かされてないけど、ベテルギウスさんも呼ばれてるみたい」
「ほほう……?」
「
「ほほほう……?」
あの女帝……またなにか企んでいるらしい。公開処刑でもするつもりか?
まあいいさ。とりあえず今は、名前で呼んでもらえたことを喜ぶとしよう。
「エミール。次からオレを呼ぶ時はベテさんでいいぞ」
「……? うん」
「あと、明日暇だったら、案内役を頼まれてくれないか?」
ずっと目を合わせなかったエミールが、やっとオレを見た。
「オレなんかでいいのか?」
「なに言ってんだ。お前だからいいんだよ」
「えっ……」
エミールはオレの心の広さに恐れ入ったようだが、別にオレは和解の印だとか、そんな小難しい理由で誘ったわけではない。可愛い奴とは一緒にいたいという、至極安直な理由からだ。男って単純だろ? なあ、エミール。
オレという存在が眩し過ぎて直視できないのか、エミールはまた目を逸らした。
「分かった……暇じゃないけど、いいよ」
* * *
論功行賞の式典は、
真っ白な壁の奥に見える、神殿のような造りをした建物が王宮らしい。正門前の三方は衛兵で固められ、その周囲では幾万とも知れぬ市民がひしめき合っている。身長の足りない
オレは衛兵に守られた特等席で、中から聞こえてくる笛と太鼓の演奏を楽しんでいた。
不意に、背後でワッと歓声が上がる。
ちょうど女帝ゼノビアが
太陽の下で光り輝く、黄金の冠、深緑の絹服。強さと美しさを感じさせるその立ち姿は、前に会った時以上に迫力に満ち、神と見紛うほどだった。
「なんと美しい……あれで四十代後半なんだってな。信じられねぇよな」
「そんな卑しい目で陛下を見るな」
俗っぽい感想を漏らしたオレに、隣のエミールが噛み付く。
今朝は彼が宿まで迎えに来て、この会場まで連れて来てくれたのだ。手を繋いで。
「そんなってどんなだ? じゃあどんな目で見ればいいんだ?」オレは白目を剥いた。「こうか?」
「だから……! いやらしい目つきで陛下を見るなと言っているんだ」
いやらしいねぇ……というか、分かるのか? 幼精のくせに。
エミールの頑なさに、オレは苦笑するしかない。まだ男嫌いは変わらないようだ。
悲しいかな……今日はまだ一度も名前で呼んでもらえてない。
そんな氷のような彼の心を温めてやりたいと、オレは思う。
「いいではないか。美しきを愛でるは人の性。咎められるいわれなどなかろう」
大人の哲学なるものを語ってみせたが、エミールはもう聞いていなかった。
市民の歓声に応える女帝ゼノビアだけを、瞬き一つせずに、じっと見つめていた。
やがてゼノビアが開式の口上を述べると、開け放たれた王宮の門から、見知った顔の戦士たちが揃って出てきた。万雷の拍手が鳴り響く中、戦士たちは円の描かれた石畳の上に整列し、代表者スレイナの号令で一斉に跪いた。
「西の脅威――大ローマ帝国の大軍を撃滅し、我が軍の武威は日増しに高まるばかりじゃ! もはやこのパルテミラ帝国を脅かせる国は、世界のどこにもあるまい!」
カルデアでの戦果を自慢げに報告するゼノビア。
その声は
それから、特に功績の大きかった戦士たちの名が、次々に呼ばれる。
パルテミラ軍の総指揮を執ったスレイナ。
ローマ軍に決定的な打撃を与えたヴェルダアース。
敵の最高指揮官を討ったエクサトラ。
ローマ軍を敗北に導いたオレ――の名は呼ばれなかった。
てっきり、敵国の愚将として晒し者にされるのだと思っていただけに、拍子抜けだ。
だが、オレの出番はこのあとに控えている。
カルデアの英雄たちが門の中に引き上げてしばらくすると、大きな木の杖を持った者たちが颯爽と現れ、石畳の円に沿って並んだ。
そして熱気冷めやらぬ観衆に向けて、女帝の側に控える幼精が告げた。
「これより御前試合を行う! 名を呼ばれた者は円の中へ」
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