振り出しにあったもの

「アーエルという地名を聞いたことはあるか?」


 エインケル翁は俺とヘイゼルに尋ねる。俺は初耳だ。ツインテメイドは、聞き覚えがあるものの思い出せないようだ。額を指で押さえて記憶を反芻している。


「アイルヘルンではないですね? 王国の……」

「そうじゃ。エーデルバーデンからは西に六十五キロ四十哩ほどのところにある小領じゃ」

「思い出しました。そこの領地軍兵士が二十名ほど、ゲミュートリッヒ侵攻で壊滅しています」


 なんで? いや、俺の質問は“王国側の交渉相手は誰か”だ。ここで出てくるとしたら潜在的な味方か、そうなる可能性のある奴の名前じゃないのかな。

 話の流れからすると、そのアーエルって、もう俺たちと敵対してんじゃん。


「王国北西の辺境にあるアーエルは、王国内では亜人やその混血が多い地域じゃ。聖教会に目を付けられた住民は“隷従の首飾り”を嵌められて、猟兵に仕立て上げられておったそうじゃな」

「……」


 あんまり聞きたくない話になりそうだ。俺たちが殺してしまったなかに、洗脳か脅迫か隷属魔道具かは知らんけど、無理やり駆り出された亜人集団が混じっていたかもしれないってことか。

 とはいえ、いまさら悔いたりはしない。いままで殺したのは、こちらを殺そうとしてきた相手だけだ。


「そのアーエルが接触を持ちかけてきたんですか? それとも、以前から接触を持っていたんですか?」


 急激に力を付けたゲミュートリッヒと違って、アイルヘルンでも有数の先進領地であるマカに対して王国内の亜人集団がコンタクトを取っていたとしても不思議ではない。


「後者ですナ」


 言い淀むエインケル翁に代わって、サーエルバン領主代行のサーベイさんが答える。


「ミーチャ殿たちがこちらに移って来られる少し前ですかナ。アーエル領主は、聖教会に奪われた住民を奪還しようとしたのですヨ」

「それで」

「聖教会の後ろ盾になっていた王国から叛乱と見做されて、軍に攻め滅ぼされましたヨ。ゲミュートリッヒ侵攻に連れ出されたのは、その一部でしょうナ」


 なるほどね。言われてみれば、おかしな感じはしたんだよな。

 サーベイさんと出会ったとき、彼と人狼護衛三人は俺たちと同じルート上にいた。王国北部からの帰路。エーデルバーデンに用でもあったのかと思ったけど。

 “王国で問題が起きたと聞いて、付き合いのある領主に面会を求めたが、逃げ戻ることになった”……たしか、あのときサーベイさんはそんなことを言っていた気がする。


「もしかして、サーベイさん。初めて俺たちと会ったのは、アーエルからの帰路かえりでした?」

「はい。着いたら焼け跡で誰も助けられず、王国軍には襲われて、這う這うの体で逃げ帰ったところでしたヨ。ミーチャ殿との出会いがなければ、恩知らずの無能のまま死んでおりましたナ」


 小太り商人氏は苦い表情で笑う。


「アーエル領主は、わたしの友人で、恩人だったんですヨ」


 なんとなく、話が見えてきた。そこからどう繋がるのか、わかった気がする。

 対応に困った俺はヘイゼルに目をやる。彼女は微笑みとともに見返してきた。欠片ほどの迷いもなく、全面支援の意思を伝えてくる。

 いや、まだ俺はそれほど乗り気というわけでもないのですが。


乗り掛かったイン・フォー船から・ア・ペニー降りるイン・フォーのですか?・ア・ポンド


 言葉の意味はわかる。意味も伝わる。でもそれ、船にせよ少額投資ペニーにせよ、俺が望んで始めたんだっけかな。

 まあ、いいか。俺はサーベイさんとエインケル翁に向き直る。


「おふたりが擁立しようとしているお姫様は、アーエル領主の係累ですか」

「孫娘ですヨ」


 人狼の血を引く、十四歳の娘。十年前、アーエル来訪中に夭逝した王女クレイメアの身代わりにされたことで、彼女の運命が狂い始める。王女の替え玉にされるだけあって、見た目は人間にしか見えない。が、感情が昂ぶると人狼の形質が表面化する。


「……厄介な話ですね」

「王国唯一の王位継承者が亜人の混血となれば、無事ではいられん。わしらに救いを求めてきたのは、アーエルが王宮に送り込んだ侍女じゃ」

「侍女はともかく、本人の同意は取れているんですか?」


 嫌な予感というほどのこともなかった。厄介な問題は、さらなる厄介な問題を生むのだ。たいがい、その萌芽は最初からその場にある。

 案の定、エインケル翁は首を振った。まあ、そうだろうね。


「本人は、自分が身代わりだとは知らん」

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