第23話 車は飛んだら車じゃない
「次の角を紆余曲折するのです!」
「紆余曲折しちゃうの!?」
「間違えたのです! 右折するのです!」
うん、だよねだよねー。でも、スモモちゃんが紆余曲折するとこを見物するのも悪くないかなー、なんてね! あたしはそんなことを考えながら、窓もベランダもないマンションが建ち並ぶ住宅地をゆっくりと見回した。
ベージュ色のマンション、緑豊かな植え込み、眩しい初夏の日差し、色とりどりの全身タイツ、人の話し声、鳥の鳴き声、花の香り——。そういえば、世の中ってこんなにカラフルだったっけ。何もかもがモノトーンなムーン・ヘルとは大違いだ。
ちょうどこの辺りに、六百年ぐらい前まで横浜駅があったらしい。鉄道が消滅した今となってはただの住宅地、というわけだ。
”ただの”といっても、あたしにとっては超ハイテク住宅地なんだけどね。モニター式の窓、いつでも簡単に変更可能な間取り、大地震でも揺れない部屋……なんかもう、遠い未来の住居って感じがする。いや、実際、遠い未来なんだけどさ——
「危ないのです! また、はねられるのです!」
マンションを見上げながら歩いてたら、いきなりスモモちゃんに手を引っ張られた。……おお、ほんとだ! まっすぐ歩いてるつもりだったのに、いつの間にかまた車道に出かかってたよ。
この時代の車道を行き交っている自動運転車は本来、人と接触しそうになると瞬時に止まる。ただしそれは、そこに本当に人がいる場合の話。あたしたちは本当に横浜にいるわけではなく、実際のリアルタイム映像を利用した仮想空間にいるだけだから、車の方はあたしたちを認識することができないのだ。
この仮想空間では、今実際にこの場所に存在するものが本物と同じ重量や質感で再現されている。なので、走ってくる車にぶつかると当然吹っ飛ばされるというわけだ。バーチャルだから怪我をする心配はないけど、結構痛い。
ちなみに、唯一の例外として人間には触れないようになっているから、人にぶつかる心配だけはない。これは別に、ぶつからないようにという訳ではなく、相手に知られることなく痴漢行為に及ぶ事例が多発したためらしい。
「っていうかさー、ジムもそうだし、なんでバーチャルなのにわざわざ痛みを再現するわけ?」
「うにゅ? 知らなかったのですか? 人間は痛みを感じない世界に慣れてしまうと、危機回避能力が狂ってまともな生活が難しくなってしまうのです! なので、あえて痛みを感じるようにしているのです!」
「へぇー、そうだったんだぁー。って、スモモちゃん、もう放しても大丈夫だよ!」
ふと気づけば、さっき引っ張られた手がまだ握られていて、いつの間にか手を繋いだ状態になっていた。
「大丈夫じゃないのです! さっきので危うく四回目だったのです! 痛みをちゃんと感じるのに危機回避能力が致命的に狂っているサクさんには、私の保護が不可欠なのです!」
「なんか、ひどい言われようだねぇ……否定はできないけどさ」
「ごめんなさいなのです! でも、せっかくのレクリエーションデーなのに、これ以上痛い思いをしてほしくないのです! 痛みにのたうち回るサクさんを何度も見せられるこっちの身にもなってほしいのです!」
「ん……わかった。じゃあ、このままで!」
若干抵抗はあったけど、結局手を繋がれるがままにすることにした。これ以上心配させたくないし、あたしもできれば痛い思いはしたくないもんね。
レクリエーションデーっていうのは、あたしも二週間前に初めて存在を知ったんだけど、ムーン・ヘルで三カ月に一回実施されるイベントのこと。入所者全員が、「バーチャル仮釈放」「ジム使い放題」「PDエンタメ見放題」のどれかひとつを丸一日堪能できるのだ。
これだけ聞くと単なる温情のようにも聞こえるけど、ミラが言うには「退屈さによる発狂防止のため」らしいから笑えない。
あたしは最初、ミラと同じ「PDエンタメ見放題」を選ぶつもりだったんだけど、「サクさんに今の時代の街を案内したいのです! 一緒に来るのです!」とスモモちゃんに勧誘されて「バーチャル仮釈放」を選んだのだ。確かにあたしも、この時代の日本がどんな感じなのかちょっと興味があったしね。
ちなみに、クレアちゃんが選んだのはもちろん、「ジム使い放題」だ。なんかそれって普段と変わらない気もするけど、っていうか普段と変わらない気しかしないけど、本人がそれで満足しているのなら、まあいいのかな。
