儚き平穏

遅れてきた痛み

 ゲミュートリッヒに戻った俺たちは、のんべんだらりと怠惰な日々を送っていた。……というか、ガールズは規則正しく勤勉に過ごしているようなので、正確には俺だけだな。

 酒場の店長からヒモにジョブチェンジする勢いだが、そんなん知らん。働かなくても良いんなら働きたくないでござる。もう休んで良いだろ。十分働いたよ。俺グッジョブ。だってカネに困ってないもの。ヘイゼルが言ってたし。


「現在の所持金は、金貨だけで約二億八千万円百八十六万ポンドほどです」


 ……って。もう日本人の生涯年収超えてんじゃん。こっちだと貨幣価値たぶん数倍だよ。それに加えて銀貨銅貨も百万円分くらいはあるって言ってたもんな。もう楽隠居でいいじゃないか。幸か不幸か酒も煙草も女遊びも向いてないが、せいぜい怠惰に生きる。そう決めた。

 なのに、昼間っからゴロゴロしてると何故か悶々とするのだ。罪悪感とか焦燥感とか寂寥感とか疎外感とか虚無感とか喪失感とか、いまこの状況で感じる意味も必要もないはずのネガティブフィーリングが細波のように寄せては返す。いや、なんだこれ。長年ブラック業界勤めで身に付いた社畜根性が足を引っ張るのか。

 ふざけんな、俺のスローライフどこ行った。


 たぶん俺のベッドルームが一階の奥ってのが良くないんだろうな。みんなが働いてる声とか、キャッキャうふふと楽しげな笑い声とか聞こえてくるのだ。美味しそうな匂いとかもするし。高齢ニートには居た堪れない。


「ミーチャ〜、ご飯なのニャー♪」

「あいよー」


 考えてる側から、エルミがドアから顔を出して俺を呼ぶ。ご飯と言っても朝はスルーしてしまったから、もう昼食だ。なんだかんだ言ってガッツリと二度寝してしまっていた。


「うがッ⁉︎」


 ベッドから立ち上がった俺は激痛に固まる。これが噂のギックリ腰かと思ったけど、違う。


「ミーチャどうしたのニャ⁉︎ どこか痛くしたのニャ⁉︎ いま治癒魔法を……!」

「あ、いい大丈夫ストップ」

「にゃ?」


 ノーサンキューな感じでエルミの手を押さえ、やんわりと治癒魔法をお断りする。


「これ、筋肉痛だ。なんで、こんなに遅れて……」

「きんにくつー?」


 あら。こっちのひと、もしかして筋肉痛にならないのか。だとしても意外じゃないけどな。みんなアクティブに暮らしている上に、魔力循環やら治癒魔法やらが日常使用されてるし。俺には無縁だけど。

 それはそれとして、筋肉痛程度なら動きが数日ギクシャクするくらいで問題ない。損傷した筋繊維が回復過程で太くなって強くなるのだ。エルミの気遣いはありがたいが、ここで治癒されたら振り出しに戻ってしまう。


「おはようございます。どうしました?」

「ただの筋肉痛だよ。いまごろ来た」

「そうですか。回復にはビタミンBが良いと言いますね。こちらで手に入る食材だと、やはり藪猪ヤブイノシシの肉と肝臓レバーでしょう」


 タイムリーなことに、昼のメニューは藪猪肉のハンバーグだった。肉とスパイスが違うので、いわゆるハンバーグとは少しテイストが違うけれども誤差の範疇だ。藪猪の粗挽き肉がスパイシーに味付けされていて、非常に美味い。そしてデカい。文庫本二冊並べたくらい、ってこれ四百五十グラム一ポンドくらいないですかね。

 付け合わせには英国ヘイゼル的定番の山盛りフライドポテトチップス。地物の温野菜がたっぷり入ったコンソメっぽいスープが滋味あふれる味わいで沁みる。


「ヘイゼルちゃん、“はんばーぐ”すっごい美味しいのニャ!」

「うム。ナんでワざわざ肉を磨り潰スのかト思っタが、コれは見事な料理ダ」

「「……」」


 エルミとマチルダはツインテメイドの功績を褒め称え、年長のお姉さん方は夢中で頬張りながら満足げに頷く。ナルエルは涙目で感動してるのが気になるけど、触れると闇の詰まった扉が開きそうで怖いのでスルー。

