生け贄と鬼

砂鳥はと子

前編


 私が生まれ育った村の近くに大きな湖があるという。

 いつも霧がかかり、魚もいない気味が悪い湖の向こうには鬼が棲んでる。

 遠い遠い昔に、鬼が村へとやって来て人々を食べてしまった。今では伝説のようなものになっている。

 村人で鬼を見たことがある者はいない。

 それでも村は昔からの風習で鬼を鎮めるために、一年に一度生け贄を捧げる決まりがあった。

 なぜか生け贄というのは若い娘でなくてはならない。鬼が最も好むからだそうだ。

 身よりのなかった私は生まれてすぐ生け贄に選ばれ、村の奥で育てられた。

 生け贄の私は村人も滅多に口にできないような大きな魚や珍しくて甘い果実を捧げられてきた。

 着物だって村で手に入る一番上等な布で作られている。

 だけどいつも足枷と手枷をつけられどこにも行くことができなかった。

 生け贄がどこにも逃げないように。

 もし私がいなくなれば自分たちの家族や知り合いを生け贄として差し出さねばならないから。

 村人からはまるで神様みたいに扱われているようで、いつでも捨てられる石みたいなものだった。

 良いものを食べて、良いものを着て、少し立派な家に住まわされて、それでも自由はなかった。

 時折、お願いすれば村の中を出歩かせてもらえたけれど、私が歩いて行けるのはほとんど家の中と庭だけ。

 だから十六になり生け贄として湖まで来た時、私は大空を羽ばたく鳥になったような開放感を得た。


 視界に全て収まらないくらいの広い広い、だけど霧に支配された湖。

 あの向こうの世界には何があり、本当に鬼はいるのだろうかと少し心が高鳴った。

 私の腕と足は朱色の立派な紐で飾られる。見るからに立派な紐飾りだが、泳いで逃げられないようにするためのものだろう。

 可憐な白い花で埋められた小舟に寝かされて、僅かばかりの銭を手に握らせる。

 村では死人にあの世でも不自由なく暮らせるようにと、棺桶に銭を入れる風習があった。

(私はやはり死ぬ運命なんだ)

 儀式用の装束を身に纏った村人たちは何も言わずに私が横たわる舟を湖に押しやった。

 あっという間に視界は霧で覆われる。すぐに村の方向など分からなくなってしまった。

(私、このまま舟の上で飢えて死ぬのかな)

 舟はゆっくり流されてゆくけれど、どこに向かい、どこへたどり着くのか。

(本当に鬼はいるのかな)

 変わらぬ景色に飽きた私は小舟の中で眠りに落ちた。



 誰かが肌に触れる感触で目が覚めた。

 女の人が私の身体に触っている。

 黒く長い艶やかな髪を垂らし、紅の着物を身につけていた。

 それは私が着ている着物よりもずっとずっと上等であるのが見てわかった。

 女性の瞳も着物と同じ紅色をしていた。

 私はそんな色の瞳をした人間を初めて見た。

 額には短いけれど決して人にはない角が生えていた。

 鬼というのは角があるらしいが、これが鬼なのだろうか。

 まるでお姫様のようなとても見目麗しく、雪のようにまっさらな白い肌には染み一つない。

 彼女が鬼だとしたら、私が想像していた姿とあまりにも違う。

 それとも私はまだ夢の中にいるのか。

「ここは……どこですか?」

 私は夢か現実か確かめるために、目の前の女性に訪ねる。

「随分と冷たいから死んでいると思った。生きていたのね。ここはの河原。昔来た人間は地獄だと言っていたけれどね」

 ということはこの女性が鬼なのだろうか?

