フィッシュ・オン・スイミー

「それで?」


「いや、酔い潰れちゃったから、その先はグダグタになったよ」


 昼下がりのパブ。昼飯を食べに来ていたティカ隊長は、俺の話に呆れ顔で首を振る。


「ドワーフが酔い潰れるって、どんだけ飲ませたんだ」


「ひとりが、ウィスキーを……小樽にひとつくらいか」


 当のドワーフ爺さんたちが食い付いたアルミのエール樽が容量五リットルくらい。彼らが飲み干したウィスキーも、だいたい同じくらいだ。

 ウィスキー派もエール派も、最後はフニャフニャと子供のような笑みを浮かべながら帰っていった。


「どうかしてる。飲む方も飲む方だが、そこまで気前よく飲ませる方もな」


「まあ、良いさ。彼らは、それだけの頑張りは見せてくれたんだ」


「それは……まあ、そうかもしれんがな」


 なんか言いたげな顔で、若き衛兵隊長はカウンターに指で「の」の字を書く。

 こっちの人もやるんだな、このモジモジモーション。


「どした、隊長」


「いや。爺さんたちの気持ちが、あたしにも、わからんでもないと思っただけだ」


「“いま楽園に生きている”って?」


「そっちじゃない。……いや、それも否定する気はないが」


 てことは、“本当に、ここなのか”って方か。何にしろ俺には今ひとつピンとこない。


「アンタたちが来るまで、大なり小なり、みんな迷ってたんだよ。このまま、ここにいて良いのか。自分のいるべき場所は、本当にここなのかってな」


 隊長は、そう言って笑う。


「ゲミュートリッヒは、行く先も戻る場所のない者たちの吹き溜まりだ。選べもしないくせに有りもしない逃げ場所を探してたんだ、きっと」


 俺から見ると、この町は過不足なく心豊かなスローライフを送ってるナチュラルなコミュニティに思えたんだけれども、どうやら実情はなかなかハードだったようだ。

 なにせ過酷な自然に囲まれた隣国との最前線。こつこつ地道に積み上げてきた物は、ちょっとの油断や事故や災害であっという間に台無しになる。

 そうして何回目かの喪失と絶望から立ち直ろうとしていたとき、ティカ隊長はふと自分の心が空っぽになってるのに気付いたそうだ。


「あたしも他の連中も、似たようなもんだ。それでも、ここで暮らすしかない。どこにも逃げる先なんてなかったからな。もっと前からいた爺さんたちなら尚更だ」


 そんなところに珍妙な乗り物でやってきた俺たちが、彼らには閉塞感を壊してくれる何かに見えたらしい。


「俺たちも、逃げてきただけなんだが」


「それでも、だよ。犠牲者なしに王国軍を撃退できたのも、酒場を開いたのもそうだし、孤児院で子供に読み書きを教えられるようになったのも、外壁と外堀もそうだ。ダンジョンが見付かったのも、広い意味では同じかな。少なくとも爺さんたちは……そして、あたしもだ。初めて、“前に進んでる”って、思えるようにんったんだよ。だから……アンタたちには、感謝してる」


 怒ったような照れたような口調で言うと、ティカ隊長はプイッと顔を背ける。


「お待たせニャー♪」


 湿っぽくなりそうな空気を、笑顔のエルミが無邪気に掻き回す。

 タイミングよく運ばれてきた特製ハンマービークティッカマサラを前に、ティカ隊長は早くもうっとりした顔になっている。


「おお……これは美味そうだな……! オーク肉のも素晴らしかったが、こっちもまた……」


 ワーフリさんの雑貨店で揃えた深めの大皿には、ヘイゼルに頼んで新規調達したインド産の長粒米がこんもりと盛られている。その上には子供のゲンコツほどもある鳥肉が五、六個とゲミュートリッヒの地場もの野菜がたっぷり。英国産カレーソースとエルフ秘伝のスパイスで仕上げられたカレーは、オーク肉のときよりも明らかにグレードアップしている。

 スパイシーながらも芳醇な香りと滋味溢れる味わいで、俺も試食のときにはあまりの旨さに度肝を抜かれた。


「う、うまッ! なんだ、これは……」


 誰に言うでもなく喜びの呻き声を上げながら、ドワーフ娘はハンマービークの塊を頬張る。ドワーフの飲み放題パーティのとき出したフリッターも好評だったが、あれはアッサリ目の胸肉と手羽元。今回は巨大で良く鍛えられ脂も乗った腿肉だ。旨味とコクが違う。


