へんてこのまち

@yukkurisensei

第1話

名前の分からない鳥が青空を飛んでいる。太陽は優しく大地を照らし、適度に暖かい地表ではいつもより少しゆっくり時間が動いているような気がする。

絶好のサボり日和だ。こんな時に仕事するのは社畜か馬鹿か変人と相場が決まっている。僕は急いで外に出ると、住居を兼ねた探偵事務所の看板をCLOSEDに変えた。

外の新鮮な空気は気分をリフレッシュさせる。ちょうど事務所の黴臭さには辟易としていたところだ。さてどこに行こう、と考えた時には僕の足は時計屋に向かっていた。

我が探偵事務所から西に歩いて30秒。赤い屋根の随分古びた2階建ての建物が時計屋だ。

これまたオンボロの看板が表にかかっている。

『時計屋 安本丹(あんぽんたん)』

恐らくこの看板がなければ店であることにすら誰も気づかないだろう。

「邪魔するよー」

店に入ると奥のカウンターにいた安本丹さんが新聞から顔を上げた。

「なんだ、お前か。何の用だ」

「お客に向かってそんな態度よくないと思うよ」

「何か買うまでお前は客じゃねぇ」

「非道いなぁ。それじゃあいつまでもお客になれないじゃん」

そんなことを言いながら、安本丹さんの新聞を覗き込む。

「それよりさ、なんか面白い記事なかった」

安本丹さんは疎ましそうにこちらに目をやる。

「わざわざ俺の新聞を読まなくたってよ、自分のとこの見りゃ良いじゃねぇか」

「あんなの格好つけて買ってるだけさ。活字をなぞるより、君から聞いた方がよっぽど楽しいよ」

「そんなもんかね」

また新聞に目を落とすと、安本丹さんはペラペラと紙を数枚捲る。

「探偵さんよ、今日は何日だ」

「3月の1日だろ」

「それじゃあ、昨日は」

「決まってる。2月28日だ」

「残念、今年は閏年だぜ」

「じゃあ、29日」

「それじゃあ聞くが」

一呼吸置いて、なにか格好いい台詞を言うように僕に質問を重ねる。

「2月29日、つまり昨日あんた何してた」

「…あれ」

おかしい。僕の記憶では昨晩布団に入る時、愛用の日めくりカレンダーは28日を示していた。そして起きて今朝になって…

「何してたっけ…僕」

「町中みんなそうらしいぞ」

「うそ、町の人みんな2月29日の記憶が無いの」

「新聞によればな。現に俺の記憶にもない」

町中の人から記憶を消す、そんなことどうやって…思いつくのは集団催眠くらいだ。でも記憶が消える催眠なんて聞いたことないぞ…

などとブツブツ考えていると安本丹さんは続けた。

「それともうひとつ」

「まだあるの」

「この店の時計を見てなにか思わないか」

ぐるっと辺りを見渡す。壁やショーケースにはたくさんの時計が並んでいる。大きいの小さいの、赤いの青いの黄色いの…

「いつも通りだけど」

「本当にそうか?よく見てみろ」

今度はじーっと辺りを見渡す。壁やショーケースにはたくさんの時計が並んでいる。壁掛け時計に腕時計、懐中時計や鳩時計…

「あ」

秒針がない。この前まで殆どの時計に確かにあったはずの秒針が。

「秒針取ったの」

「俺じゃない。今朝起きたら全部無くなってた」

「なのに呑気に新聞なんか呼んでたの。修理しなよ」

「動いてんだから問題ねぇ。俺の時計は秒針引っこ抜かれたくらいじゃ壊れねぇよ。だがな、どうやらこの店の時計だけじゃないらしい」

「どういうこと?」

「何人かに聞いたら全員の店や家の時計から秒針が無くなってるんだと。恐らく町中の時計がそうだろう。探偵さんとこの時計もだろ」

「知らない。時計なんか見ないもん」

安本丹さんは随分呆れた顔をした。口から零れた溜息に首を絞められるようで少し嫌な気分になる。

「僕の事務所は、僕が起きてから疲れるまでが営業時間なの」

「ならいっそ時計なんか外したらどうだ」

「何言ってんの。時計外したら事務所っぽくない」

「そんな理由で時計買ったのか」

「寧ろそれ以外で時計買う理由あるの」

「…ないのか」

安本丹さんは開いた口がなかなか塞がらないようだが、この町では時間なんか気にする人の方が少数派だろう。

それにしても、奇怪で奇妙で奇天烈な事件だ。町民から2月29日の記憶が消え、その間に町中の時計から秒針が消えた。この2つの事件、たまたま同じ日に起こったなんて考えにくい。つまり犯人は1人だろう。根拠は無いけれど。誰かが秒針を盗み、そして町民から記憶を消した。あまりに不思議な事件だ。こんな難事件に出会えるのは久しぶりで、気分が高揚してくる。脳みそは回転を始め胸は踊る。

「…どうした、探偵さん。随分楽しそうだな」

「楽しいからね。ちょっと他の人の話聞いてくるよ。この事件、僕が解決してみせる」

キメ顔で気取ったポーズをとる。だが安本丹さんは苦虫でも噛み潰したみたいな顔だ。

「考えてもみろ。この町で一番時計のことを気にかけている俺ですらこの事件を気にしてないんだぜ。他の連中なんて尚更だろうよ」

少し考えてみる。一理ある。確かに誰も興味を持っていない可能性も十分に有り得る。だけど、だけど、だけど、

「だけど、居なくなっても問題ないなら居なくていいなんて、そんなの」

僕は自然と少し寂しい顔になってしまう。

「この町の人達みたいじゃないか」

時計屋を出る時、ふと見ると安本丹さんはなんだか悲しい目をしていた。

外に出ると眩しくて、でもついつい空を見上げてしまう。名前の分からない鳥は、いつの間にかどこかへ飛んで行ってしまった。

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