 人を喰い、千切り、恐ろしい形相で村人たちを手にかけたという鬼から思い描いたものとは、あまりに違いすぎる。

 もしこの人が鬼なら少しは怖くない気がした。

「あの、私はこれから貴女に食べられてしまうのですか?」

 生け贄が実際にどうなるのかは知らないけれど、鬼が人を食べるなら待ち受ける未来はそれしかないように思う。

「あなたは生け贄でしょう? それ以外に何があるというの? そんなことを聞くなんて物好きな娘ね」

 やはり生け贄は鬼に食べられてしまうらしい。

 手足に紐を巻かれたまま、私は鬼に抱きかかえられた。

 その細身に私を持ち上げるだけの力があることに驚いたけれど、鬼は人にはない力をたくさん持っているらしい。

 きっと自分と大きさが変わらない人間を持ち上げるくらい簡単なのだろう。



 抱えられたまま私は辺りを見回す。湖の畔は石ころが転がるばかりで雑草すら生えていない。

 少し離れた所にあるお屋敷に連れて行かれた。

 村にあった一番大きな家よりも段違いに立派な家だった。

 私は板の間らしき場所に置かれた。

 床にはいくつもの赤黒い染みができている。

 部屋の隅には同じく染みのついた使い込まれた鉈が転がっている。

 ここは何か大きなものを解体する場所のようだ。

 何かとは言うまでもない。

 鬼は私から紐をほどき、その辺に投げ捨てる。

「あの、できれば痛くしないで食べてくれませんか?」

 私は無駄かもしれないと思いながら懇願した。

 たとえば意識がなくなった時に、一気に食べられたらきっと痛みなど感じることなく死ぬことができる。

 血を流しながら痛みに悶絶して息絶えるのは、生け贄として生きてきた身でも嫌なものだ。

「あら、逃げないの? せっかく自由になったのに。少しは抵抗してくれないと面白くないじゃない。食べられることを受け入れているなんて変わってるわね、あなた。人間なんてだいたい怖がって泣いたり叫んだり命乞いするのにあなたはそうしないの?」

「私は生け贄として生きてきたので、鬼に食べられるのはある程度覚悟しています。だけど痛いのは嫌なのでできれば痛くないように食べてほしいんです」

「肝が座った娘だこと。人間が暴れたり泣いたり、命乞いをしたり、逃げようとするのを見るのが楽しみなのに。まぁ食べる時は面倒だから毒で殺してから食べるけれど。だから多分痛くないわよ」

