第15話 殺した男の顔

 かち割れて脳みそが飛び出た頭部を、色鉛筆を使って描いている。髪の毛一本一本から、血の光沢まで、図書館やインターネットで入手した資料を片手に、細部までリアリスティックに書き込む。


「美華、その男ちゃんと殺した方がいいんじゃない?」


 今でも公園でおそわれた時のことを夢に見てうなされる時がある、とあきらに告白したら、あきらにそう言われたのだ。


「本当に殺るんじゃないよ。比喩ひゆだからね。メタファー。」とあきらは付け加える。


「トラウマを絵だとか文だとかに昇華しょうかすると、克服しやすいかもよ。」ということらしい。


 あきらは別にセラピストでもないし、適当に思いついただけのアイディアだけど、なんとなくやってみようかなと思って始めてみたら、意外と効果的なのである。私を襲った男の、死に顔を絵にするということが。


 トラウマが本当に克服されるかどうかはまだ分からないけれど、描いている間は写経でもしているように(写経なんかしたことないけど)心が安らぐのだ。夢にうなされることもだいぶ無くなってきたので、コツコツと続けている。もうすぐ完成しそうだ。


 もうすぐ完成しそうな理由はもう一つある。あきらと会う回数が減り、あまり他にやることがないからだ。あきらは、伊藤博康いとうやすひろくんという、映画鑑賞サークルで知り合った彼氏ができてからというもの、あまりウチに来なくなってしまった。それまでは、バイトの合間をぬって三日と空けずに来ていたし、週に一度は泊まっていた。なのに今は、週に一回アパートに来て、鬼のように掃除と洗濯と買い出しとご飯の作り置きを手伝ってから(正確には私があきらを手伝うのだけれど)、夜にはいそいそと彼氏のところへ行ってしまう。


 女友達というのは、かのように薄情で現金なものなのだ、と開き直ったあきらから教えてもらった。それでも、週一で家事をしにやってくるのだからありがたく思え、とも言われた。ごもっともである。


「そのうちフラれたら、またこっちに来る頻度も増えるよ。」と不吉なことを言っていたが、今のところうまくいっているようだ。恋をしてなんだか艶っぽくなったあきらが、少し不気味ではあるが、幸せそうでなによりだ。


 私の方はというと、バイトをするのも億劫おっくうで、仕送りだけではあまり浪費もできないので、毎日コツコツ絵を描くだけの地味な生活を送っている。


「柏木さんは、とりあえず量をこなせば芽が出ると思う。」との吉永教授に激励げきれいされてから、せっせと絵を描きまくっている。「私に見込みがあると思ってくれている」と思って嬉しかったのだが、後で同じ言葉を複数の違う生徒に言っているのを耳にした。


 描いても描いても、先生たちからの評価は厳しい。可もなく不可もなく。たまに、もう辞めてしまおうかと思うことがなくもないが、かといって他にすることもない。


 ふと、この死んだ男の顔の絵を提出してみようかという気になった。はからずも一番時間をかけた絵だ。リアリティーを追求するため何回も描き直し、だいぶ満足できる感じに仕上がってきている。アートを教える先生なのだから、死んだ顔の一つや二つ、驚きやしないだろう。



 死んだ男の絵が完成し、吉永教授に見せてみたら、思いのほか好評だった。


「パワーがあるわね。」と言われ、細部の描写の正確さなどもめられた。他の生徒たちにも見せ、ちょうど通りかかった彫刻担当の教授にも見せていた。「インパクトあるなぁ。まるで生きてるみたいだ。あ、死んでるのか。あっはっは。」とわけのわからないことを言って去って行った。

 

 みんなの注目を集め、しかもそれが死んだ男の顔の絵なので、嬉しくも居たたまれない気持ちで、私は授業を終えた。


 家に帰る途中、死んだ男の絵を教室のイーゼルに置いたままにしていたことに気づいた。もうすぐ夕方になる時間帯だ。忘れた絵を取りに教室に戻ると、私の絵を置いたイーゼルの前に誰かが立っていた。一星くんだった。

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