パイ食わねえか!

「はい、というわけで始まりました、ヘイゼルのお手軽ブリテン・クッキング。わたくし司会進行のミーチャです、よろしくお願いしますー」

「「「わー♪」」」


 さて、ある日の昼下がり。ゲミュートリッヒには……というかこの世界には特に決まった休日はないようなんだけど、逆に言えば休日をある程度は自由に設定できる。みんなが休みを合わせて何日後、みたいにするわけね。

 ヘイゼルからの提案を受けて、料理教室を開こうということになった。町で希望者を募ってみたら、思ったより多くの人たちが集まった。総勢十二名。調理経験のある女性陣の大半という感じ。みんな謎の英国的メイドが作り出す不思議な料理に、興味津々だったようだ。


「ヘイゼルちゃん、何を作るの?」


 作業を行うお店のテーブルに並べられた材料を見て首を傾げるのは、八百屋の若女将カミラさん。肉屋の若女将オーキュさんと並ぶ、ゲミュートリッヒの凄腕料理人だ。

 隣で楽しそうに素材を見ているのは、アルケナさんイーヴァさんのエルフ母娘。薬屋兼喫茶店を経営するふたりは薬草と香草、そしてお菓子作りのプロ……なんだけど、天然気味のお母さんはスパイスのパッケージに夢中で話聞いてないっぽい。


「ご挨拶がわりに簡単なところで、パイを作ってみたいと思います」

「……ぱい?」


 アイルヘルンの食文化としての基本はパン。それも全粒粉の平焼きパンがメインだ。小麦の風味が生きていて美味しいが、それほどふんわりしたものではなく、日本よりヨーロッパのパンに近い。この辺りはむしろ日本人の趣味思考が小麦文化から離れているせいだろう。

 アイルヘルンにも一部でパイに近い料理もないわけではない。鉱山都市マカの名物料理、“マイバルトーン”も肉のパイ包み焼きだしな。あれは素晴らしく美味かったが、マイバルトーンの原型は岩塊ロカと呼ばれる貧民料理だそうな。


「ロカの外側の生地そとかわは水と粗末な小麦粉で作られてて、食べずに捨てていたと聞きます」


 アルケナさんによれば、加熱の際に中の具材フィリングを守り、完成後に持ち歩くための容器だったらしい。さすがアルケナさん、長寿で知識豊富なエルフっぽいコメント。いつもはふわふわした天然ママなのに。


「大昔に、鍋もない貧民が考えた料理だそうですよ。実際にロカを作った話は聞いたことがないので、本当かどうかはわかりませんが」


 まあ、不味いとわかってるものをわざわざ作るくらいなら、美味しいマイバルトーンにするわな。


「ブリテンのパイ生地ペイストリも、原型は同じですね」

「え? そうなの?」

「安い冷食用コールドパイなどに使われる生地は、坑夫が持ち歩くために厚く硬く作られていました。食べられなくはないですが、捨てる前提なので味は考えられてないです」

「なるほどね」

「さらに言えば、“十八世紀半ばインダストリアル・の産業革命レボリューション”後の庶民食文化ですから、中身も似たようなもので……」

「ああ、ヘイゼル先生。ブリテンの切ない話はそのくらいで」


 気を取り直して、ヘイゼルは英国の伝統的パイ生地作りを教示し始める。ちなみに、こちらはちゃんと生地まで食べる前提のレシピだ。女性陣はみんな、ヘイゼルの英国魔術的美味に期待して目を輝かせる。ロカとかいうパイの始祖は話でしか知らないので、悪い先入観はなさそう。

 パイ生地の材料は、小麦粉と乳脂バターと水に塩を少々。混ぜ合わせてまとめた後は、濡れ布巾で包んで休ませる。ふつうラップを使うようだけど、こっちのひとたちには馴染みがないしな。


「その間に、パイの具材フィリングを作りましょう」

「「はーい」」

「まずは基本のミートパイですね。お肉は何でも良いのですが、せっかくですから水龍の肋肉リブにしましょうか」

「え⁉︎ 良いのかい⁉︎」


 女性陣が揃って驚く。ワイバーンやらなんやらで希少な魔物肉には慣れてると思ったんだが、辺境地の主婦として経済観念はしっかりしてるのかも。


「もうひとつ、こちらは甘いフルーツパイを」

「え⁉︎ 良いのかい⁉︎」


 女性陣、むしろ水龍肉よりもテンションが高い。最近は薬草&喫茶店アルケナさんとこ保存食&雑貨店ワーフリさんとこに砂糖を卸しているので以前ほど糖分に飢えているということはなさそうだが、やはり甘いものには目がないのだろう。

 作業が始まると手慣れたもので、ヘイゼルの説明に阿吽の呼吸で対応し始めた。俺の出番はほとんどないので、オーブンの用意をしておく。店の竃は、薪と木炭と魔珠による加熱魔法陣との併用。ふだん店では魔法陣を使用しているようだが、今回はご家庭での再現を考えてゲミュートリッヒでは一般的な薪使用。


「乳脂と小麦粉と獣乳ね。これは面白いわ」

「このベシャメルソースはシチューにも使えますし、チーズと一緒にパンに乗せても美味しいですよ」

「へえ……」


 女性陣は鍋を見たりメモをしたり味見をしたりと忙しい。俺の方も竃の火が安定して燃え始めたのを確認して、ヘイゼルに伝える。


「ありがとうございます、ミーチャさん。火加減は良い感じですね」


 ミートパイもフルーツパイも準備はできたようだ。店で使っている巨大なパイ皿にふたつ。火が均等に回るよう竃のなかで慎重に配置を決め、後はしばらく待ちの時間だ。


「では、みなさん焼けるまで少しお茶の時間にしましょうか」

「「「はーい♪」」」


 うむ。今日でいちばん良い返事。

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