 私は安堵した。毒で苦しむかもしれないけれど、いきなり鉈で手足をもがれるよりは苦しみは少ないと思った。

「今回の贄は食べ甲斐がなさそうね」

 鬼は私の着物を脱がすと、鋭い牙を露にした口で私の肩に噛みつこうとした。

「待ってください、鬼さん。生で食べるんですか? 毒はどうするんですか?…噛まれたら痛い…ですよね?」

 鬼はふふふと、楽しそうに笑うと

「本当に変わった人間ね。全く抵抗しないなんて。噛んで牙から毒を入れるから噛まれた所は痛むと思うけど、すぐに意識もなくなって死ぬわ」

 それなら楽に死ねるだろう。

「分かりました。その後、私は焼かれたり煮られたりするんですか?」

「そんなことを知ってどうするの? あなたはそのまま血を啜られて、ハラワタと肝を食べられたら湖に捨てられる。それだけ」

「じゃあ、あの湖が私のお墓になるんですね……。もし気が向いたら小さな花でいいので手向けてくれませんか? ……私、花が好きなんです」

 鬼はどこか可哀想なものを見るような目で私を見ている。

「こんな事を聞いても怖がらないなんて面白いわね。あなた名前は?」

「″贄様″です」

「それは名前ではないでしょう?」

「私はずっと生け贄として生かされてきたので贄様としか呼ばれたことがありません。鬼さんには名前があるのですか?」

「私はあざみ

「薊…棘がたくさんある紅紫べにむらさきの花の名前ですね。見たことがあります。牙があるからその名前なのですか?」

「どうしてそういう発想になるの? 本当に変な娘ね。あなたは食べてもあまり美味しくなさそう」

 露骨に嫌そうな顔をされた。

「そうでしょうか? 私は村人よりはいいものを食べてましたから村人よりは美味しいはずです」

「そう…。もういいわ。黙ってて」

 薊さんは私を抱き寄せると肩に噛みついた。

 痛いと感じると同時に私の意識はなくなった。



 すごく温かくて柔らかいものが側にある。

 温かくて心地よい。

 私はそれに腕を伸ばしてしっかりと抱き留める。

 眠気と温かさに私は体がふわふわと浮くような夢心地でいた。

 もしかしてここは極楽浄土なのだろうか。

 身体の力が抜けて、溶けてしまいそう。

 その温かいものも私を強く包んだ。

 仏様に抱かれるとこんな気持ちになるのかもしれない。

 私の人生は鬼に食べられて終わってしまったけれど、薊さんはどの村人より私を人として見てくれた気がする。

 だってあんな風に普通に話をしてくれた人は生まれて初めてだ。

 いい終わりを迎えることができて良かった。



 瞼を開くと目の前に紅い唇があった。

 少し開いた唇からは牙が覗いている。

 私の体は薊さんの腕の中にあった。

(あのすごく温かいものは薊さんの体だったのか)

 こうして誰かの体と触れ合うことなんて始めてだ。

 その相手が人を喰らう鬼だとしても私は妙な居心地の良さを感じていた。

 それにしても私はどうなったのだろうか。

 食べられたとしたら何故体があるのだろう。

 自分では分からないだけで幽体になってしまったのか。

「……薊さん」

 私は彼女の腕を揺すった。

「目が覚めたわね」

「私はどうなったのですか? 何故まだ体があるのでしょう? 私は死んでないのでしょうか?」

「毒が効かなくて死ななかったのよ。たまにいるのよね。そういう人間。よりにもよってあなたみたいな変な娘がこうなるなんて」

 薊さんは楽しそうに微笑む。

 たとえ鬼だとしてもこの人の笑顔はいつまでも見つめていたくなるほど、とても美しい。

 恐ろしい鬼でなくて本当によかった。

 私は思わず薊さんの身体に顔を埋めてしまった。

「鬼の腕の中にいるのに随分、呑気ね」

「何でか分からないですけど、こうしているとすごく気持ちがいいんです。もう少しこうしててもいいですか?」

「……暴れられるよりはマシだから好きにしなさい」

 薊さんがいいと言うのだから好きにすることにした。

「ねぇ、毒が効かなかった人間はどうなると思う?」 

 薊さんに問われる。

 意識があるまま食べられてしまうのだろうか。

 私が答える前に薊さんは口を開いた。

「人であって人ならざるものになるのよ」

 私が予想していたのとは違う答えが返ってきた。

「………私も鬼になったということですか?」

「鬼ではないけど人間でもない。鬼の毒で死ななかったものはこの先ずっと死ななくなるのよ、何故か」

「長生きできるということですね」

「そうね。でも人間にとっては良くないことよ。死ななくなった人間は皆、いずれ発狂してしまうか心を壊してどうにもならなくなる。人間は私たちより短命だから長寿には耐えられないのね」

