第7話 屋上の救世主

 翌日の早朝、私は学校の屋上にいた。


 あれからシャワーを出た私は、パジャマに着替えた後、血の付いた服を全部、脱衣所にある洗濯機に入れてスイッチを入れた。母に見られないように急いで部屋へ戻ると、ベッドに潜り込んだ。母が部屋をノックしてドアを少し開けたが、私が「頭が痛い。」とベッドから伝えると、ぶつぶつ言いながらもドアを閉めて去ってくれたのでほっとした。


 朝、まだ暗いうちに私は制服に着替え、一万円札を母の財布から抜き取り、皆がまだ起きる前に家を出た。近くのコンビニで大きめのマスクと痛み止めとペットボトルの水、それからおにぎりを買った。私の顔を見るなり、コンビニの店員が怪訝な顔をしたので肝が冷えたが、「ありがとうございました。」とマニュアル通りの挨拶しかされずにほっとした。


 未成年の私が怪我をした顔で、学校にも行かずにぶらぶらしていては、すぐに人目を引いてしまう。私はマスクを着けて学校へ向かった。教室に入るわけも行かず、屋上に登った。屋上のコンクリートの上に座ると、私は痛み止めを飲んだ。口を開けるだけで顔の下半分全体が痛かった。頰や目は腫れているが、骨は折れていないようだ。昨夜からろくに食べていないので、おにぎりを食べようかと思ったが、食欲が全くなかった。


 私は屋上のコンクリートの上に仰向けになった。きれいな青空が広がっていて、(雨じゃなくてよかった)と私は思った。私はそのまま雲が形を変え流れていく様子をぼんやりと見ていた。


 どのくらいそうしていたのだろう。足音がしたので私は上体を起こした。松岡くんだった。私を見るなり、ちっと舌打ちをしてその場を去ろうとしたので、私は慌てて「待って。」と声を出した。そしてその時、私は松岡くんに会いたくて屋上に来たのかもしれないと思った。


「私、もう行くところだから、松岡くんはここにいてよ。」と言って私は立ち上がった。屋上を去った後に行くあてなどなかったが、そうする以外に思い浮かばなかった。


 私が立ち去ろうとすると「ひでえ顔だな。」と松岡くんが言った。


 私はびっくりして松岡くんの顔を見る。そんなふうに声をかけてくれるなんて予想していなかった。


 松岡くんは「どうしたんだ?」と事情を聞いたりするようなことはなく、ただ黙って仏頂面で私を見ている。


「私、人を殺したかもしれない。」つるりと言葉が滑りでた。その途端、涙が出てきた。怖くて、誰かに相談したかったのに、私には一人も本当のことを言える人がいなかった。誰でもよかった。松岡くんなら聞いてくれそうな気がした。藁にもすがる思いだった。


 私は、何も言わない松岡くんに対して、一方的に話した。通りすがりの男に襲われたこと。殴られたこと。レンガを頭に叩きつけたこと。その男が死んだかもしれないこと。


「どうしよう。」と私は泣いて、顔を手で覆ってその場にしゃがみこんだ。(誰か、助けて。)と心の中で懇願した。(松岡くんが、どうか、私をここに置いて去ってしまいませんように。)と祈った。彼にさえ見捨てられたら、本当にどうしていいのかわからなかった。


「レンガ、両手で持ったのか?それとも片手か?」と松岡くんが口を開いた。


 私は顔を覆っていた手をどけ、顔をあげて松岡くんを見た。質問の意図は掴めなかったが、私の話を聞いていたくれたことに心から安堵した。


「片手。」と私はしゃくりあげながら答えた。


「片手で持てるような重さのレンガじゃ、死なねぇよ。」と松岡くんが言った。


 そうだろうか。なんの根拠もない。あれだけ流血していたのだ。死んでいてもおかしくないと思った。もしかして、安心させようと適当なことを言ってくれているのだろうか。


「俺が殴って顔ボッコボコにしたやつは、気絶したけど死ななかったぜ。」と松岡くんが続けた。


 死ななかったけど、きっとひどいことになったに違いない。そのせいで鑑別所に入れられたのかな、とぼんやりと思った。それより、今までまともに口も聞いたことがなかった松岡くんが、私を慰めてくれているのがわかって驚いていた。


「それに」と松岡くんが続けた。


「あの商店街の近くの公園だろ?あんなところに死体があったら、いくらなんでも大騒ぎになるんじゃねぇか?」


 そう松岡くんに言われて、なんでそんな簡単なことに気づかなかったのだろうと自分で自分に驚いた。


「今から公園に一緒に行ってくれない?」と私が言うと、松岡くんは眉根を寄せた。


「お願い。」まっすぐに松岡くんの目を見て懇願すると、松岡くんは「しょうがねぇな。」とボソリと言った。

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