第2話 首つり峠 その五



「わぁっ。迫力あるね。いかにも出そう」


 青蘭がはしゃいでいる。

 ふつうの感覚の持ちぬしなら、おじけづいて黙りこむところだ。


「このへんって、前に龍郎さんとドライブしたよね?」

「ドライブ? したっけ?」

「ほら。出会ってまもないころに」

「ああ……」


 兄を殺した義理の姉の足跡を追って、漁港を調査したときのことだ。あのときはトンネルを使うほうの道を通っている。

 ツライ事件だったのに、今になってみると懐かしい。青蘭がとなりにいるからだ。


「あれはドライブって言わないよ。今度あらためて行こう」

「うん」


 それにしても、昼なのにライトをつけないと見通しが悪い。左右から伸びほうだいの草が道路を遠慮なく侵食している。まがりくねった緑色のトンネルのなかを運転している気分だ。車一台がやっと通れる細さの上に、ひんぱんに急カーブがあり、サビの浮いたガードレールのむこうは、しばしば崖だ。危険きわまりない。


「まだまだかな? だんだん、鹿原さんの車が見えなくなってくる」


 廃道というのは、こんなにも薄気味悪いものなのか。

 これなら霊を信じない人でも、見たような気分になるかもしれない。

 カーブのさきにフラフラとよこぎる白いものは、鹿原の自動車だろうとは思うのだが。


 とつぜん、後部座席でグルルとうなり声がした。マルコシアスが起きてきている。


「どうしたんだ? マルコシアス」

「何かがあとを追ってくるぞ」

「ここはもう誰も使わないはずの旧道だけどなぁ」


 不気味なだけでなく、実質的に事故を誘う危険な道だ。好んで使う者はいないだろう。とすれば、龍郎たちを尾行していることになる。バックミラーをのぞいても車らしきものは見えない。


 とは言え、背後ばかり気にしていられなかった。龍郎は右に左にハンドルを切りながら、運転に集中する。

 ようやく、前方に停まる鹿原の自動車があった。道のまんなかをふさいでいるが、誰かのジャマをするとは思えない。


「ここから徒歩です」

「ずいぶん山のなかですね」

「ちょうど峠のまんなかあたりですよ。見晴らしはいいんですが」


 たしかに、木々のあいだから、ふもとの人家や田んぼが広々と眺望できた。しかし、それは人界から遠く離れていることを意味しているようで、うらがなしい。自殺の現場だと思うからだろうか。


「こっちです」


 鹿原は車を放置して、竹やぶのなかに入っていく。いや、よく見ると、その奥に人間一人がやっと通っていける道がある。


「……獣道ですか?」

「私道ですよ。ここね。以前はうちの実家があったんです。あまりにも不便だから、親父の代に町なかに土地を買って移住したんです」

「なるほど」

「住む人もいないから、そのまま、ほったらかしにしてるんですが、まだ、うちの所有地にはなってます。当時の家屋はとっくにつぶれてますが」


 自給自足ならいいが、仕事に行くにしても移動が大変だ。冬場は雪で埋もれるだろうし、快適な住まいとは言えない。利便性を求めて山をおりるのは時代の流れだ。


「お兄さんは、もとの実家があった場所だから、ここを選んだんでしょうか?」

「たぶん、そうなんでしょう。昔を懐かしんでってところですかね」


 草や木をよけながらなので、ほんの数メートル進むのに、かなりの時間を要した。やがて、茂みの奥に倒壊しかけた家屋が見える。古い木造建築で、屋根が完全に傾いている。


 今にもひしゃげそうな廃屋のとなりに、ひじょうに大きな木があった。


「あれ、柿の木ですか?」

「そうです。立派なもんでしょ? 子どものころは、むしって食ったもんです。甘くてね。美味いんですが、今は鳥のエサにでもなってるでしょうかね。猿や熊も来るだろうし」


 このへんの農家には自宅の敷地に柿の木が植えられているところは多い。ここ数年、豊作が続いているので、食べきれないで放置されている。ここは山中だから、動物たちのエサになるほうが、熊よけという意味でまだしも有意義だ。そのぶん、町中へ現れることが減る。


「この木で兄は首をくくっていたんです」


 鹿原の顔つきから、そうだろうなとは思っていた。

 それに、木の低い位置にある枝から黒い影がぶらさがってユラユラゆれている。輝の霊の本体は美輝に憑いているが、死に場所にも一部、彼の意識が残っているのだろう。


 鹿原は期待をこめた目で龍郎を見る。

「何かわかりますか?」


 そうは言われても、影はゆれているだけで語らない。

 ただ、なんとなく、この家の周辺に輝のものと思われる残留思念がまとわりついていた。


「……お兄さんはここに来たとき、このへんをウロウロしてたみたいですね」

「スコップを持ってるよ」と、青蘭が口をはさんだ。

 青蘭は龍郎より霊的なものに敏感なので、残留思念が映像的に見えるようだ。


「なんでスコップだろう? どっか掘ったのかな?」

「そこまではわかんないけど、廃墟の裏に入ってく」


 鹿原は考えこんだ。


「スコップ……そういえば、子どものころのことですが、兄と二人でタイムカプセルを埋めたような?」

「死ぬ前に思い出をあらためて感慨にふけりたかったんでしょうか。考えられないことはないですね。鹿原さん。その場所がどこだか覚えていますか?」

「いやぁ、当時、私は四歳かそこらで、小学あがる前ですよ。兄が全部やってくれたんで……裏庭だったことは確実ですけどねぇ」

「死ぬ前の行動でスコップを持ってた。関係ありそうですね。その場所を探してみましょう」


 そんな流れで、龍郎たちは倒れた建物をさけて、かつての裏庭だったあたりへ、ぞろぞろと歩いていく。今では荒れはてて、庭なのか山の一部なのかわからない。


「これ……桜ですか?」


 青々と葉の茂る桜の木があった。なかなか立派ではあるものの、大木というほどではない。ここ、三、四十年で植樹されたのではないかと思える。


 その木を見た瞬間に、鹿原は声をあげた。


「ああっ、ここだ。そうそう。あのころはまだ植えられたばっかりの小さな苗木でした。大人になるころにはこの木も成長してるだろうからって、ここに——」

「さっそく、掘りおこしましょう」


 そのときだ。

 とつぜん、背後に邪悪な気配を感じた。

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