「そうなった人間はどうなるのですか?」

「いても邪魔だから頭を落として食べてしまうわよ。生かしておいても心が壊れた人間なんて……」

 薊さんは遠い景色を見つめるような、寂しさを漂わせた。しかしすぐにそれは消えてしまう。

「私もどうにもならなくなったら薊さんのご飯になるんですね」

「あなた、本当に全然怖がらないわね」

「薊さんが人間をばりばりと食べる姿が想像できません」

 お姫様が食べるような、きれいな器に盛られた美味しい料理を食べている方が違和感がないくらいだ。

 薊さんは私を離すと立ち上がった。

 とても名残おしくて私はもっと触れていたかった。

「あなたは面白いから殺さずに側に置いておいてあげる。私の身の回りの世話でもさせようかしら」

「ご飯から従者になるということですか?」

「そうね。…付いて来て」

 薊さんに招かれ私は他の部屋へと通された。

 そして私の前に薄紅色の着物を差し出す。

「取りあえずそのみすぼらしい服装では目に余るからこれに着替えなさい」

 私が着ているのは村でも簡単に手に入らないような高価なものなのに、薊さんにはみすぼらしく見えるようだ。

 差し出された着物は薊さんのものより劣るけれど、私が着ているものよりは遥かに上等だった。

「こんなものすごく豪華な着物を身に付けてもよいのですか?」

「別に大したものではないわよ」

 私がいつまでも着物に見入っていたので、薊さんは手早く私の着物を着替えさせると、身なりを整えてくれた。

 今まで鬼に世話されたことがある人間は私だけかもしれない。

 こうして生け贄だった私は鬼の従者になった。




 私には名前がなかった。

 それでは不便だからと薊さんから『なずな』という名前をもらった。

 真っ白な小さくて可憐な花と同じ名前だ。

 私は薊さんに教えられながら、彼女の髪を梳いたり、着物を着せたり、湯浴みさせたり、ともかく身の回りの世話をした。

 失敗したり、間違えたりしながらも薊さんはいつも丁寧にどうすべきか示してくれる。

 共に過ごす日々を幾日も重ねた。

 私がここに訪れた暖かな春も過ぎて、夏も秋も冬も巡り、再び春が訪れた。

 私は薊とさんといることで、かけがえのない大切なものをたくさん手にしたような気がする。

 彼女の側にいれば安らぎがあり、幸せな気持ちでいられる。

 最近は一緒に野山にでかけたり花を見に行くことがある。

 二人でどこかへ出かけるのはとても楽しい。

 今日は屋敷の近くの岩場に来ていた。

 人間が登るのには向かない岩場だったけれど、薊さんは私を軽々と肩に担ぎ上げて登ってしまった。

 こういう時に、薊さんは人ではないのだと実感する。

 岩場の上から青空に浮かぶ白い月が見えた。

 二人で並んで座り、空の移ろいを眺める。

 空ばかり見ていてうっかり薊さんの手に触れてしまって、慌てて引っ込めた。

 毎日毎日薊さんのお世話をしているというのに、最近少し触れただけでも鼓動が早くなり止まらなくなる。

 もっと触れたいという気持ちがあるのに触れると胸がおかしくなる。

 以前は担ぎ上げられても抱き上げられても何ともなかったのに、さっき登ってくる時も何だか落ち着かなかったことは秘密だ。

 私はどこかおかしくなってしまった。

「最近のなずなは何か変ね」

 薊さんが私の顔を覗き込んでくる。

「そうですか、そんなことないですよ」

「何で目を逸らすの?」

「な、なんとなく」

 目が合うだけでもそわそわしてしまう。

 薊さんと一緒にいるうちに、彼女が人間でないことなど私にはどうでもよいことだった。

 日増しに好きという感情が増えていく。

 今まで誰かにこんな気持ちを持ったこともない。

 村の人たちは私を丁重に扱ってくれたけれど、それは生け贄だったからでこんな感情は芽生えなかった。

 すごく大切で大好きでずっと永遠に一緒にいたい、彼女に触れたいという気持ち。

 これが家族というものなのだろうか?

 私には家族がいなかったからいくら考えても分からなかった。



 夜になり、同じしとねで寝る。

 他に寝る場所がないのでいつも薊さんと寝ているわけだけど、私はなるべく隅っこによって寝るようにしている。

 会った頃に薊さんの腕の中で心地よく眠っていたことが嘘のようだ。

 今だって私は薊さんにもっと近づいて触れたいと思っているのに、何故か素直にそうできなくなってしまった。

「ねぇ、なずな、私のことが怖くなったの?」

 背中の向こうから薊さんが語りかける。

「まさか、そんなことないですよ。薊さんのことを怖いと思ったことはないです。……村にいた時にみんな私に笑顔で話しかけるんですけど、目が笑ってないんですよ。誰も。あれに比べたら全然怖くないです」