 人数が増えて食堂が少し手狭になったので、営業前の朝や昼は店舗のテーブルで食べることも多い。ヘイゼル、エルミ、マチルダ、ナルエル、レイラ。そこに、ちょくちょく冒険者ギルドのアマノラさんが加わる。女性ばっかのなかにオッサンがひとりという妙な絵ヅラだ。いいけど。


「ミーチャ、先ほド、ティカ隊長が来テいタぞ?」


 マチルダに言われて、俺は首を傾げる。特に事前連絡や用件はなかったはず。なんかあったのか、とも思ったが急ぎの用なら起こすだろう。ウチのガールズもギルドのアマノラさんも、問題が起きたという話は聞いてない。


「夕方にデも、詰所まで来て欲しイそうダ」

「わかった。行ってみる」


 すべて美味しく平らげて、大満足だが満腹だ。こちらのひとは、毎食けっこうボリュームのある食事を摂る。食が細いというか燃費が良いのはエルフくらいで、獣人やドワーフはパワフルでエネルギッシュなだけに健啖家おおぐいが多いようだ。人間でも日本人基準で言えば、元いた世界より食事量は多いように思える。


「みんなは、午後も仕事?」


 レイラは町の農業指導と菜園づくりに励んでいるそうな。俺は農業に詳しくないし、畑を注意して見てもいない。でも外壁近くの緑化が明らかに進んでる。通りを歩いていても、建物の奥に色とりどりの花やら草やら作物やら、カラフルな光景が目に入る。店にも野菜や果実を持ち込まれるようになってきた。

 アマノラさんの冒険者ギルドも、長く開店休業状態だったけど最近は少しずつ依頼も冒険者おきゃくも増え始めているのだとか。

 ゲミュートリッヒは着実に成長してる。たぶん停滞を望んでいるのは俺だけだな。働きたくないでござる(二回目)。


「ウチとマチルダちゃんは、お店の準備くらいニャ」

「わたしも夜の仕込みだけですね。今日は大口鯰オオグチナマズが入ったので、フィッシュ&チップスを試してみようと思っているんです」


 捌く前の姿を見せてもらったが、外見もサイズもアンコウみたいな魚だ。こちらでは身を取った後に内臓や骨周りを煮込んでスープにするというから、ますますアンコウっぽい。

 そのナマズ料理は夕食にも出すと言うので楽しみにして、先に用事を済ませることにした。南にある正門までダラダラと歩く。

 ゲミュートリッヒの住民たちも生活に余裕が出てきたのか、窓辺や庭先に花を飾っているのが目につき始めていた。華やかさが出て、良いことなんだろう。これもレイラのお陰かも。

 正門脇の衛兵詰所にも、入り口に花輪が掛けられていた。ちょっと崩れて稚拙な感じからして、孤児院組からの差し入れなのかもしれない。

 開かれていたドアをノックすると、事務机に向かっていたティカ隊長が振り返って手招きした。もう一方の手には、ちっこい巻き物みたいな代物。封蝋がされてるところを見ると、公的な通信だ。


「ミーチャ、アンタに会食の招待だ」

「隊長から?」


 冗談半分で訊くと、だったら口で言うだろと笑う。周囲数百ミレで一番美味いもんを出すのはアンタの店だってのに、会食の招待なんてするわけないだろと。

 それが真実かどうかはともかく、ちょびっと嫌な予感がしてきた。


「あたしも呼ばれてる。エインケルの爺さんもな」

「だよな」


 正確には予感でも何でもない、消去法の問題だ。敵対している連中は一掃したけど。敵か味方か微妙なのが、ひとつだけ残ってた。思わず顔に出たのだろう、隊長は俺を見て頷く。


「ああ。“農の里エルヴァラ”の、農夫タリオからだ」

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