「噛めば噛むほど溢れ出す、これは……肉汁どころの話じゃない、外在魔素マナ内的魔素オドの暴力だ……」


 なんか隊長、ワケわからん食レポみたいになってる。意訳するとムッチャ美味いって話なんだろうから、ここはスルーしとこう。

 パラパラして食感が軽いインディカ米は、ジャポニカ米の倍以上ペロッっと入ってしまったりするんだよな。いまもティカ隊長は財宝でも掘ってるかのような匙使いで着々と米の山を減らしている。


「ふぅ……♪」


 ものの十分ほどで、ティカ隊長は小山のようなハンマービークティッカマサラを平らげてしまった。

 食後に紅茶とチョコを出すと、ようやくカレーの魔力から解放されたのかホッとしたような笑顔を見せた。


◇ ◇


「そういや、爺さんたちに聞いたんだけど、そろそろ湖から水を引くんだろ?」


「ああ、“こんくりーと”が乾いたらな。今朝あたしたちが確認した感じじゃ、かなりしっかり固まってた。早ければ明日には試してみようと思ってる」


 水門を開けて水を引けば、湖の魚や水産物も溜め池や外堀に流れ込んでくるはずだ。

 そうなると、町の外壁から釣りができるかも。ちょっと楽しみ。コンクリだけじゃなく、少しは土や水草も植えた方がいいのかな。


「……おいミーチャ、なにをニマニマしてるんだ?」


「たぶん、すぐそこで銀鱒を捕まえられる、って思ってるのニャ」


 さすがエルミ、勘が鋭いな。もしくは、俺の思考が単純すぎるのかもしれん。


「わからん。ワイバーンを二頭も仕留めておいて、銀鱒を獲るのが楽しみとはな」


「それはそれだろ。こっちのひとは魚釣りしないのか?」


 ティカ隊長とエルミには首を傾げられた。

 詳しく聞いてみたところ、どうやら漁以外で魚を捕まえることはないようだ。方法も仕掛け罠か網、あとは大物を銛で突くくらい。

 要は、魚を獲るのは実用であって娯楽じゃないということだな。


「ヘイゼル、釣りの道具なんて手に入るかな」


「たしか簡単なものなら、戦地慰問品コンソレーションのなかにあったはずですが……」


 英国製メイドは顎に指を当てて考える。調達を頼んだら、すぐに段ボールで出してくれた。なかには弁当箱みたいなアルミ缶と紙箱がいっぱい。


「これ……サバイバルキット?」


 ミニナイフとか方位磁石コンパスとか、鋸にもなるワイヤワイヤーソーとか男の夢が詰まってんだか詰まってないだかよくわからないラインナップのなかに、釣り道具も……あるには、ある。


「……ちょい、ヘイゼルさん。そこはかとなくコレジャナイ感あるんだが」


 俺は釣りに詳しくもなければこだわりもないけど、これ釣り糸と釣り針だけじゃねえか。


「大丈夫です。こちらに釣りの習慣がないなら、魚がスレてませんから。おそらく針と糸だけでも釣れますよ」


 たしかに、それを全否定もせんけれどもさ。

 なんでかサバイバルキットは色んなメーカーのが何種類も入っていた。慰問品って言ってたから、軍の正式採用されたものではなく家族が戦地の夫や息子に送ったものなのだろう。

 釣りセット以外は特に必要ないので、同梱されてた非常用糧食みたいのと一緒にティカ隊長にも半分くらい贈呈する。


「なんだ、これ?」


「ヘイゼルのいた国で、兵に持たせる道具だ。迷子になったとき、生き延びられるようにな」


「……迷子? 兵が? 生き延びるように、持たせる? なぜ?」


 ティカ隊長、どんどん首傾げる角度がキツくなってる感。片言みたいになってるし。

 たぶん、こっちのひとたちと俺たちとでは“兵”の概念からしてズレてんだろな。まあ、お楽しみセットだと思ってくれれば良い。


「こっちは?」


「非常用の食べ物だ。開封しなければ、長く腐らない。食べるとすぐ力になる、らしい。味は知らん」


「これも、兵士に? アンタらの故郷は、どんな国なんだ」


「魔境です」


 ……だから、ヘイゼルさん。ここでティカ隊長の混乱を煽らないでくれるかな。

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