狗の欲得
俺たちはサーベイ商会の敷地から出て通りを窺う。衛兵に付き添われた
その目的が交渉前の示威や脅迫であれ、殺傷であれ他の何であれだ。
「車輌を出しましょうか?」
ヘイゼルに言われて迷うが、待ち構えている相手は獣人とはいえ民間人だ。どんな魂胆にしろ殺し合いにはなるまい。そもそも通りにはサーエルバンの住民がふつうに行き来してる。領主館までの百メートルほどを行くなら、徒歩の方が現実的だろう。
「マイファさんたちは、サーベイさんをお願いします」
「わかった。こちらは気にしないで良いわ」
彼らは連携の取れた動きで左前方と右と後方に分かれ、クライアントを守る位置に着いた。
サーエルバン領主代行は専属護衛の人狼三人組に任せるとして、エインケル翁はどうしたもんか……と目をやると、爺ちゃんは不敵な顔で腰からハンマーを取り出す。ティカ隊長の持つ背丈ほどの
一瞬迷った俺に、隣でティカ隊長が“気にすんな、行け”と目顔で促す。
「隊長、
「お付きと一緒に、サーベイ商会の貴賓室だ。お前らの
「よし、行こうか」
前に立って歩くサーベイさんと護衛に、俺たちも続く。いざとなれば俺はショルダーホルスターの
俺以外の睨みが効いたか、通りを移動する間に襲ってくる者はいなかった。こちらを窺っている視線は感じたが、騒ぎを起こそうとする様子はない。
ティカ隊長も油断はしていないが、背中の戦鎚からは手を離していた。
「領主館までは、どうにかなりそうだな」
「街中の
「そちらも問題ありませんよ」
エインケル翁の懸念に、ヘイゼルが笑顔で答える。首から下げたネックレスの魔珠を示す。マカで購入した
「お待たせニャー♪」
ふわりと降り立ったエルミとマチルダが、周囲のみんなにご機嫌で手を振る。
「おお、遅かったな。何か問題でも……」
「ウチらに、そんなもの、
「ナいのダ!」
エルミと笑いながら、マチルダは魔力の翼を畳む。小さく風が立ち、微かに嗅ぎ慣れた硝煙の匂いがした。
◇ ◇
「遅かったじゃねえか」
通された領主館の応接室で、マハラは偉そうにふんぞり返っていた。
こっちの世界に
マハラの顔には正体不明の笑みが張り付いているが、その理由もわからん。
「おまけに大勢引き連れて、ゾロゾロとご苦労なこった。こっちは独りで来てやったんだぜ?」
「来てくれなどと頼んだ覚えはないですナ」
サーベイさんはピシャリと突き放すが、マハラはニヤニヤ笑いを浮かべたままだ。
応接室のソファーにエインケル翁とサーベイさんが座る。護衛その他は立ったまま、周囲の壁際に控えた。
「さっそく用件を聞きましょうかネ。忙しいので手短にお願いしますヨ?」
「偽王女を渡せ」
「論外ですナ。それが用件ならお引き取りを」
マハラは大袈裟に溜め息を吐いて、背もたれに寄り掛かる。交渉はこれからと言わんばかりのポーズだが、ここから先はない。こちらが歩み寄る余地もなければ、マハラが取るべき策も、切るべき札もないのだ。
それを本人が理解しているのかどうかは不明だが。
「お前らが
「どうでもいい話ですナ」
必要以上に無防備に余裕ぶった態度を示しているものの、マハラはどこか苛立っているのがわかる。何か落ち着かない様子で、それを隠している。脳筋の人狼は俺たち……正確にはヘイゼルに、一度も目を向けようとしない。
「雑魚がどんだけ数を
クスクスと笑うヘイゼルの声で、マハラの能書きは止まる。役者が違うのもあるし、そもそもヘイゼルを意識しすぎているのだ。公衆の面前で凹まされた“賢人会議”の失態が、それほど悔しかったのか。
「徒党を組むのは、あなたたちの本能でしょう?」
静かに語るヘイゼルに、マハラはようやく目を向けた。だらけた姿勢は崩さないまま口をつぐんで、憤怒を押し殺しているのがわかる。
「人狼は徒党を組み、一丸となって動く。それが強みであり、弱みともなる。以前あなたに伝えたはずですよ。群れも統率できない無能を、我々は
「てめぇ……」
「どうやら誤解しているようなので、ひとつ付け加えておきましょう。もし仮に群れを統率できたとしても、それは無能でないという証明にはなりませんよ」
ヘイゼルはマハラに、小さな石を放る。獣人自治領カーサエルデの長は、飛んできたそれを受け止めて顔色を変えた。
「
握り締めた手のなかで淡く紅の光を放つそれは、人狼の。マハラの部下から取り出された魔珠だった。
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