「その割には最近くっついて来ないけれど…」

 私が急に薊さんに対して変わってしまったことを話したらどう思われるんだろうか。

 もしかしたら解決するのだろうか。

 薊さんの方へ向き直ろうとしたら、身体に腕を回されて引き寄せられた。

「…あの…薊さん…」

「ここからは逃げられないって分かってる? なずなはもう鬼みたいなものよ。人の世界に戻っても不幸になるだけ」

「…今更、帰る場所なんてないですよ」

 私が帰る場所は、薊さんだけ。

「そう。なずながいるのはここしかないの」

 その日は久しぶりに薊さんの腕の中で眠った。

 相変わらず胸はおかしいのに、とても温かくてやはり薊さんといることが私の幸せだと実感する。




 今日は早くに目が覚めたので湖の畔まで歩きに来た。

 そこには見慣れた小舟が乗り上げていた。

 きっと私のような生け贄が流されてきたのだ。

 中を見ても生け贄らしき人間はいない。

 どこかに逃げたのだろうか。

 この生け贄が見つかったらどうなるか。

 薊さんに食べられてしまうのか。

 でも、もし、私みたいに従者になったらと考えると嫌で嫌でたまらなかった。

 新しい生け贄が薊さんに気に入られたら、私は捨てられてしまうのかもしれない。

 もう薊さんに優しくしてもらえないことを想像したら目から次々と涙が零れ落ちた。

 あの居心地の良い腕の中でもう眠れないのは嫌だ。

 薊さんが私を優しく撫でてくれることもなくなってしまうなんて耐えられない。

「なずな、何をしてるの?」

 薊さんがこちらへやって来る。

 見つかる前に舟を沖に流してしまえばよかったと後悔した。

「……生け贄が…来たみたいですよ…。乗ってませんでしたけど…」

 私は泣いてることがばれないように背を向けて、指で涙を拭った。

「見てなずな、これ。生け贄を縛ってた紐。どうやら逃げてしまったみたいね。久しぶりに人の血が飲めると思ったのに残念。ところでなずなは何故泣いてるのかしら?」

 隠したつもりだったのに薊さんには分かってしまったらしい。

「…泣いて…ないです…」

「そんなあからさまに泣いてましたみたいな声で言われても説得力がないのだけど」

 私は薊さんに引っ張られて抱き締められた。

「泣いてる理由を言いなさい。私に隠していいと思ってるの?」

 強い口調で言われて素直に白状することにした。

 大好きな薊さんに隠し事はいけないはずだ。

「薊さん…、私以外の生け贄を従者にしてほしくないです」

「どうして? 私はあなた以外の人間を従者にするつもりはないけど」

「分からない…分からないけど薊さんが私だけを大切にしてくれたらいいのにって…さっきあの舟を見て思いました。もし新しい生け贄が薊さんと私みたいになったらと考えるだけで辛いんです。ずっと薊さんと一緒にいたくて、触れたくて、でも側にいると胸が締め付けられるみたいで苦しいんです。苦しくなったり、でも薊さんに優しくされるとすごく嬉しくて幸せな気持ちになるし、どうしていいのか分からなくなる」

「何でそうなると思う?」

 薊さんは優しく私の頭を撫でてくれる。

「分からないです」

「なずなって本当に変な娘ね。私に恋するなんて」

「コイ?」

 初めて聞いた言葉だった。鬼が使う言葉なのだろうか。

「私は薊さんにコイをしてるんですか?」

「多分ね。生け贄のあなたには必要のないことだったから、教えられないまま生きてきたのね」

「私が薊さんにコイをするのはいけないことですか? だから胸が苦しくなるんですか?」

「いけなくはないわよ。私もなずなに恋しているから」

 私にはその「コイ」というものがさっぱり分からない。

 でも薊さんもしてもよいと言っている。

「でも薊さんまでそのコイをしていたら苦しくならないですか?」

「お互いに恋したら、なずなは苦しくなくなるかも」

「そういうものなんですか?」

「ええ、きっと」

 薊さんは私の頬を両手で包むと顔をよせて唇と唇を触れ合わせた。

 今までしたことがない触れ方だったけど、何故かとても幸せなような、特別なことに思えた。

「なずなの苦しい気持ちが全部なくなるように恋がどんなものかこれから教えてあげるから、楽しみにしてなさい」

「はい」

 私は薊さんの腕の中で最初に会った頃のような心地よさを感じて、しばらく彼女の腕の中で幸せに浸っていた。


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