第5話 天空の悪魔

第5話 天空の悪魔 その一



 インスマス人と化した綾子は髪ひとすじ残さず、苦痛の玉の力で抹消された。おそらく、世間的にはこのまま失踪という形になるだろう。


 依頼人は失神したが、そのほうがよかった。意識をとりもどしたとき、自衛本能で、さきほど見たものを夢だと信じたようだから。


「……綾子、いませんね。やっぱり行方不明になったんでしょうか。わたし、変なものを……いえ、夢ですね」


 邪神によって友達が化け物に作りかえられてしまったなんてことを、一般人に自認させるのは酷だ。忘れたほうが本人のためだろう。


「あなたの会社は、やはり何かを隠しています。偵察に行く必要がありますね。明日、あらためて乗りこむ形でいいですか?」

「はい。お願い……します」


 まだ三時前だ。

 いちおう、同じマンション内の井森や他の辞職者の部屋を訪ねてみたが、誰一人として応答はなかった。

 綾子は比較的最近まで働いていた。

 それよりも以前に会社を辞めた者たちは、とっくにインスマス化していると考えられる。


(ふつうなら会社を辞めた人をいつまでも社員寮に入れておくはずがない。人目をはばかる変容をとげる人たちを一堂に集めておいて、完全に奉仕種族になるまで会社で管理するために、居住をゆるしてるんだ)


 つまり、ここは奉仕種族の牧場だ。

 従順な奴隷を無限に作り続ける。

 高額の給料は、素材としての人間を確保するエサなのだ。


「天野さん。もしも会社から支給された化粧品があれば、今後は使わないでください」

「わかりました」

「じゃあ、おれと青蘭は明日、客として会社に乗りこんでみます。天野さんは無関係を装っていてください」

「はい」


 そう打ちあわせをして、その日は別れた。


「まだ昼間だな。時間があいてしまった。どうする? 青蘭」


 青蘭は龍郎と二人きりになれたことが嬉しくてしかたないようだ。人通りの多い路上のまんなかで、腕をからめてピッタリよりそってくる。

 龍郎はあわてたが、まあ、ここは東京だ。このていどのことを気にする人はいないだろう。


「どっか行こうか?」

「うん」

「どこがいい?」

「龍郎さんといっしょなら、どこでも」


 どこでもと言われると迷うものの、やはり東京と言えば乱立するビルと夜景かなと龍郎は思った。


「スカイツリー行ってみようか? あそこなら夜景も見れるだろうし」

「ふうん」


 ネットで調べると、住所は墨田区。周辺に水族館もあるし、夜まで時間をつぶすことはいくらでもできそうだ。

 広大で複雑な東京駅構内を思うと迷わずに行く自信はなかった。素直に手をあげて、タクシーをひろう。


「スカイツリーまで——いや、さきに水族館かな。すみだ水族館の前まで行ってください」


 タクシードライバーは無言で発車する。流れる車外の風景を、文字どおり雑踏だなと思いつつながめる。

 こんな形で外野をふりきって二人でデートできるなんて思っていなかったので、なんだか逃避行みたいでワクワクする。


「そう言えば、フレデリックさん、どこ行ったんだろうね。喫茶店のあと、姿を見ないな」

「どうでもいいよ。気をきかせてくれたんじゃないの?」


 デートのジャマをすることはあっても、気をきかせてくれるような人物ではないのだが、おかげで二人になれたのだからよしとすべきか。


(もしかしたら、ナイアルラトホテップに何か見せられたせいじゃないかな。そのことが気になって調べに行ったとか?)


 とは思ったが、今この瞬間だけはデートを楽しもうと考えなおす。


 タクシーのなかからも、しだいに近づいてくるその建造物に気づいた。

 さすがに目立つ。

 ガラス細工のような硬質の網目模様。

 真っ白な鉄骨の巨塔。

 周辺のビル群が小人に見える。


「つきましたよ。お客さん」


 水族館の前と言ったから、変な場所でおろされたら、また迷うと思ったが、問題なかった。すぐとなりだ。いやでも鉄塔が視界に入る。

 料金を払ってタクシーをおりた。


「前に水族館、行ったよね。シロイルカがいた」

「ああ。地元のやつね」

「鳥も見たね」

「フォーゲルパークね」


 県内のデートスポットはだいたい網羅もうらした。たまには遠くの街で知らない場所へ行くのもいい。

 なんとなく気分が盛りあがっていく。

 手をにぎりあってエスカレーターに乗り、水族館のある五階へ行った。


 水族館のなかは照明が暗く、カラフルな魚や、幻想的なクラゲや、マゼランペンギンや、ウミガメがいた。


 巣穴から顔を出すチンアナゴを見て、青蘭がクスクス笑うのは、エッチな妄想をしているせいに違いない。

 なぜなら、にぎりしめた青蘭の手から、快楽の玉の鼓動が聞こえる。青蘭が高揚しているからだ。


「今夜、あの巣箱に帰らないとダメ? いいことできないな」と、青蘭は色っぽく微笑む。


「依頼人の会社に近いから、明日のためには、あそこがいいよ」

「ん? 待って。タワーマンションじゃないけど、たしか文京区にもおじいさま譲りの不動産があった」

「そうなんだ?」

「あとで佐竹に電話かけて聞いてみよう。鍵はあいつの事務所に置いてあるはず」


 タワーマンションではないにしても、アンドロマリウスの遺産なら、それなりの物件だろう。ハトの巣箱よりは、そっちのほうがいいかもしれない。


「じゃあ、あとで荷物とりに行こう。着替えがないと」

「そうだね」


 ペンギンを見ながらカフェで一休みしたあと、いよいよ本命の電波塔へ行く。そろそろ夕刻だ。西日がまぶしい。

 四階のチケット売り場に来たとき、龍郎は変な感じがした。すぐそばに何かいるような。

 だが、この街には悪魔が多すぎる。

 建物のなかなのか、外なのか、断言できなかった。

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