潜入、学術都市

 断崖絶壁のような登りに比べると、反対側のくだりは楽なものだった。ゴツゴツした岩と茂みを分けながらの移動ではあるが、少なくとも手をつかずに歩いて進める。


「ナルエル、タキステナに入り込む方策はあるのか?」

「問題ない。出入り自体は簡単」


 学術都市の城壁に向けて歩きながら、ナルエル先生は軽く言う。彼女の身体能力は――というか魔力や知識や技術力を含むほぼ全ての能力が、俺とは桁違いなので話半分で聞いておいた方がいい。

 城壁外の廃屋や茂みなどの遮蔽を器用に縫って、衛兵に発見されることなくタキステナに近付く。城門から百メートルほど離れたところで、ナルエルは何の変哲もない壁の一角を指した。


「時間外に見付からず出入りするなら、ここが定番。城門の衛兵詰所から死角になっていて、なかは“無能街”だから、見回りもない」

「無能街?」

「他の国や町でいう、“貧民街”。商業活動が極端に少ないタキステナで、貧富は概念でしかない。社会から爪弾きにされるとしても、基準は能力だけ」


 凡人の俺にはピンとこない思想だが、結果的に世知辛いのは一緒か。むしろアイルヘルンで学力や魔術の能力の高い者が集う町だけに、ドロップアウトすると虚脱感スゴそう。なんにしろ俺には縁のない話だ。

 ナルエルが魔力を通すと壁の一部が、くるりと半回転して人ひとり分のスペースが開いた。動きとしては忍者屋敷の絡繰仕掛扉どんでん返しに似てる。


「こっち」


 ナルエルの先導で暗渠のような場所を抜けると、どこか下町っぽい印象の通りに出る。


「なあ、ナルエル。なんか思ってたんと違うというか……」

「そうですね。わたしも予想外です」


 俺とヘイゼルは首を傾げる。学術都市のイメージとは違って親しみやすい庶民感があるものの、貧民街と呼ぶには程遠い。それどころか……


「街並みが、やたら整然としてないか?」

「そう。“無能街”の住民は、タキステナのなかでは常識人。身嗜みにも気を配るし、収入も安定してる」


 ナルエルの返答で町が綺麗な理由はわかった。が、それを聞いた俺たちはさらに困惑する。


「いや、意味わからん。どこに無能な要素がある?」

「学術都市タキステナで、実用的もしくは商用目的の技術は、下等なものと見られる。積極的に金を稼ぐ行為は侮蔑の対象」

「えー」


 要は、あれか。衒学げんがく的な……学問のための学問ばかりを重んじるこの町で、ここだけが非アカデミックな真人間たちのコミュニティなわけだ。

 基準はピンとこないが。異常者がマジョリティな世界では、正常な者こそが異常者なんだろう。


「わたしも、“叡智の殿堂”とやらの愚劣さに疲れて、しばらく無能街ここに入り浸っていた」


 そう言いながら、ナルエルはズンズン進んでゆく。つまり、相対的に見てここは良いトコなわけね。タキステナの内情って、なんか思ってたより複雑。


「おお、“モウダン”」

「あ、ハネル。久しぶり」


 途中で擦れ違ったエルフの中年男性が、彼女を見て何やら手招きしてきた。お互いの反応を見る限り、親しい相手のようだが。ハネルというらしい男性エルフから話を聞いたナルエルは、なぜか不思議そうに首を傾げている。


「……?」

「ナルエルちゃん、どうかしましたか?」

「身を隠した方が良いって。わたしはお尋ね者らしい」


 そらそうだろ、俺たちは領主館をオルークファごと吹き飛ばしたんだし。前の“賢人会議”で公にそれを認めている訳だし。という俺に、ナルエルは首を振る。


「その話じゃない。まったく身に覚えのない罪状が追加されている」


 前領主オルークファを爆死させたのがナルエルだと知って、ハネルは嬉しそうにハイタッチを求めてる。なんだそれ。グッジョブ的な感じか。オルークファって、そんなにヘイトを買ってたのか。


「それで、罪状って何の?」

「商業ギルドを焼き払ったらしい。むしろ個人的には、ホントにそうしてやりたかったけど」


 薙ぎ倒しモウダン先生は、サラッと物騒なことを言い出す。

 タキステナの商業ギルドは領主やら学長やらとの癒着がひどく、選民意識も強い。地位の低い者には横柄な態度を取るので学生や研究者からは反感を買っていたのだとか。


「曲がりなりにもギルドなんだから、ちゃんと金稼ごうとする真人間を差別しちゃダメだろ。アホなのか?」

「「アホだね」」


 ナルエルとハネルの声が綺麗にハモった。

 聞けばこの中年エルフ氏、実用魔道具開発の第一人者なのだとか。生産販売数と売り上げで言えばアイルヘルンでも一、二を争う超有能な魔道具師。それが“無能街”で暮らしているあたりにタキステナの病根がある。


「マカにでも移住したら良いんじゃないか?」

「ああ、工房はマカにあるよ。タキステナで暮らしているのは人材発掘のためだ」

「以前わたしも勧誘された。ゲミュートリッヒを知らなければ、受けていたかもしれない」


 なるほど。それはそれとして……ナルエルがタキステナを捨てゲミュートリッヒに旅立ったその日に、商業ギルド会館が炎上したらしい。放火と思われるその火災で建物は全焼し、二十七名の死者行方不明者を出した。現場の焼け跡から、ナルエルの名が入った魔導師用ローブと魔術短杖ワンドの残骸が発見されたという。


「ナルエルちゃん、その証拠は偽造されたものですか?」

「たぶん、わたしの私物。もう要らないから、領主館の前に捨てた」


 俺はヘイゼルと顔を見合わせて呆れる。それがオルークファの策略だったのは、想像がつく。ナルエルを脅迫する材料にでもするつもりだったんだろう。実績をさんざん搾取していたらしいから、自分を見限ってゲミュートリッヒに渡ったのを座視できなかったのも、なんとなくわかる。

 でも本人が領主館の執務室ごと爆散した今となっては、濡れ衣を証明する証拠も証言も絶望的。罪状が撤回される可能性はゼロだ。


「なんだそれ……オルークファあのバカ、今頃になって祟るのか」

「かまわない。特に興味もない」


 ナルエルが無感情に一蹴すると、中年エルフのハネル氏が面白そうな顔で頷く。


「亡くなった者たちには悪いが、ギルドの火災は興味深い試金石になっている。話題への反応で派閥と為人ひととなりが透けるのでな」

「それも、どうでもいい。わたしたちがここに来たのは、もう一回この街を炎上させるためだから」


 ふむ、と言いつつ首を傾げる。肝が座っているのか無関心からか、宣戦布告のようなナルエルの言葉にも驚いた様子はない。


「君はいまゲミュートリッヒだと聞いたが、あそこはサーエルバンとの同盟を結んだんだったな」

「そう」


 ゲミュートリッヒおれたちがアイルヘルンで交流を維持しているのは、マカとサーエルバンだけ。他のすべての町と敵対している訳ではないものの、いまのところ信頼できる領主はエインケル翁とサーベイ氏だけだ。それを伝えると、ハネル氏は納得したように頷いた。


「……となると、答えは簡単だな。狙いは“魔薬フェンティル”の生産拠点か」

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