病根

 これ以上の話を路上でするのも問題だろうと、ハネル氏は俺たちを通りから一本入った彼の家に招き入れる。

 こじんまりとしているが、居心地の良さそうな家だった。明るく暖かな印象で、家具や調度品の趣味が良い。


「ハネルも、知ってたんだ」

「ああ。タキステナ内部に流通はしていなかったが、他領への薬害は情報を得ていた。おかしな動きをしている連中がいることも把握していた」


 ナルエルの質問に、中年エルフのハネル氏は苦い顔で頷く。生きる目的を確立している無能街の住人たちは興味こそないが、それだけに問題を認識して危機意識も持っていたようだ。

 学徒のなかには抗議活動を行なった者もいたようだが、彼らは早々に姿を消したという。ロックベアクマの餌にでもされたか。


「このままだと、タキステナは孤立する。貿易に依存したこの町で、商売相手を汚染するのが自殺行為だとなぜ理解できないのか……」

「関与しているのは、領主ですか」


 ヘイゼルはハネル氏に尋ねるものの、すでに確信を持っているのがわかる。影響力や汚染対象の選択からして、一部個人の悪行ではない。学術都市ぐるみと考えるのが自然だ。タキステナの内部事情から遠ざけられているあろう無能街の住人にまで知られている時点で、もはや隠す気もなさそう。


「魔薬の原材料調達は新しく就任した商業ギルドの幹部だが、生産を取り仕切っているのは学術都市の上層部だ」

「もしかして、俺たちへの損害賠償でカネに困って、とか?」

「それもある。が、最近は専売の利点が揺らいだとはいえ、塩の産出だけで経済基盤は安泰だ。主な目的は、他領の力を削ぐことだろう」


 度し難い。あれほど力の差を見せつけておいたのに、まだ敵意を捨てられないか。


「新しいタキステナ領主のハーマイアは学徒上がりの秀才だが、人望にも政治手腕にも意思決定能力にも欠ける。どうやら周囲から良いように操られているようだな」


 ハネル氏がテーブルに、タキステナの内部を示した地図を広げる。手描きで簡略化されているが、配置と動線がわかりやすい。そのなかで、彼は塩湖に面した城壁の西側一帯を指した。


「ここが領主館、こちらが商業ギルド会館。学徒たちはあまり近付かない政治経済の中枢だ。学術区画との境界近くにある大きな建物が魔導技術院。隠れて魔薬の生産が行えるような施設は、ここしかない」

「確証は?」

「夜明け前に吹く塩湖からの風で、風下にある無能街こちらに臭気が流れてくる」


 なるほど。だけど魔導技術院そのなまえ、どっかで聞いたな。なんだっけとナルエルに視線を向けると、彼女はヘイゼルと目を見合わせて頷いた。


「魔導技術院は、領主お抱えの研究施設。そこの魔導師たちは揃って能力と気位が高く、倫理観を持たない。目印は漆黒のローブと岩樫ロックオーク魔術短杖ワンド

「ああ、思い出した」


 ゲミュートリッヒにアンデッドをけしかけてきた死霊術師ネクロマンサーだ。我らがドワーフ砲兵隊の放った25ポンド砲弾でアンデッドごと爆散したので顔も姿も知らんが、“魔圧向上に特化したロックオークのワンド”の話は当時ナルエルから聞いた気がする。


「それじゃ、とりあえずカチ込むのはそこでいいか」

「問題ない。ありがとうハネル」

「いや待て、モウダン。まさか魔導技術院に手を掛ける気か⁉︎」


 もちろん、とばかりに頷くナルエルを見てハネル氏は目を白黒させる。


「君に頭抜けた能力と凄まじい度胸があることは、わかっているけれども。いくらなんでも無謀ではないか⁉︎」

「そうでもない」

「え?」

「わたしが全てを成し遂げるというなら、ハネルの言う通り無謀でしかない。でも」


 彼女は俺とヘイゼルを見てふわりと笑みを浮かべる。


「仲間と一緒なら、何の問題もない」

「……彼らは、それほどの実力者だと……?」


 エルフのハネル氏は俺が魔力ゼロなのを察知したか鑑定したかようで、失礼じゃない程度に怪訝そうな表情を浮かべた。うん。ナルエルの過大評価は主にヘイゼル先生に対するものですので、俺は静かにサポートに回りますです、はい。


「ゲミュートリッヒで、わたしは何度も思い知った。これまで見てきた、知ったつもりでいた、わかった気でいたものがあまりにもちっぽけで狭くわずかでしかなかったこと」


 目をキラキラと光らせて、ナルエルは幸せそうに笑う。


「世界は、広いんだってことを」

「……お、おう……」

「ハネルさん。お気遣いいただいて恐縮ですが、わたしたちのことは心配いりませんよ。必ず、無事に目的を果たしてみせますから」


 ナルエルとヘイゼルに笑顔で言われて、ハネル氏は困惑気味に俺を見る。

 いや、彼女らは心配いらないかもしれんけど、俺は全ッ然、大丈夫じゃないです。行きがかり上、一緒には行きますがね。正直、もう帰りたいです。


「……そうか。では、幸運を祈るよ」


 どうやら真面目な苦労人らしいハネル氏は困った顔で、主に俺に向けて言った。

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