第7話 潜入 その六

 *


(青蘭ッ?)


 龍郎の錯覚だろうか?

 今、一瞬、助けを呼ぶ青蘭の声が聞こえた気がした。


「龍郎。こっちだ!」


 神父が踊り場から廊下へかけこむ。


「でも、最上階へ行くんでしょ?」

「反対側にも階段がある。それに、こうなれば防犯カメラに映るのはしかたない。エレベーターで移動しよう」

「そうですね」


 幸い、まだ廊下に蛇はいなかった。階段の上下からスルスルと這って、龍郎たちのあとを的確に追ってはくるが、はさみうちにされることだけは、なんとかさけられた。


「ここ、何階ですか?」

「十七階かな」

「最上階って?」

「三十五階」

「まだまだじゃないですか」

「だからエレベーターに乗るんだろ」


 神父のあとを追ってかどをまがると、そのさきにエレベーターの昇降口があった。急いで上昇ボタンを押す。

 今のところ追っ手の姿はない。


 ひらいたドアのなかへとびこむ。

 神父が三十五階のボタンを押した。

 エレベーターが音もなく、すっと上がる。

 しかし、なんだろうか。ものの数秒もすると変な振動が感じられた。雨に打たれてでもいるように、トントンと、天井を何かが叩く。


「フレデリックさん……」

「ああ」


 イヤな予感は的中した。

 ひときわ大きな衝撃があったと思うと、見あげる龍郎たちの前で、天井の点検孔のふたが、ズルッとよこにズレた。ひらいたスキマから、大蛇のかま首がヌルッと入りこんでくる。


「うわッ。来た!」


 大蛇が迫る。

 動物園からでも逃げだしてきたのだろうか? アミメニシキヘビだ。毒はない。だが首を絞めつけられれば確実に死ぬ。


 龍郎は急いで停止用のボタンを上から順に押していった。停止したのは三十二階だ。

 ドアがまだ完全にひらく前に、むりやり体をねじこむようにして外へ這いだした。


「龍郎。こっちだ」


 神父は各階の構造を完璧に暗記しているらしい。ためらいなく暗い廊下のさきを示す。


 だが、階段にたどりついたときには、すでにそこも蛇で埋めつくされていた。マムシやハブはともかく、日本にはいないはずのガラガラヘビもいる。東京じゅうの蛇が今ここにいるんじゃないだろうか。この調子だと近隣から始まって、しだいに遠くの蛇までが、ここをめざして集まってくる。


「どうしたらいいんですか? あと三階。エレベーターも階段も使えないとなると」

「私一人なら外の壁をよじのぼってでも進める。だが、君はそんなことできないだろ?」

「…………」


 さっきのように雨どいを使って、のぼれないことはないかもしれない。しかし、地上三十二階だ。落ちたら命はない。はたして、できるだろうか。


「……いいです。やります。青蘭のためだ」


 ここで立ちどまっていても、いずれは蛇の大群が押しよせてくる。どっちみち、危険を回避できないのなら、進むしかない。


 龍郎が決意を述べると、神父は嘆息した。


「君のそういうところがムカつくんだ。クズなら遠慮なく奪えるんだが」


 とつぜん悪態をあびせてきたと思うと、神父は背中をむけた。手近なドアを解錠し、室内へ入る。窓のある部屋だ。外から月明かりがさしこんでいた。神父が窓の外を示す。


「来い。壁よりはいくらかマシだろう」


 窓の外に非常階段が見えていた。上部に階段の裏側がある。とびあがれば、ギリギリで手が届く。そこから柵にとびついて、よじのぼらなければならないが、それでも、足がかりの少ない壁に張りついてあがっていくよりは、まともな道と言える。


「フレデリックさん。おれを試したんですか?」

「グダグダ言ってないで、行くぞ。ボーイ」

「おれはボーイじゃない」


 文句を言っても、神父はもう聞いていない。さっさと非常階段の下側にとびついている。スパイダーマンみたいにカッコよく、スルスルとのぼって非常階段の上に立った。


 龍郎も負けてはいられないので、見よう見まねで窓枠を足場に跳躍した。危うく手がすべりそうになりながら、どうにかぶらさがった。落ちたら全身の骨が粉々だから、あとはもう必死だ。


(急がないと。青蘭が危険だ。助けを求めてる)


 青蘭のことを思えば、どこからか力が湧いてくる。

 五分後、龍郎も非常階段の上で荒い呼吸をついていた。

 神父はねぎらうこともなく、無言で階段をかけあがっていく。

 龍郎も追った。


 最上階に一ヶ所だけ明かりがついている。あそこに青蘭がいると龍郎は直感した。


「フレデリックさん。あの窓に侵入できないだろうか?」

「階段の位置から言って難しいな。それに最上階の窓はすべて防弾ガラスのようだ。外から割ることはできないだろう」

「じゃあ、どこから? 急がないと、青蘭が……」


 さっきから胸の奥がやけにザワザワする。内臓をひきちぎられていくような痛みと不快感がやまない。

 青蘭の身に何か起きている。

 苦痛の玉と快楽の玉の共鳴を通して、それが伝わってくるのだ。


「まあ、落ちつけ。ここからなら、そう時間はかからない」


 光の窓の下、手が届きそうなほど近くを通りながら、非常階段は遠ざかっていく。しかたなく、階段をかけあがった。


 最上段に到達すると、鉄の扉が待ちかまえていた。が、神父が何やらふところから針金のようなものを出してカチャカチャやると、あっけなくひらく。やっぱり泥棒の技も必要だと痛感する。


「こっちだ。あの気配もする」


 そう。たしかに異様な気配がある。

 が、それにはどこか覚えがあった。

 何度も言葉をかわしたことがある。

 アンドロマリウス……のような?

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