とまあそんな経緯で、スモモちゃんの出身地の横浜を案内してもらっているというわけだ。
「でもさー、なんで未だに車が地面を走ってるわけ? 空飛んでてくれたら、ぶつからないのにー」
「うにゅ? 車は飛んだら車じゃないのです! どうしてあれが飛ぶ必要があるのですか? 空を飛びたければ飛行機に乗ればいいのです!」
「いや、そうなんだけどさ、飛行機よりも簡単にふわっと浮いて移動できたりしないの? 未来の移動手段って、そんなイメージだったんだけど」
ほら、『フィフス・エレメント』に出てきたみたいなやつ! ……って言っても通じないだろうけどさ。ああ、そういえばあの映画のヒロイン女優ってミラじゃん! ……これも通じないだろうけどね。
「そういう移動手段も作ろうと思えば作れるはずですが、わざわざ飛ぶメリットがないのです! どうせ自動運転だから、飛んでようが地面を走ってようが一緒なのです!」
「でもさ、飛んだ方が速くない?」
「今の時代は、人間がそこまで急いで移動する必要性がほとんどないのです!」
「そっかぁ……」
確かに言われてみれば、やたら静かに行き交う車の大半は中型の貨物用車両だ。まあ、そりゃそうか。月にいる囚人と地球にいる弁護士が仮想空間で面談できる時代に、生身の人間がいちいち移動する必要性なんてあんまりないよね。
「それに、急ぎの場合や長距離の場合は転送で移動できるのです!」
「ああ、転送かぁ……。本当に日常的に使ってるんだね……」
「うにゅ? クレアさんに聞きましたが、もしかして身体が勝手に月に転送されたことを今でも気にしているのですか?」
「うん、まあ、多少ね。どうしても、本当の自分の身体じゃない気がするんだよね……」
まあ、単なる価値観の違いなんだろうけどさ……。
「なるほどなのです! では、ちょっと考えてみるのです! 今ここにいるバーチャルのサクさんは、サクさんではないのですか? 私は今、サクさんと一緒にいるのではないのですか?」
「え? えっと、中身は間違いなくあたしだよね? 身体はあたしが操作してるバーチャルだけど」
操作してるっていうか、中に入ってる感じだけどね。……うーん、それも違うかな? 中に入ってるっていうより、一体化してる感じ……?
「そうなのです! 実際の身体も、それと同じなのです!」
「んん? よく分かんないよ……?」
「ではたとえば、現実世界のサクさんが片腕を失って、その腕を再生した場合、サクさんはサクさんじゃなくなるのですか?」
「それは……あたしだね」
そりゃまあ、腕一本ぐらいならね。でも、それが全身となると違ってくるよね。
「全身でも同じことなのです! 身体なんて、所詮はお肉とお骨なのです!」
「うーん、そうかな……? 少なくとも脳は違うんじゃない?」
っていうか、骨に”お”をつけないでほしいんだけど……。
「違わないのです! お脳だって、サクさんの意思や感情を具現化するための一器官にすぎないのです!」
「意思や感情かぁ……。でもそれって結局、脳が生み出してるんじゃないの?」
「昔の人はそう考えていたのですよね! でも、逆なのです! 意思や感情という無形の存在がまずあって、それに従ってお脳が身体を操作しているのです!」
「えぇ!? そうなの!?」
マジで!? なんか、二十一世紀の常識が根底から覆されてない!?
「そうなのです! 例えるなら、私におっぱいを揉まれたいという意思や、私におっぱいを揉まれて気持ちいいという感情こそがサクさんの本体なのです! お脳はその代理で身体を操作しているだけなのです!」
「……もう少しいい例えあったよね?」
「とにかく、その意思や感情こそがサクさんなのです! それは大昔の人が魂と呼んでいた無形のものであって、入れ物の肉体が作り直されようとバーチャルだろうと変わらないのです!」
うーん、そういうもんなのかな? 確かに、辻褄は合ってる気もするけど。でもまあ、そう考えちゃった方が楽なのかな……。そんなことを考えていると、あたしの手を引っ張っていたスモモちゃんがふいに足を止めた。
「ここに住んでいたのです!」
「ん? スモモちゃんが?」
「はい、私が生まれ育ったマンションなのです!」
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