第4話 化粧 その三



 キャリーケースがジャマなので、さきに予約したホテルにチェックインし、荷物を置いた。カプセルホテルの形式になっていて、荷物はフロントで預ける。


「僕、こんなとこで寝れるかな……」

「うーん。二人いっしょに入れるベッドのサイズじゃないな。でも、すぐ下がおれだから」

「うん……」


 廊下に巣箱がならんだような簡易ホテルの寝室を見て、くじけそうな青蘭を励まし、ホテルの外で待っているタクシーへと急ぐ。

 タクシーで移動しているあいだは無言だ。ドライバーも目的地を聞いたあとは口をひらかない。


「ここでいいです」と、やよいが言ったのは、見あげるほど高いビルのまん前。


「ここの何階ですか?」

「綾子の部屋は三十階です。抽選で当選した部屋は全部購入したみたいですよ」

「ふうん。製薬会社ってそんなに儲かるのか」


 やよいの沈黙が決してそんなわけがないと示している。そう。どう考えても異常な状態だ。社の幹部でひじょうに功績のあった人物なら特別待遇もあるかもしれないが、たかがマーケティングの下っぱに、そこまで資本をかけるなんて企業としておかしい。


 とにかく、潜入調査だ。

 出入口の玄関は、やよいの生体認証で入れた。すでに転居予定の社員だから、先日、前もって登録したのだという。


「ああ……さっきのホテルより広いホール。内装もちゃんとしてるし、僕、こっちに泊まりたいな」と、スタイリッシュな玄関ホールを見て、青蘭がぼやく。


「しょうがないよ。青蘭。ユースホステルみたいなとこのほうがよかったかな。相部屋を二人でとれば安くてすむし」

「あっ。そう言えば、売却してないおじいさまの不動産のなかに、東京のマンションもあった気がする。タワーマンションの最上階をワンフロア買いきったやつ。あれ、何区だったかなぁ。東京にはいくつか不動産があるんだけど、僕、一度も行ったことないんですよね」

「…………」


 やっぱり桁外れの大金持ちだ。

 魔王が何千万年も貯蓄してきた財産なんだから、当然と言えば当然なのかもしれない。むしろ数兆円では少ない気がした。どこかの無人島に埋蔵した金銀財宝がザックザク隠してあっても不思議はない。


 高級ホテルのような広いホールをよこぎり、エレベーターに乗りこむ。

 エレベーターは音もなく上昇し、ものの数秒で三十階に到達する。

 スッとドアがひらく。

 廊下は無人だ。


「綾子の部屋はこっちです」


 やよいがさきに立って歩いていく。

 シックな色調だが、ここも高級感を感じる。最初の佐竹法律事務所とはくらべものにならないほど天井が高く、床には足音を吸収する絨毯が敷きつめられていた。ドアの数が少ないということは、一室の間取りが広いのだろう。


 角を一度まがったあと、二つめのドアの前で、やよいが立ちどまる。

「ここです」と、ささやく。

 さらには、「あのななめ前の部屋は、綾子の前に辞めた井森さんの部屋です」

「そっちもあとで行ってみましょう。とりあえず、お友達を呼びだしていただけますか?」


 やよいはうなずき、呼び鈴を押した。

 反応はない。

 防音がしっかりしているからか、なかに人がいる気配は感じられない。ほんとに綾子は在宅しているのだろうか?


「なかからあけてもらわないと、部屋に入ることはできないんですか?」

「そうです」


 それはまあ、そうでなければセキュリティの意味がない。

 しかし、ここまで来たのに何もしないで帰ることはできない。

 龍郎はいかにも頑丈そうな鉄の扉をこぶしで叩いた。


「あや……えーと——」

「綾子の名字は石塚です」

 やよいに言われ、

「石塚さん。ご在宅ですか? おられたらお返事してください。お友達の天野さんが心配されていますよ」


 名前を呼んで声をかけてみる。が、返事はない。あいかわらず無音だ。

 ほんとはとっくにこの部屋は転居されて無人なんじゃないかと思い始める。

 しかし、あきらめきれず、もうひとことねばってみた。


「石塚さん。何か困ったことがあれば、相談に乗りますよ。出てきて話を聞かせてもらえませんか?」


 すると、思いがけず、なかから鍵を外す音がした。ドアのすきまから人の顔がのぞく。長い髪をたらし、上目遣いにこっちを見る目つきが亡霊のようだ。


「わッ」と思わず声をあげて、龍郎はあとずさった。が、依頼人は逆にドアにとびついていく。


「綾子! 大丈夫だった? 急に会社辞めちゃって心配したよ。いったい、どうしたの?」


 どうやら亡霊ではなく、それが部屋のぬしであり、依頼人の友達の石塚綾子のようだ。あまりにも暗い印象があったが、ドアのすきまから見える室内が夜中のように真っ暗なせいだ。

 やよいが強引に入っていくので、龍郎たちも追った。部屋じゅうのカーテンが閉めきられている。どおりで暗い。


「ねえ、綾子。ぐあいが悪いの? 病院に行った? しんどいなら診てもらったほうがいいよ?」


 そう言いながら、やよいは窓辺により、カーテンをひらこうとする。

 とつぜん、綾子がギャーと奇声を発した。ビクッとして、やよいが止まる。


「あけないで。そこ、あけないで」

「ご……ごめんなさい。暗いかと思って。ね? どっか痛いとこある? それとも熱があるの?」


 やよいが友達の身を案じているのはわかる。しかし、グイグイ来られると、綾子は逆にかたくなになった。


「……平気。だから、帰って」


 追いかえそうとするので、龍郎は考えた。さっき、ドアがひらいたとき、自分が何を言ったのかを。たしか、困ったことがあれば相談に乗ると言った。つまり、態度はコレだが、綾子は内心、助けを求めているのではないだろうか。


 龍郎はやよいの肩に手を置き、ひきとめると、かわりに話しだす。


「石塚さん。八重咲探偵事務所の所員、本柳龍郎です。オカルトを専門にしています。もしもお困りのことがあればなんでも言ってみてください。通常ならありえないようなことでも、おれたちになら解決できるかもしれない」


 龍郎はこの部屋に入ったときから気になっていた。

 室内に微妙な匂いが漂っている。

 それは悪魔ではないが、悪魔に近い何かの匂いだった。


 魔法——

 そう。誰かが最近、使った魔術の残り香のような……。

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