深緑の焔

 クールダウンしながらドライブしてきた俺とヘイゼルは、ゲミュートリッヒまで数キロのところでふと前方に目を向ける。何か違和感があった。

 ここからは最後の下り坂、町の城壁が視界に入り始める頃だ。以前25ポンド砲でアンデッドの群れを仕留めたのがこの辺りじゃなかったかな。俺の視力でアンデッドは見えんかったけど、ゲミュートリッヒの城壁くらいデカいものなら視認できる……はず、なのだが。


「何かあったようですね」


 ヘイゼルが町の方角を見て怪訝そうな声を出す。特に身構える様子はないので、非常事態だとしても危機的状況ではなさそう。


「俺には見えんのだけど、敵襲って感じではない?」

「そうですね。ミーチャさんにも見えてはいるはずですよ? あの高いこずえの右側に覗いてる、濃いグリーンの塊です」

「グリーン?」

「はい。ゲミュートリッヒは……」


 俺を見たヘイゼルは苦笑して、首を傾げた。


「緑に埋もれています」


◇ ◇


「なん、じゃ……こりゃ?」


 緑に埋もれてる。たしかに、それ以外に表現のしようがない。元いた世界で、外壁をツタで覆った建物を見かけたことがあるけれども、あれを数倍激しくした感じ。あのツタがお洒落か実用か結果的にそうなったのかは知らんが、目の前にある緑のバリケードは明らかに意図したものではない。


「事故でしょうか」

「なんの事故だよ。いや、ボンヤリとなら想像はつくけど」

「おー、ミーチャ、ヘイゼルも、お帰りっすー」


 南の正門に近付くと、クマ獣人の衛兵サカフが疲弊した顔で笑っていた。


「どしたん、これ?」

「あー、あれっす。レイラがブチ切れたらしいっすよー?」


 やっぱそれかー。そうだよなー。“みどりの手”、だっけ。農業や造園業に向いたレイラの特殊能力。本人は基礎的な農業適性みたいなこと言ってたけど、それどころじゃなかったわけだ。


「暴走の原因は聞いたか?」

「どうやら親子喧嘩、みたいっすね」


 助手席のヘイゼルから、ギリッと怒りの波動が噴き上がる。

 やめろタリオ。頼むから、これ以上ゲミュートリッヒのドラゴンを刺激するな。こいつは飛龍ワイバーンや水龍ほど生易しい相手じゃないんだぞ⁉︎ しかもこの状況だと、まず矢面に立つの俺じゃん⁉︎


「でも大丈夫っすよ、ひとも家も被害はないっす」


 サカフのコメントにホッとした俺は、とりあえず正門を通って店へと向かう。


「落ち着けヘイゼル。大事には至っていない」

「ええ、いまは」


 タリオは、大事に至らせようとしてる。導火線の短い爆弾で遊んでる馬鹿。度胸試しや自殺志願ならともかく、おそらく本人なりの誠意と論理で動いてる。それが自分にしか理解できないものなのだという自覚もなく。

 店の前にランドローバーを停めると、ドアが開いてナルエルが顔を出した。


「ミーチャ、お帰り」

「レイラは?」

「寝てる。エルミが診てくれたけど、問題ないって」

「……そっか、ありがと」


 ナルエルの後について店に入ろうとする俺の脳裡に、ヘイゼルがボソッと囁く声が聞こえた。


は、あるんです”


 だから、念話で送ってくるのをやめてくれ。わかってるから。

 ただ、それをどうするべきかは判断に迷う。どこで見切りをつけるべきなのか、どこまで制裁を与えるべきなのか。悪意や敵意や害意があれば対処も簡単なのに。


「ミーチャ?」


 店の奥に入ったところで、エルミの声がした。レイラの看病をしていたのか、桶を持って二階から降りてきたところだった。


「ありがとな、エルミ」

「ウチにできることは、そんなになかったのニャ」


 ナルエルやマチルダと一緒にダイニングテーブルで話を聞くと、嫌な予感は的中していた。

 タリオからレイラに、魔導通信器マギコミュニカで連絡が入ったらしいのだ。実の娘に学術都市タキステナへの潜入と領主の監視を命じておきながら、用が済むと見捨てて省みることもなかったというのに。

 詳細は本人たちしか知らないが、その通信の後でレイラがブチ切れ、暴走した魔力でゲミュートリッヒの植物が急速繁茂したと。

 幸か不幸か成長促進以上の効果ではなかったため、町に被害と呼べるほどのものはなかった。むしろ作物が大量に収穫できたので、利益の方が大きかったとも言える。

 無論、レイラ自身のダメージを除けば、だ。彼女は暴走による急速な魔力枯渇で体調を崩し、倒れた。


「しかし、あの……温和なレイラが、なんでまた」


 と言いつつ俺は、なんとなく想像がついていた。当然ながらヘイゼルも。おそらく他のみんなもだ。


「怒鳴り声かラ察すル限り、“ミーチャとヘイゼルを、取り込め”トいうモのだっタようダ」


 だろうな。まだ短い付き合いでしかないが、少し気になっていた。彼女は温和というよりも、自己肯定感がひどく低い。奇人の父タリオから養育放棄ネグレクトのような扱いを受けてきたせいだろうか。自分に対しての無理難題や理不尽には、あまり抵抗してきた様子もないのだ。

 ああいうタイプがストレスの限界を超えるのは。自分への被害じゃない。


もう、いいでしょうウィ・ボアド


 ヘイゼルがそう言って、静かに息を吐いた。ガールズは頷き、俺もそれに続く。

 エルヴァラからの扱いには、いい加減ウンザリしてきたが。関係を遮断するだけで済ませるつもりだった。

 まだ身内を、傷付けられてはいなかったから。まだ悪意がないと、判断を保留していたからだ。


「俺は、間違っていたようだな」


 エルヴァラが、タリオが無謬シロであるような扱いは止めるべきだった。事故であろうと故意であろうと、無関係な獣人の村を巻き込んだ時点で決断するべきだった。たぶんヘイゼルは、当初から理解していた。排除すべきかどうかの切り分けに、悪意の有無は関係ないのだと。

 無意味な躊躇と甘い対応が、レイラへの被害につながった。


「間違っていたのは、ミーチャさんだけじゃありません。わたしも、レイラちゃんも。そして無論、あの農害もです」

「……ああ、うん。それは……もちろん、そうだな」

「“聖人君子がトライ・ザ・どこでキレるかをペイシェンス・オブ試しているア・セイント”」


 彼女は冷えた笑みを浮かべて静かに呟く。その瞬間、俺とガールズはビクッと身を強張らせた。

 俺もヘイゼルもガールズも、“聖人君子セイント”だったことはない。英語的慣用句のようだけど、意図するところは漠然としか伝わってこない。“こんなんガンジーでも助走つけて殴んぞ”的な?


「ヘイゼルちゃん、なにを、するつもりなのニャ?」

「誤解を解き、教えねばいけません。わたしたちが」


 ヘイゼルの指がテーブルを叩き、英国的災厄DSD光る扉パネルが、開かれる。


「……天に召される者セイントを、だと」

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